TabiShiri

人物・神様

神社・寺・城のゆかりの神様・武将・名僧を紹介します。

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天照大神

天照大神

神

あまてらすおおみかみ

神代

日本神話における太陽神、皇室の祖神。伊邪那岐神の禊から生まれた三貴子の一柱で、高天原(=神々の住む天上の国)の主宰神。伊勢神宮内宮の御祭神。

大国主大神

大国主大神

神

おおくにぬしのおおかみ

神代

出雲神話の中心神、地上(=葦原中国)を治めた国津神の代表。素戔嗚尊の子孫(または6世孫)で、因幡の白兎の神話、八千矛神としての女神遍歴で有名。国譲りで天津神に国を譲り、出雲大社に鎮まる。

素戔嗚尊

素戔嗚尊

神

すさのおのみこと

神代

日本神話の三貴子の一柱、嵐の神。天照大神の弟。乱暴狼藉で高天原を追放されるも、地上で八岐大蛇を退治して英雄となる。出雲・氷川神社・八坂神社・津島神社などの主祭神。仏教では「牛頭天王」と習合し祇園信仰の中心。

伊弉諾尊

伊弉諾尊

神

いざなぎのみこと

神代

日本神話の国生み・神生みの父神。妻・伊弉冉尊と共に日本列島と多くの神々を生んだ。妻を黄泉の国に追って失敗し、禊から天照大神・月読命・素戔嗚尊の三貴子を生んだ。

伊弉冉尊

伊弉冉尊

神

いざなみのみこと

神代

日本神話の国生み・神生みの母神。伊弉諾尊の妻。日本列島と多くの神々を生むも、最後の火の神出産で焼死し、黄泉の国の支配者となった。

八幡大神

八幡大神

神

はちまんおおかみ

不明

応神天皇を神格化した武神。日本三大八幡宮(=宇佐・石清水・鶴岡)を中心に、全国約44,000社の八幡神社の主祭神。源氏の氏神として武家社会の篤い信仰を集めた。

少彦名命

少彦名命

神

すくなびこなのみこと

神代

医薬・温泉・酒造の神。大国主大神の国造りを助けた小さな神。神産巣日神の御子で、海の彼方からカガミ(蛾)の皮の着物を着て小舟で渡来したとされる稀有な神。

市杵島姫命

市杵島姫命

神

いちきしまひめのみこと

神代

宗像三女神(=多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐都比売命)の一柱、海の神。仏教の弁才天と習合し、芸事・財運・水の神として全国に祀られる。厳島神社・宗像大社・江島神社の主祭神。

大日如来

大日如来

神

だいにちにょらい

仏教

真言密教の中心仏。「大いなる日輪のごとく宇宙を遍く照らす」根本仏で、すべての仏は大日如来の化身とされる。金剛界・胎蔵界の両界曼荼羅の中心。東大寺の盧舎那仏も大日如来と同体とされる。

阿弥陀如来

阿弥陀如来

神

あみだにょらい

仏教

浄土宗・浄土真宗の本尊。西方極楽浄土の主尊として、念仏「南無阿弥陀仏」を唱える者を救済し極楽往生させると説かれる。鎌倉大仏(高徳院)・平等院鳳凰堂の本尊として有名。

釈迦如来

釈迦如来

神

しゃかにょらい

仏教

仏教の開祖、紀元前5世紀頃のインド・釈迦族の王子。29歳で出家し35歳で菩提樹下にて悟りを開いた「歴史的実在」の仏。日本では曹洞宗・臨済宗・日蓮宗・天台宗など多くの宗派で本尊または主尊。

薬師如来

薬師如来

神

やくしにょらい

仏教

東方瑠璃光浄土の主尊、医薬の仏。「衆生の病を癒し寿命を延ばす」12の本願で知られ、現世利益の代表的な仏として古来日本で篤い信仰を集めた。左手に薬壺を持つ姿が特徴。新薬師寺・薬師寺の本尊。

観世音菩薩

観世音菩薩

神

かんぜおんぼさつ

仏教

阿弥陀如来の脇侍であり、慈悲を象徴する菩薩。「観世音(=世の音を観じて衆生を救う)」の名通り、人々の苦悩に応じて33の姿に変化して救済する。西国33観音・坂東33観音など全国の観音霊場の主尊。

千手観音

千手観音

神

せんじゅかんのん

仏教

観世音菩薩の変化身の一つ。1000本の手とその手のひらに目を持ち、あらゆる衆生を救済する。蓮華王院三十三間堂(京都)の1001体の千手観音像が世界的に有名。四国88・西国33の本尊の多くが千手観音。

不動明王

不動明王

神

ふどうみょうおう

仏教

真言密教の代表的明王。大日如来の化身で、悪を断ち衆生を救うため憤怒の形相を取る稀有な仏。右手に剣、左手に羂索を持ち、火焔光背を背負う。江戸五色不動・関東36不動など、全国の不動信仰の中心。

地蔵菩薩

地蔵菩薩

神

じぞうぼさつ

仏教

釈迦入滅後・弥勒菩薩出現までの「無仏の56億7000万年間」に衆生を救う菩薩。子供・旅人・地獄に堕ちた者の救済者として、現代も道端の地蔵・水子地蔵・子供守護神として日本人に最も身近な仏。鎌倉24地蔵霊場など。

弥勒菩薩

弥勒菩薩

神

みろくぼさつ

仏教

未来仏(=未来に成仏すべき菩薩)。釈迦入滅後56億7000万年後に下生(=この世に出現)して衆生を救うとされる。広隆寺(京都太秦)・中宮寺(奈良斑鳩)の半跏思惟像(=国宝)が世界的に有名。

文殊菩薩

文殊菩薩

神

もんじゅぼさつ

仏教

智慧(ちえ)を象徴する菩薩。「三人寄れば文殊の知恵」のことわざで知られる。普賢菩薩と共に釈迦の脇侍として「釈迦三尊」を形成。獅子に乗り、右手に剣、左手に経典を持つ。日本三大文殊(安倍文殊院・切戸文殊・亀岡文殊)。

普賢菩薩

普賢菩薩

神

ふげんぼさつ

仏教

実践・行徳を象徴する菩薩。文殊菩薩と共に釈迦の脇侍として「釈迦三尊」を形成。白象に乗る姿が特徴。法華経で「女性も成仏できる」と説かれた稀有な菩薩で、平安期に女性の信仰を集めた。

毘沙門天

毘沙門天

神

びしゃもんてん

仏教

仏教の四天王の一柱、北方を守護する武神。サンスクリット名ヴァイシュラヴァナ。日本では「七福神」の一柱として勝負・武運・財運の神として信仰される。信貴山朝護孫子寺・鞍馬寺など。

大黒天

大黒天

神

だいこくてん

仏教

七福神の一柱、五穀豊穣・財運の神。元はインド・ヒンドゥー教の戦闘神マハーカーラ(=大いなる黒)が仏教に取り入れられ、日本で大国主大神と習合して福徳の神に転じた稀有な神格。

弁才天

弁才天

神

べんざいてん

仏教

七福神唯一の女神。元はインド・ヒンドゥー教の河神サラスヴァティー。仏教に取り入れられて、芸事(=琵琶を弾く姿)・財運・水・知恵の神に。日本三大弁天(厳島・竹生島・江島)など、水辺に祀られる。

月読命

月読命

神

つくよみのみこと

神代

日本神話の三貴子の一柱、月の神。天照大神・素戔嗚尊の弟妹で、伊邪那岐神の禊で右目を洗った時に生まれた。神話での登場は少なく謎の多い神。伊勢神宮内宮の別宮・月読宮、外宮の別宮・月夜見宮の主祭神。

木花咲耶姫命

木花咲耶姫命

神

このはなさくやひめのみこと

神代

日本神話の女神。大山祇神の娘で、瓊瓊杵尊(=天孫降臨の主役)の后。富士山(=浅間大社の主祭神)の女神として全国の浅間神社に祀られる。一夜にして懐妊し、産屋に火を放って燃え盛る炎の中で三皇子を産んだ稀有な伝承。

猿田彦命

猿田彦命

神

さるたひこのみこと

神代

日本神話の国津神。天孫降臨の際、瓊瓊杵尊を地上に案内した稀有な「道案内の神」。鼻が長く目が爛々とした稀有な異形の神。「道祖神」「庚申」と習合し、道の交差点・峠に祀られる稀有な存在。

倉稲魂神

倉稲魂神

神

うかのみたまのかみ

神代

日本神話の穀物神、稲荷信仰の主祭神。伊邪那岐神・伊邪那美神の子。「稲の魂」=米作りの守護神として全国約3万社の稲荷神社の主祭神。狐は神の使い。伏見稲荷大社が総本宮。

天宇受売命

天宇受売命

神

あめのうずめのみこと

神代

日本神話の女神。天岩戸隠れで岩戸の前で踊って天照大神を引き出した稀有な「日本最古の踊り手」。天孫降臨では猿田彦命と問答した稀有な存在。芸能・舞踊・縁結びの神として全国に祀られる。

玉依姫命

玉依姫命

神

たまよりひめのみこと

神代

日本神話の女神。海神・綿津見大神の娘で、神武天皇の母。姉・豊玉姫の子(=神武天皇の父・鵜葺草葺不合命)を養育するため陸に上がり、後に結婚して神武天皇を産んだ稀有な存在。

思金神

思金神

神

おもいかねのかみ

神代

日本神話の知恵の神。高皇産霊神の子。天岩戸隠れの際、八百万の神々の協議の中心となり、天宇受売命の踊り・八咫鏡の制作などを提案した稀有な「知恵の神」。

武甕槌神

武甕槌神

神

たけみかづちのかみ

神代

日本神話の武神・雷神・剣の神。出雲国譲りで、大国主大神の子・建御名方神を諏訪まで追って降伏させた稀有な活躍。藤原氏の氏神として春日大社の主祭神。茨城・鹿島神宮の主祭神。

経津主神

経津主神

神

ふつぬしのかみ

神代

日本神話の武神・剣の神。出雲国譲りで武甕槌神と共に出雲に派遣された稀有な存在。千葉・香取神宮の主祭神。藤原氏の氏神として春日大社の主祭神の一柱。

高皇産霊神

高皇産霊神

神

たかみむすひのかみ

神代

日本神話の最高神の一柱。「造化三神」(=天之御中主神・高皇産霊神・神産巣日神)の一柱、高天原の祖神。天孫降臨を指揮し、瓊瓊杵尊を地上に降ろした稀有な存在。思金神の父。

天児屋命

天児屋命

神

あめのこやねのみこと

神代

日本神話の神。中臣連(=後の藤原氏)の祖神。天岩戸隠れで祝詞を奏上し、天孫降臨で瓊瓊杵尊に従って地上に降りた稀有な「祝詞の神」。春日大社の主祭神の一柱(=春日四神)、藤原氏の氏神。

大山祇神

大山祇神

神

おおやまつみのかみ

神代

日本神話の山の神。伊邪那岐神・伊邪那美神の子。木花咲耶姫命・磐長姫命の父。瀬戸内海の大山祇神社(伊予国一宮)の主祭神。富士山の女神・木花咲耶姫の父神として、富士山信仰の根源にも関わる稀有な存在。

蛭子神

蛭子神

神

ひるこのかみ

神話時代

記紀神話に登場する神。伊邪那岐命・伊邪那美命の最初の子として生まれるも、三年経っても足腰が立たなかったため葦船に乗せて海に流されたと伝わる稀有な悲哀の神。国生みの神統譜からは外されるが、後世「海の彼方から流れ着く神」の伝承と結びつき、七福神の恵比寿神と習合したことで広く信仰を集めるようになった。西宮神社(兵庫)の祭神として名高い。

豊玉姫命

神

とよたまひめのみこと

神話時代

日本神話に登場する女神。海神(わたつみ)・豊玉彦命の娘で、山幸彦(火折尊)の妻。 神武天皇の父・鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあわせずのみこと)を産んだことで知られる。 真の姿は八尋の大和邇(やひろのおおわに)とされ、出産の瞬間を夫に覗き見られて海に帰ったという「見るなのタブー」の神話の主人公。 海上安全・縁結びの神として全国で祀られる。

五十猛命

神

いたけるのみこと

神話時代

素戔嗚尊の子とされる木の神。 日本書紀の一書に、父とともに新羅の曽尸茂梨(そしもり)に降り、そこを嫌って埴土の舟で出雲へ渡ったと記される。 天降りのときに携えた木の種を韓地には植えず、すべて持ち帰って筑紫から大八洲国のすみずみまで播き、国土を青山にしたという。その功により「有功之神(いさおしのかみ)」と称えられ、紀伊国に鎮まる大神とされた。林業・建築・造船の神、そして船を通じて航海の神として祀られる。

推古天皇

推古天皇

天皇

すいこてんのう

飛鳥時代(554-628)

日本初の女帝、第33代天皇(554-628)。第29代欽明天皇の皇女。聖徳太子を摂政、蘇我馬子を大臣とし、冠位十二階・十七条憲法・遣隋使派遣で古代国家の基礎を築いた稀有な女帝。

天智天皇

天智天皇

天皇

てんじてんのう

飛鳥時代(626-672)

第38代天皇(626-672)。中大兄皇子の名で、藤原鎌足と共に蘇我入鹿を暗殺(=乙巳の変、645)し「大化の改新」を実現した稀有な革命家。天智天皇即位後、近江京遷都・庚午年籍(日本初の戸籍)制定など中央集権国家の基礎を築いた。

持統天皇

持統天皇

天皇

じとうてんのう

飛鳥時代(645-703)

第41代天皇(645-703)。日本史上3人目の女帝。第38代天智天皇の娘、第40代天武天皇の皇后。夫・天武天皇の死後、即位して飛鳥浄御原令の制定・藤原京遷都を主導した稀有な女帝。百人一首「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」の作者。

聖武天皇

聖武天皇

天皇

しょうむてんのう

奈良時代(701-756)

第45代天皇(701-756)。仏教を国家鎮護の中核に据えた稀有な天皇。東大寺大仏建立、国分寺・国分尼寺の全国整備、行基菩薩の登用、鑑真和上の招請など、奈良仏教文化の最盛期を築いた。

桓武天皇

桓武天皇

天皇

かんむてんのう

奈良・平安(737-806)

第50代天皇(737-806)。平安京遷都(794)を実現した稀有な改革者。延暦寺(最澄登用)・坂上田村麻呂(=東北平定)・蝦夷征討など、平安時代の幕開けを告げた稀有な天皇。

後白河院

後白河院

天皇

ごしらかわいん

平安時代(1127-1192)

第77代天皇・後の法皇(1127-1192)。在位3年で譲位後、約30年間院政を主導した稀有な存在。保元・平治の乱・源平合戦の主役、平清盛・源頼朝にも翻弄されつつ最後まで生き残った稀有な政治的怪物。源頼朝に「日本一の大天狗」と評された。

後鳥羽院

後鳥羽院

天皇

ごとばいん

平安・鎌倉(1180-1239)

第82代天皇・後の上皇(1180-1239)。承久3年(1221)、鎌倉幕府打倒を企てて挙兵(=承久の乱)するも敗北、隠岐に流された稀有な悲劇の天皇。多才な文化人として『新古今和歌集』の編纂を主導、刀剣の自作にも秀でた。

後醍醐天皇

後醍醐天皇

天皇

ごだいごてんのう

南北朝時代(1288-1339)

第96代天皇(1288-1339)。鎌倉幕府を倒して「建武の新政」を行うも、足利尊氏の謀反で吉野に逃れて南朝を立てた稀有な革命的天皇。南北朝動乱の主役。

神武天皇

神武天皇

天皇

じんむてんのう

神代

日本の初代天皇。日向(=宮崎)から東征し、橿原宮(=奈良)で即位したとされる伝説の天皇。即位日(紀元前660年2月11日)が現代の「建国記念の日」の由来。

応神天皇

応神天皇

天皇

おうじんてんのう

古墳時代

第15代天皇、神功皇后の子。死後「八幡神(=武運の神)」として神格化され、全国約44,000社の八幡神社の主祭神となった。源氏の氏神として武家の篤い信仰を集めた。

神功皇后

神功皇后

天皇

じんぐうこうごう

神代

第14代仲哀天皇の后、第15代応神天皇(=八幡神)の母。三韓征伐(=朝鮮半島出兵)の女性英雄として神格化された。住吉大社・宇佐神宮など多くの神社の主祭神。

日本武尊

日本武尊

伝説の英雄

やまとたけるのみこと

神代

第12代景行天皇の皇子。九州の熊襲征伐・東国遠征で活躍した古代日本最大の英雄。「日本武尊」の名は熊襲の建(ある)が降伏時に贈ったもの。能煩野(三重)で病没し、白鳥となって飛び去った稀有な伝説。

武蔵坊弁慶

武蔵坊弁慶

伝説の英雄

むさしぼうべんけい

平安時代(?-1189)

平安末期の僧兵(?-1189)。源義経の家臣として、平家追討・義経の逃避行に付き従った稀有な怪力の英雄。京都・五条橋での義経との出会い、義経弁慶の主従関係、奥州衣川の戦いでの「立ち往生」など多くの伝説に彩られた。

巴御前

巴御前

伝説の英雄

ともえごぜん

平安時代

平安末期の女武者。木曽義仲の愛妾・腹心。容貌絶美にして、強弓・剛力で「一人当千の兵」と称された稀有な女傑。倶利伽羅峠など主要合戦で先陣を切ったとされる。義仲の死を見届けて落ち延びた。

静御前

静御前

伝説の英雄

しずかごぜん

平安・鎌倉

平安末期から鎌倉初期の白拍子(=男装で歌い舞う遊女)。源義経の愛妾。義経が頼朝に追われて吉野山に逃れた際に同行、後に捕らえられて鎌倉に送られた稀有な悲劇。鶴岡八幡宮で頼朝の前で「しづやしづ賤のをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」と義経を慕う歌を舞った稀有な伝説。

玄奘三蔵法師

玄奘三蔵法師

僧侶

げんじょうさんぞうほうし

中国唐(602-664)

中国唐代の僧(602-664)。インド・ナーランダ大学に留学、17年間で657部の仏典を中国に持ち帰った稀有な大事業。帰国後、太宗・高宗の篤い帰依を受けて経典翻訳に没頭、『大唐西域記』を著した。後の「西遊記」のモデル。

鑑真和上

鑑真和上

僧侶

がんじんわじょう

中国唐・奈良(688-763)

中国・唐の僧(688-763)。日本の戒律を整備するため、12年間で5度の渡航失敗と失明を乗り越え、6度目の試みで天平勝宝5年(753)に来日。東大寺で日本初の正式な授戒を行い、唐招提寺を開いた稀有な渡来僧。

性空上人

性空上人

僧侶

しょうくうしょうにん

平安時代(910-1007)

平安中期の天台宗の僧(910-1007)。書写山圓教寺の開山。 康保3年(966)、播磨国(=兵庫県)の書写山(しょしゃざん)に登って草庵を結び、圓教寺を開いた高僧。 後に西国33観音第27番札所となった。

興教大師覚鑁

興教大師覚鑁

僧侶

こうぎょうだいしかくばん

平安時代(1095-1143)

平安後期の真言宗の高僧(1095-1143)。空海以来の真言宗中興の祖、新義真言宗の創始者。高野山で活動するも、保守派との対立で根来山(=和歌山)に移り、新しい真言宗の流れを築いた。

西行法師

西行法師

僧侶

さいぎょうほうし

平安時代(1118-1190)

平安末期の歌人・僧(1118-1190)。武士・北面の武士を辞して23歳で出家、生涯を旅と歌に捧げた稀有な「歌僧」。『新古今和歌集』に最多入選、「願はくは花の下にて春死なむ」の願い通り旧暦2月16日に入寂した稀有な人。

法然上人

法然上人

僧侶

ほうねんしょうにん

平安・鎌倉(1133-1212)

浄土宗の宗祖(1133-1212)。比叡山で修行後、43歳で「専修念仏」を提唱して浄土宗を開いた。「南無阿弥陀仏」と称えるだけで救われるという稀有な平易な教えで、貴族から庶民まで広く信仰を集めた。

栄西禅師

栄西禅師

僧侶

えいさいぜんじ

平安・鎌倉(1141-1215)

日本の臨済宗(りんざいしゅう)を開いた僧。二度にわたって宋(そう、当時の中国)へ渡り、臨済禅を学んで日本に伝えた。博多の聖福寺(しょうふくじ)、京都の建仁寺(けんにんじ)、鎌倉の寿福寺(じゅふくじ)を開き、朝廷と鎌倉幕府の双方に禅を公認させた人物である。宋から茶の種を持ち帰って栽培と飲み方を広め、『喫茶養生記(きっさようじょうき)』を著したことから「茶祖(ちゃそ)」とも呼ばれる。

親鸞聖人

親鸞聖人

僧侶

しんらんしょうにん

平安・鎌倉(1173-1263)

浄土真宗の宗祖(1173-1263)。法然上人の弟子、「他力本願」「悪人正機」の独特な教えで在家仏教を確立した。妻帯(=肉食妻帯)・在家僧侶の道を切り拓いた稀有な宗教改革者。

明恵上人

明恵上人

僧侶

みょうえしょうにん

鎌倉時代(1173-1232)

鎌倉時代の華厳宗の僧(1173-1232)。京都・栂尾(とがのお)の高山寺を再興、華厳宗を中興した稀有な高僧。「夢日記」(40年間の夢を記録)で世界的に有名な稀有な記録者。鳥獣戯画(=高山寺所蔵)とも関連が深い。

道元禅師

道元禅師

僧侶

どうげんぜんじ

鎌倉時代(1200-1253)

曹洞宗の開祖(1200-1253)。比叡山で修行後、宋に渡って曹洞禅を学び、帰国後に永平寺(福井)を開いた。「只管打坐(=ひたすら坐禅する)」の禅風と『正法眼蔵』の哲学的著作で知られる稀有な宗教者・思想家。

日蓮聖人

日蓮聖人

僧侶

にちれんしょうにん

鎌倉時代(1222-1282)

日蓮宗の宗祖(1222-1282)。安房(=千葉)に生まれ、比叡山で修行後、「南無妙法蓮華経」の題目を中心とする独特な宗派を開いた。鎌倉幕府への過激な批判で「龍ノ口の法難」など何度も弾圧を受けた稀有な宗教者。

一遍上人

一遍上人

僧侶

いっぺんしょうにん

鎌倉時代(1239-1289)

鎌倉時代の僧、時宗の開祖(1239-1289)。「踊念仏」=念仏を唱えながら踊る稀有な布教形態で、貧民・遊女・武士に至るまで広く帰依を集めた。「捨聖(すてひじり)」=すべてを捨てた漂泊の聖として全国を遊行(ゆぎょう)した稀有な存在。

夢窓疎石

夢窓疎石

僧侶

むそうそせき

南北朝時代(1275-1351)

臨済宗の高僧・作庭家(1275-1351)。後醍醐天皇・足利尊氏から篤い帰依を受けた稀有な禅僧。京都の天龍寺・西芳寺、甲斐の恵林寺など多くの名刹を開創し、「七朝の帝師」と称された。日本庭園史の最高峰の作庭家。

一休宗純

一休宗純

僧侶

いっきゅうそうじゅん

室町時代(1394-1481)

室町時代の臨済宗の僧(1394-1481)。後小松天皇の落胤(=非公式の皇子)とされる。「とんちの一休さん」として現代も愛される稀有な存在。京都・大徳寺第48代住持を務めるも、酒・肉・女を辞さない奔放な人生で形式仏教を批判した稀有な禅僧。

天海大僧正

天海大僧正

僧侶

てんかいだいそうじょう

戦国・江戸(1536-1643)

徳川家の宗教ブレーン(1536-1643)。徳川家康・秀忠・家光の三代に仕えた天台宗の高僧。日光東照宮の創建、上野・寛永寺の開創、家康の神格化(=東照大権現)を主導した稀有な存在。108歳の長寿で知られる。

安国寺恵瓊

安国寺恵瓊

僧侶

あんこくじえけい

戦国時代(1539-1600)

戦国・安土桃山期の臨済宗の僧・武将(1539-1600)。安芸国・武田氏の出身。毛利氏の外交僧として活躍、豊臣秀吉の天下取りを早くから見抜いた稀有な眼力の人。関ヶ原の戦いで西軍に与した責任で京都・六条河原で石田三成らと共に処刑された稀有な悲劇。

沢庵宗彭

沢庵宗彭

僧侶

たくあんそうほう

江戸時代(1573-1646)

江戸初期の臨済宗の僧(1573-1646)。京都・大徳寺の住持。徳川3代将軍・徳川家光の篤い帰依を受けた稀有な高僧。「不動智神妙録」(=剣の心構えを禅で説いた書)で柳生宗矩(=家光剣術指南役)・宮本武蔵らに影響を残した。「たくあん漬け」の名の由来。

隠元禅師

隠元禅師

僧侶

いんげんぜんじ

江戸時代(1592-1673)

中国・明から来日した臨済宗の僧(1592-1673)。日本黄檗宗の開祖。承応3年(1654)、63歳で来日し、京都・宇治に萬福寺を開いた稀有な渡来僧。日本に「インゲン豆」「煎茶」「明朝体」など多くの文化を伝えた稀有な存在。

良寛

良寛

僧侶

りょうかん

江戸時代(1758-1831)

江戸後期の曹洞宗の僧・歌人・書家(1758-1831)。越後国出雲崎(=新潟県出雲崎町)出身。一生を寺を持たず、五合庵で暮らした稀有な「乞食僧」。子供と毬遊びをする無心の姿、「天上大風」など書の名筆、和歌の名作で愛される稀有な存在。

弘法大師空海

弘法大師空海

僧侶

こうぼうだいしくうかい

平安時代

真言宗の開祖(774-835)。讃岐(=香川)に生まれ、唐に渡って密教を学び、帰国後に高野山金剛峯寺を開いた。四国八十八ヶ所霊場の創始、書道(=「弘法は筆を選ばず」)、漢詩・著述など多方面の天才。

伝教大師最澄

伝教大師最澄

僧侶

でんぎょうだいしさいちょう

平安時代

日本天台宗の開祖(767-822)。近江(=滋賀)に生まれ、唐に渡って天台教学を学び、帰国後に比叡山延暦寺を中心とした天台宗を確立。日本仏教の母なる宗派として後の鎌倉新仏教の祖師たちを輩出。

行基菩薩

行基菩薩

僧侶

ぎょうきぼさつ

奈良時代

奈良時代の僧(668-749)。各地で布教・社会事業(=橋・道路・池の建設)を行い、東大寺大仏建立の勧進(=寄付集め)を主導した。日本初の「大僧正」、聖武天皇からの「菩薩」号を受けた稀有な高僧。

慈覚大師円仁

慈覚大師円仁

僧侶

じかくだいしえんにん

平安時代

平安時代の天台宗の高僧(794-864)。最澄の弟子で、天台宗第3代座主。唐に渡り「入唐求法巡礼行記」を著した稀有な留学僧。帰国後、関東一円に多くの寺院を開創し、東日本の天台宗の基礎を築いた。

元三大師良源

元三大師良源

僧侶

がんざんだいしりょうげん

平安時代

平安時代の天台宗の高僧(912-985)。比叡山中興の祖、天台宗第18代座主。「おみくじ」の創始者とされる稀有な存在。1月3日に入寂したことから「元三大師(=元三日のお大師)」と呼ばれる。「角大師」の図像で疫病退散のお札として全国に普及。

達磨大師

達磨大師

僧侶

だるまだいし

中国南北朝(?-528)

中国禅宗の開祖、6世紀のインド出身僧(?-528?)。南インド出身、中国・南朝梁の武帝と問答後、嵩山少林寺で「面壁九年」の修行を行った稀有な存在。日本では「だるま人形」「七転び八起き」の象徴として親しまれる。

行円

僧侶

ぎょうえん

平安時代(中期)

平安時代中期、京都で革堂(かわどう、行願寺)を開いた僧侶。もとは豊後国(ぶんごのくに、現在の大分県)出身の猟師だったが、身ごもった雌鹿(めじか)を射止めてしまったことを悔い、出家したと伝わる。以来、鹿の革をまとって都を歩き、人々に教えを説いたことから「革聖(かわひじり)」と呼ばれた。

蘇我馬子

蘇我馬子

公家

そがのうまこ

飛鳥時代(551-626)

飛鳥時代の権臣(551?-626)。第29代欽明天皇から第33代推古天皇まで5代の天皇に大臣として仕えた稀有な権力者。聖徳太子と共に仏教興隆を推進、物部守屋を滅ぼした稀有な政治家。死後、石舞台古墳に葬られたとされる。

藤原鎌足

藤原鎌足

公家

ふじわらのかまたり

飛鳥時代(614-669)

飛鳥時代の貴族(614-669)。中臣鎌子(なかとみのかまこ)が本名。中大兄皇子(=後の天智天皇)と共に蘇我入鹿を暗殺(=乙巳の変、645)し「大化の改新」を実現した稀有な政治家。死の直前、天智天皇から「藤原」の姓を賜り、後の藤原氏の祖となった稀有な存在。

安倍仲麻呂

安倍仲麻呂

公家

あべのなかまろ

飛鳥・奈良(698-770)

奈良時代の貴族・遣唐留学生(698-770)。19歳で遣唐使として唐に渡り、優秀な成績で唐の科挙に合格、唐朝の高官(=安南都護)まで昇進した稀有な存在。唐の詩人・李白・王維と親交。帰国を試みるも嵐で挫折し、唐で没した稀有な悲劇。

光明皇后

光明皇后

公家

こうみょうこうごう

奈良時代(701-760)

聖武天皇の皇后(701-760)。藤原不比等(=藤原氏の事実上の祖)の娘。仏教に深く帰依し、東大寺・国分寺・国分尼寺の建立を後押した稀有な皇后。「悲田院・施薬院」=日本初の福祉施設を設立した稀有な慈悲深い存在。

楊貴妃

楊貴妃

公家

ようきひ

中国唐(719-756)

中国・唐の玄宗皇帝の寵姫(719-756)。世界三大美女(=クレオパトラ・小野小町・楊貴妃)の一人。安史の乱(755-763)を引き起こすほどの寵愛を受け、最後は皇帝に従って蜀へ逃れる途上の馬嵬坡で縊死。日本では山口県・楊貴妃の里に流れ着いたとされる伝説。

小野篁

小野篁

公家

おののたかむら

平安時代(802-853)

平安初期の貴族・歌人・学者(802-853)。漢詩・和歌に優れ、参議まで昇った。「昼は朝廷、夜は閻魔大王の補佐」という稀有な伝説の主人公。京都・六道珍皇寺の「冥途通いの井戸」が有名。

在原業平

在原業平

公家

ありわらのなりひら

平安時代(825-880)

平安前期の貴族・歌人(825-880)。第51代平城天皇の孫、阿保親王の五男。「伊勢物語」の主人公とされ、絶世の美男・恋多き貴公子の代名詞。六歌仙・三十六歌仙の一人。「ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」が代表作。

藤原道長

藤原道長

公家

ふじわらのみちなが

平安時代(966-1028)

平安中期の最高権力者(966-1028)。摂関政治の頂点を築いた稀有な政治家。「この世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」の歌で知られる。三女・彰子が紫式部を女房として召し抱え、『源氏物語』が生まれる稀有な文化的影響を残した。

源義朝の妻 常磐御前

源義朝の妻 常磐御前

公家

ときわごぜん

平安時代(1138-1180)

平安末期の女性(1138-1180?)。源義朝の側室、源義経の母。平治の乱(1159)で義朝が敗死後、子(=今若・乙若・牛若=後の義経)を連れて雪の中を逃避行、平清盛に捕らえられるも美貌で清盛の側室となり子の命を救った稀有な悲劇の母。

北条政子

北条政子

公家

ほうじょうまさこ

平安・鎌倉(1157-1225)

鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の正室(1157-1225)。頼朝死後、子の2代将軍頼家・3代将軍実朝も相次いで死去すると、出家しながら「尼将軍」として幕府の実権を掌握。承久の乱で京都の朝廷を破った稀有な女傑。

北畠親房

北畠親房

公家

きたばたけちかふさ

南北朝時代(1293-1354)

南北朝時代の公家・軍人(1293-1354)。後醍醐天皇の側近として南朝を支えた稀有な政治家。建武の新政が崩壊した後、関東に下り南朝の拠点を築こうとした。代表作『神皇正統記』=南朝の正統性を説いた稀有な歴史書。

お市の方

お市の方

公家

おいちのかた

戦国時代(1547-1583)

戦国時代の女性(1547-1583)。織田信長の妹、浅井長政の正室、後に柴田勝家の妻。戦国一の美女と称された稀有な存在。三人の娘(=浅井三姉妹)の母。賤ヶ岳の戦いで夫・勝家と共に北ノ庄城で自害した稀有な悲劇。

北政所

北政所

公家

きたのまんどころ

戦国・江戸(1549-1624)

豊臣秀吉の正室(1549?-1624)。名は「ねね」または「おね」。 身分の低い若者だった秀吉と、当時としては珍しい恋愛結婚で結ばれ、夫が天下人になるまでを共にした。 秀吉が関白になると「北政所」と呼ばれ、女性としては破格の従一位を授かっている。 夫の死後も26年を生き、豊臣家が滅びるまでを見届けた人でもある。

細川ガラシャ

細川ガラシャ

公家

ほそかわがらしゃ

戦国時代(1563-1600)

戦国時代の女性キリシタン(1563-1600)。明智光秀の三女、細川忠興(=細川幽斎)の正室。本能寺の変後、夫から幽閉されるも信仰を貫き、洗礼名「ガラシャ」(=ラテン語の Gratia=恵み)を受洗。関ヶ原前夜、石田三成方の人質要求を拒んで自死(=家臣に斬らせた)した稀有な悲劇。

淀殿

淀殿

公家

よどどの

戦国・江戸(1569-1615)

豊臣秀吉の側室、豊臣秀頼の母(1569-1615)。浅井長政とお市の方の長女、本名・茶々。秀吉の死後、豊臣家の実質的支配者となるも、慶長20年(1615)、大坂夏の陣で大坂城落城、秀頼と共に自害した稀有な悲劇。

お江

お江

公家

おごう

戦国・江戸(1573-1626)

徳川秀忠の正室、徳川家光の母(1573-1626)。浅井長政とお市の方の三女、淀殿の妹。「浅井三姉妹」の末妹。3度の結婚を経験した稀有な経歴。

春日局

春日局

公家

かすがのつぼね

戦国・江戸(1579-1643)

徳川3代将軍・徳川家光の乳母(1579-1643)。本名・斎藤福。明智光秀の家臣・斎藤利三の娘。家光擁立の功で大奥を統括し、江戸期女性最高権力者となった稀有な存在。

千姫

千姫

公家

せんひめ

戦国・江戸(1597-1666)

徳川秀忠の長女、徳川家光の姉(1597-1666)。 豊臣秀頼(=淀殿)の正室、後に本多忠刻の正室。 大坂夏の陣(1615)で大坂城落城時に救出された。

岩倉具視

岩倉具視

公家

いわくらともみ

幕末・明治(1825-1883)

幕末・明治の公家・政治家(1825-1883)。京都の中級公家から、王政復古の大号令(1867)を主導した稀有な革命的公家。明治政府で右大臣・岩倉使節団の特命全権大使などを歴任した稀有な元勲。旧500円札の肖像。

三条実美

三条実美

公家

さんじょうさねとみ

幕末・明治(1837-1891)

幕末・明治の公家・政治家(1837-1891)。京都の名門公家・三条家の出身。尊王攘夷派の公家として「七卿落ち」(=1863)で長州に下った稀有な経歴。明治新政府で右大臣・太政大臣(=明治期の最高位)を歴任した稀有な元勲。

聖徳太子

聖徳太子

公家

しょうとくたいし

飛鳥時代

飛鳥時代の皇族・政治家(574-622)。第31代用明天皇の皇子、推古天皇の摂政。十七条憲法・冠位十二階の制定、遣隋使の派遣、法隆寺・四天王寺の建立など、古代日本の国家形成と仏教興隆の中核。

額田王

額田王

公家

ぬかたのおおきみ

飛鳥時代

飛鳥時代の歌人(7世紀)。第36代孝徳天皇期から第41代持統天皇期に活躍。第40代天武天皇(=大海人皇子)の妻となり十市皇女を産む、後に第38代天智天皇(=中大兄皇子)に愛され、兄弟との三角関係で有名な稀有な美女。「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」が代表作。

役行者

役行者

その他

えんのぎょうじゃ

飛鳥時代(634-701)

飛鳥時代の呪術者(634-701)。日本修験道の開祖。大和葛城山で修行、大峯山・吉野山を開いて修験道の基礎を築いた稀有な伝説的存在。「神変大菩薩」の称号で全国の山岳寺院に祀られる。

安倍晴明

安倍晴明

その他

あべのせいめい

平安時代(921-1005)

平安中期の陰陽師(921-1005)。陰陽寮の天文博士、第65代花山天皇・一条天皇らに仕えた稀有な陰陽道の最高権威。式神を操ったとされる伝説の魔術師、現代も京都・晴明神社で祀られる。

蘆屋道満

蘆屋道満

その他

あしやどうまん

平安時代

平安中期の伝説的陰陽師。安倍晴明の好敵手として「今昔物語集」「宇治拾遺物語」に登場する稀有な存在。実在性は不明だが、後の歌舞伎・浄瑠璃で人気の悪役陰陽師として描かれた。播磨国(=兵庫県)出身。

倭姫命

倭姫命

その他

やまとひめのみこと

上古(垂仁天皇の御代)

第11代垂仁天皇の第四皇女。天照大神の御杖代(みつえしろ)として大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を巡り、神託により伊勢の地に皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したと伝わる人物。斎宮制度の伝説上の起源とされ、東征に向かう甥・日本武尊に草薙剣を授けたことでも知られる。

柿本人麻呂

柿本人麻呂

学者・文化人

かきのもとのひとまろ

飛鳥時代(660-720)

飛鳥時代の宮廷歌人(660?-720?)。万葉集の代表的歌人で、「歌聖(かせい)」と称される稀有な存在。持統天皇・文武天皇に仕え、儀礼歌・挽歌・羈旅歌など多様な歌風で大和歌の頂点を築いた。三十六歌仙の一人。

紀貫之

紀貫之

学者・文化人

きのつらゆき

平安時代(872-945)

平安前期の歌人(872?-945?)。古今和歌集の撰者の一人で、有名な「仮名序」の作者。「土佐日記」(935頃)=自身を女性に仮託した稀有な日本初の仮名日記文学の作者。三十六歌仙の一人。

清少納言

清少納言

学者・文化人

せいしょうなごん

平安時代(966-1025)

平安中期の女流文学者(966?-1025?)。一条天皇の中宮・藤原定子(=道隆の娘)に仕えた女房。代表作『枕草子』=日本随筆文学の最高峰、「春はあけぼの」の冒頭で有名。紫式部と並ぶ平安女流文学の二大スター。

紫式部

紫式部

学者・文化人

むらさきしきぶ

平安時代(970-1019)

平安中期の女性文学者(970?-1019?)。 世界最古の長編小説『源氏物語』の作者。 藤原道長の娘・彰子の女房として宮仕えしながら、当時の宮廷生活を題材に54帖の長編を著した。

和泉式部

和泉式部

学者・文化人

いずみしきぶ

平安時代(978-1040)

平安中期の女流歌人(978?-1040?)。情熱的な恋愛遍歴で名高く、為尊親王・敦道親王(=共に皇族)との恋、藤原保昌との結婚など稀有な恋多き人生。代表作『和泉式部日記』『和泉式部集』。三十六歌仙・百人一首にも採られた稀有な才能。

雪舟

雪舟

学者・文化人

せっしゅう

室町時代(1420-1506)

室町時代の禅僧・水墨画家(1420-1506)。日本水墨画の最高峰、「画聖」と称される稀有な存在。明に渡って中国画を学び、独自の力強い水墨画風を確立。代表作『秋冬山水図』『四季山水図巻(山水長巻)』『天橋立図』など6点が国宝。

樂長次郎

樂長次郎

学者・文化人

らくちょうじろう

戦国時代(1516-1592)

戦国時代の陶工(1516-1592)。中国・明から来日した陶工の子。千利休の指導で「楽焼」(=手捏ねの黒・赤茶碗)を創始した稀有な存在。「樂家」初代として、現代まで続く樂焼の流派を開いた。

千利休

千利休

学者・文化人

せんのりきゅう

戦国時代(1522-1591)

戦国・安土桃山期の茶人(1522-1591)。「茶聖」と称された侘び茶の大成者。織田信長・豊臣秀吉に仕えた茶頭、わび茶の精神「和敬清寂」を確立し、現代の茶道の基礎を築いた稀有な存在。秀吉に切腹を命じられた悲劇の最期。

長谷川等伯

長谷川等伯

学者・文化人

はせがわとうはく

戦国時代(1539-1610)

安土桃山時代の絵師(1539-1610)。能登国七尾(=石川県七尾市)出身。狩野永徳と並ぶ桃山絵画の二大巨匠。代表作『松林図屏風』(=国宝)・『楓図』『智積院襖絵』(=国宝)など。武田信玄像の作者ともされる。

狩野永徳

狩野永徳

学者・文化人

かのうえいとく

戦国時代(1543-1590)

安土桃山時代の絵師(1543-1590)。狩野派の頂点、織田信長・豊臣秀吉の御用絵師として安土城・大坂城・聚楽第の障壁画を描いた稀有な存在。代表作『唐獅子図屏風』『洛中洛外図屏風(上杉本)』(=国宝)。

古田織部

古田織部

学者・文化人

ふるたおりべ

戦国時代(1543-1615)

安土桃山・江戸初期の茶人・大名(1543-1615)。千利休七哲の一人。利休の侘び茶を継承しつつ、独自の「歪み(ゆがみ)」「奇抜」を尊ぶ茶風「織部好み」を確立した稀有な存在。「織部焼」の創始者。大坂夏の陣の後、家康に切腹を命じられた稀有な悲劇。

本阿弥光悦

本阿弥光悦

学者・文化人

ほんあみこうえつ

戦国・江戸(1558-1637)

安土桃山・江戸初期の芸術家(1558-1637)。京都の刀剣鑑定家本阿弥家の出。書道・陶芸・蒔絵・茶の湯に天才的な才能を発揮した稀有な総合芸術家。「寛永の三筆」の一人(=本阿弥光悦・近衛信尹・松花堂昭乗)。京都・洛北鷹峯に芸術家村「光悦村」を作った稀有な存在。

千宗旦

千宗旦

学者・文化人

せんのそうたん

戦国・江戸(1578-1658)

安土桃山・江戸初期の茶人(1578-1658)。千利休の孫。利休の侘び茶を継承し、自身の3人の子に「表千家・裏千家・武者小路千家」の三千家を分立させた稀有な「茶道三千家の祖」。

小堀遠州

小堀遠州

学者・文化人

こぼりえんしゅう

江戸時代(1579-1647)

江戸初期の茶人・大名・作庭家(1579-1647)。古田織部の弟子で、「綺麗さび(きれいさび)」の茶風を確立。徳川3代将軍・徳川家光の茶道指南役。仙洞御所・桂離宮・南禅寺金地院・大徳寺孤篷庵など多くの名園を残した稀有な作庭家。

林羅山

林羅山

学者・文化人

はやしらざん

江戸時代(1583-1657)

江戸初期の儒学者(1583-1657)。 藤原惺窩に朱子学を学び、23歳で徳川家康に仕えてから、秀忠・家光・家綱まで四代の将軍に仕えた。 武家諸法度の起草に関わり、上野忍岡に開いた学問所はのちの湯島聖堂・昌平坂学問所へと続く。 全国の神社の縁起を儒者の目で検証した『本朝神社考』の著者でもある。

関孝和

関孝和

学者・文化人

せきたかかず

江戸時代(1642-1708)

江戸前期の数学者(1642-1708)。「和算」(=日本独自の数学)の祖。微分・積分の先駆け、行列式の発見、円周率の計算など、当時の世界数学に匹敵する稀有な業績を残した稀有な数学者。

井原西鶴

井原西鶴

学者・文化人

いはらさいかく

江戸時代(1642-1693)

江戸前期の浮世草子作者・俳人(1642-1693)。大阪の町人。元は俳人として「矢数俳諧(やかずはいかい)」(=一昼夜で詠む俳句の数を競う)で2万3,500句の記録を作った稀有な俳人。後に浮世草子(=町人文学)の傑作『好色一代男』『日本永代蔵』『世間胸算用』を残した稀有な大文豪。

松尾芭蕉

松尾芭蕉

学者・文化人

まつおばしょう

江戸時代(1644-1694)

江戸前期の俳人(1644-1694)。蕉風俳諧を確立した「俳聖」。『奥の細道』『野ざらし紀行』など旅日記の傑作を残し、各地の寺社に多くの句碑がある稀有な存在。

近松門左衛門

近松門左衛門

学者・文化人

ちかまつもんざえもん

江戸時代(1653-1725)

江戸前期の浄瑠璃・歌舞伎の脚本家(1653-1725)。「日本のシェイクスピア」と称される稀有な大作家。代表作『曾根崎心中』(1703)・『国性爺合戦』(1715)・『心中天網島』(1720)・『女殺油地獄』など、約100作の浄瑠璃・約30作の歌舞伎を残した。

尾形光琳

尾形光琳

学者・文化人

おがたこうりん

江戸時代(1658-1716)

江戸中期の絵師・工芸家(1658-1716)。京都の呉服商「雁金屋」の家に生まれ、放蕩で家産を傾けるも、後に絵画・工芸の天才として開花した稀有な存在。「琳派」の祖と称される稀有な大家。代表作『燕子花図屏風』『紅白梅図屏風』(=共に国宝)。

賀茂真淵

賀茂真淵

学者・文化人

かものまぶち

江戸時代(1697-1769)

江戸中期の国学者(1697-1769)。遠江国浜松(=静岡県浜松市)出身。『万葉集』研究の第一人者、『万葉考』『歌意考』など多くの著作を残した稀有な国学の先駆者。本居宣長・楫取魚彦らの師。「国学四大人」の一人。

与謝蕪村

与謝蕪村

学者・文化人

よさぶそん

江戸時代(1716-1784)

江戸中期の俳人・画家(1716-1784)。松尾芭蕉の系統を継ぐ俳人で、芭蕉死後衰退した俳諧を中興させた稀有な存在。「春の海ひねもすのたりのたりかな」「菜の花や月は東に日は西に」などの絵画的・写生的な名句で知られる。

伊藤若冲

伊藤若冲

学者・文化人

いとうじゃくちゅう

江戸時代(1716-1800)

江戸中期の絵師(1716-1800)。京都・錦小路の青物問屋の主人だったが、40歳で家業を弟に譲り絵画に専念。極彩色の動植物画「動植綵絵」全30幅(=皇室所蔵、国宝)で世界的に有名。近年、超絶技巧の天才として再評価が進む稀有な存在。

平賀源内

平賀源内

学者・文化人

ひらがげんない

江戸時代(1728-1780)

江戸中期の発明家・本草学者・戯作者(1728-1780)。讃岐国(=香川県)出身。エレキテル(=静電気発生装置)の修理・寒暖計の制作・物産会(=日本初の博覧会)の開催など、博学多才な稀有な存在。「土用の丑の日に鰻を食べる」キャッチコピーの発案者ともされる。

本居宣長

本居宣長

学者・文化人

もとおりのりなが

江戸時代(1730-1801)

江戸中期の国学者(1730-1801)。伊勢国松坂(=三重県松阪市)の商家出身。賀茂真淵に師事し、生涯35年をかけて『古事記伝』全44巻を完成させた稀有な大業績。「もののあはれ」の文学論で『源氏物語』を再評価した稀有な思想家。「国学四大人」の一人。

円山応挙

円山応挙

学者・文化人

まるやまおうきょ

江戸時代(1733-1795)

江戸中期の絵師(1733-1795)。「円山派」の祖、日本写生画の祖と称される稀有な存在。写実的描写と装飾的構図を融合した稀有な画風で、屏風絵・襖絵の傑作を多数残した。代表作『雪松図』『竹林七賢図』など。

杉田玄白

杉田玄白

学者・文化人

すぎたげんぱく

江戸時代(1733-1817)

江戸中期の蘭方医(1733-1817)。前野良沢らと共に、オランダの解剖書『ターヘル・アナトミア』を翻訳して『解体新書』(1774)を刊行した稀有な大事業。日本の近代医学・蘭学の幕開けを告げた稀有な存在。晩年の回想録『蘭学事始(=蘭東事始)』が稀有な名著。

喜多川歌麿

喜多川歌麿

学者・文化人

きたがわうたまろ

江戸時代(1753-1806)

江戸中期の浮世絵師(1753-1806)。「美人大首絵」(=女性の上半身を大写しにした構図)で世界的に有名な稀有な美人画の達人。歌麿が描く女性は「美人画の最高峰」とされ、ゴッホ・モネら西洋画家にも影響を残した稀有な存在。

葛飾北斎

葛飾北斎

学者・文化人

かつしかほくさい

江戸時代(1760-1849)

江戸後期の浮世絵師(1760-1849)。約90年の生涯で3万点を超える作品を残した稀有な画家。代表作『冨嶽三十六景』『北斎漫画』が世界的に有名。「冨嶽三十六景神奈川沖浪裏」は世界最高の浮世絵の一つ。

小林一茶

小林一茶

学者・文化人

こばやしいっさ

江戸時代(1763-1828)

江戸後期の俳人(1763-1828)。信濃国柏原(=長野県信濃町)出身。継母との確執で15歳で江戸に奉公、放浪を続けながら俳諧を学んだ稀有な不遇の俳人。庶民の哀しみ・小動物への慈愛を詠んだ素朴な作風で、「やせ蛙負けるな一茶これにあり」「我と来て遊べや親のない雀」など人懐かしい名句で知られる。

滝沢馬琴

滝沢馬琴

学者・文化人

たきざわばきん

江戸時代(1767-1848)

江戸後期の戯作者(1767-1848)。代表作『南総里見八犬伝』(全98巻、28年の歳月を費やした稀有な大長編)で日本文学史に巨大な足跡を残した。晩年は失明しながらも口述で執筆を続けた稀有な作家。

歌川広重

歌川広重

学者・文化人

うたがわひろしげ

江戸時代(1797-1858)

江戸後期の浮世絵師(1797-1858)。風景画の最高峰、「東海道五十三次」「名所江戸百景」「六十余州名所図会」などの名所絵で世界的に有名。葛飾北斎と並ぶ江戸風景画の二大巨匠で、ゴッホが模写するなど西洋に巨大な影響。

横井小楠

横井小楠

学者・文化人

よこいしょうなん

幕末(1809-1869)

幕末の儒学者・思想家(1809-1869)。熊本藩士、福井藩主・松平春嶽の招きで福井藩政改革を主導した稀有な思想家。「公共の政(=こうきょうのまつりごと、=民のための政治)」を説いた稀有な近代政治思想の先駆者。坂本龍馬の「船中八策」の起草に影響を残した稀有な存在。明治2年(1869)、京都で暗殺された稀有な悲劇。

緒方洪庵

緒方洪庵

学者・文化人

おがたこうあん

幕末(1810-1863)

幕末の蘭方医・教育者(1810-1863)。備中国(=岡山県)出身、長崎・大坂でオランダ医学を学んだ稀有な蘭学者。天保9年(1838)、大坂に「適々斎塾(=適塾)」を開き、福沢諭吉・大村益次郎・大鳥圭介・橋本左内ら明治維新の主役を多数育てた稀有な教育者。

佐久間象山

佐久間象山

学者・文化人

さくましょうざん

幕末(1811-1864)

幕末の信濃国(=長野県)松代藩士・思想家(1811-1864)。儒学・蘭学・西洋兵学に通じた稀有な天才。吉田松陰・河井継之助・坂本龍馬らの師。「東洋道徳・西洋芸術(=技術)」を主張した稀有な開国論者。元治元年(1864)、京都で攘夷派志士に暗殺された稀有な悲劇。

ジョン万次郎

ジョン万次郎

学者・文化人

じょんまんじろう

幕末(1827-1898)

幕末の通訳・教育者(1827-1898)。土佐国(=高知県)の漁師の家に生まれ、14歳で漁に出て遭難、米国捕鯨船に救助されて米国に渡った稀有な経歴。10年後に帰国、英語通訳として日米和親条約(1854)・遣米使節団・万延元年遣米使節などで活躍した稀有な日米外交の架け橋。

吉田松陰

吉田松陰

学者・文化人

よしだしょういん

幕末(1830-1859)

幕末の長州藩士・思想家(1830-1859)。萩(=山口県)の松下村塾で高杉晋作・木戸孝允・伊藤博文・山県有朋ら維新の元勲を多数育てた稀有な教育者。安政の大獄(1858-1859)で江戸・伝馬町牢屋敷で処刑された稀有な悲劇、享年30。

橋本左内

橋本左内

学者・文化人

はしもとさない

幕末(1834-1859)

幕末の越前福井藩医・思想家(1834-1859)。緒方洪庵の適塾で蘭学を学んだ稀有な才能。福井藩主・松平春嶽の腹心として、将軍継嗣問題で一橋慶喜(=徳川慶喜)擁立に奔走した稀有な大事業。安政の大獄(1859)で井伊直弼に処刑された稀有な悲劇、享年26。

福沢諭吉

福沢諭吉

学者・文化人

ふくざわゆきち

幕末・明治(1835-1901)

幕末・明治の思想家・教育者(1835-1901)。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」の『学問のすゝめ』で日本人の独立精神を啓蒙。慶應義塾を創立し近代教育の基礎を築いた稀有な存在。旧1万円札の肖像。

岩崎弥太郎

岩崎弥太郎

学者・文化人

いわさきやたろう

幕末・明治(1835-1885)

幕末・明治の実業家(1835-1885)。土佐藩士、坂本龍馬・後藤象二郎らと交流。明治期に「九十九商会」(=後の三菱商会)を創立、海運業で頭角を現した稀有な存在。日本三大財閥(=三菱・三井・住友)の一つ・三菱財閥の創始者。

渋沢栄一

渋沢栄一

学者・文化人

しぶさわえいいち

幕末・明治(1840-1931)

幕末・明治・大正・昭和の実業家(1840-1931)。「日本資本主義の父」「日本実業界の父」と称された稀有な存在。第一国立銀行・東京証券取引所など約500の企業の設立・経営に関与した稀有な実業家。令和元年(2019)、新1万円札の肖像に。

新島襄

新島襄

学者・文化人

にいじまじょう

幕末・明治(1843-1890)

幕末・明治の教育者(1843-1890)。21歳で密航してアメリカに渡り、当時の禁制を破った稀有な決断。10年余のアメリカ留学から帰国、明治8年(1875)、京都に「同志社英学校」(=現・同志社大学)を創立した稀有な教育者。

北里柴三郎

北里柴三郎

学者・文化人

きたさとしばさぶろう

明治・大正(1853-1931)

明治・大正の医学者(1853-1931)。「日本細菌学の父」。ドイツのコッホ研究所で破傷風菌の純粋培養に世界初成功、ペスト菌を発見した稀有な大業績。慶應義塾大学医学部・北里大学の創立に関与した稀有な存在。令和元年(2019)、新1000円札の肖像に。

森鴎外

森鴎外

学者・文化人

もりおうがい

明治・大正(1862-1922)

明治・大正の小説家・陸軍軍医(1862-1922)。陸軍軍医としてドイツに留学、軍医のトップ「軍医総監」に上り詰める一方、小説家としても「舞姫」「雁」「阿部一族」「高瀬舟」などの傑作を残した稀有な二刀流。夏目漱石と並ぶ近代文学の二大文豪。

夏目漱石

夏目漱石

学者・文化人

なつめそうせき

明治・大正(1867-1916)

明治・大正の小説家(1867-1916)。東京帝国大学英文学講師、ロンドン留学を経て小説家に。「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「こころ」など、日本近代文学の最高峰となる作品を多数残した稀有な文豪。旧1000円札の肖像。

樋口一葉

樋口一葉

学者・文化人

ひぐちいちよう

明治時代(1872-1896)

明治時代の小説家(1872-1896)。代表作『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』など、わずか14ヶ月の「奇跡の年」で文学史に巨大な足跡を残した稀有な才能。24歳で肺結核で夭逝。現在の五千円札の肖像。

野口英世

野口英世

学者・文化人

のぐちひでよ

明治・大正(1876-1928)

明治・大正の細菌学者(1876-1928)。福島県猪苗代町出身、左手の大火傷を乗り越えて医学を志した稀有な不屈の人。米国・ロックフェラー医学研究所で梅毒スピロヘータの純粋培養に成功、黄熱病研究中にアフリカ・ガーナで自身も黄熱に倒れて殉職した稀有な医学者。

菅原道真公

菅原道真公

学者・文化人

すがわらのみちざねこう

平安時代

平安時代の貴族・学者・政治家(845-903)。右大臣まで昇るも、藤原時平の讒言で大宰府に左遷され配所で没。死後、京都に災害が続き「祟り」とされ、北野天満宮に祀られ「学問の神」として全国に勧請された。

出雲阿国

出雲阿国

学者・文化人

いずものおくに

戦国・江戸

戦国末期の女性芸能者。歌舞伎の祖。出雲大社の巫女と称し、慶長8年(1603)、京都・四条河原で「かぶき踊り」を演じた稀有な舞台芸能のパイオニア。当時の流行語「かぶき者(=傾奇者、奇抜な格好をする若者)」を題材にした稀有なパフォーマンス。

俵屋宗達

俵屋宗達

学者・文化人

たわらやそうたつ

戦国・江戸

安土桃山・江戸初期の絵師。生没年不詳(17世紀前半に活躍)。京都の絵屋「俵屋」を経営。本阿弥光悦(=書家・工芸家)と共に「琳派」の源流を作った稀有な存在。代表作『風神雷神図屏風』(=国宝、京都・建仁寺)。

小野小町

小野小町

学者・文化人

おののこまち

平安時代

平安前期の女流歌人。「世界三大美女」(=クレオパトラ・小野小町・楊貴妃)の一人とされる稀有な美女。六歌仙・三十六歌仙の一人。「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」が代表作。「小町伝説」=老婆になった小町が貧しい生活を送ったとされる稀有な後日譚。

葛飾応為

葛飾応為

学者・文化人

かつしかおうい

江戸時代

江戸後期の女性浮世絵師。生没年不詳、19世紀前半に活躍。葛飾北斎の三女。父・北斎の助手として多くの作品を支え、独立した作品も残した稀有な女性絵師。代表作「吉原格子先之図」「夜桜美人図」など、光と影の表現で世界的に注目される稀有な才能。

平将門

平将門

武将

たいらのまさかど

平安時代(903-940)

平安中期の武将(903-940)。桓武天皇の血を引く関東の有力者。承平・天慶の乱(935-940)で関東を制圧し「新皇」を称した稀有な反乱者。藤原秀郷・平貞盛に討たれて敗死、首は京都に運ばれた。死後「祟り神」として神田明神などに祀られた。

源義家

源義家

武将

みなもとのよしいえ

平安時代(1039-1106)

平安後期の武将(1039-1106)。源頼義の長男、源頼朝の高祖父。前九年・後三年の役で奥州を平定、源氏の関東支配の基礎を築いた稀有な英雄。「八幡太郎」の異名で武家の理想像となった。

平清盛

平清盛

武将

たいらのきよもり

平安時代(1118-1181)

平安末期の武将・政治家(1118-1181)。武家として初の太政大臣に登り、平氏全盛時代を築いた。「平家にあらずんば人にあらず」の権勢。厳島神社の社殿大改修を行い、後の平家滅亡の幕開けまで描いた稀有な存在。

源義朝

源義朝

武将

みなもとのよしとも

平安時代(1123-1160)

平安末期の武将(1123-1160)。源頼朝・源義経の父。保元の乱(1156)で勝利するも平治の乱(1159)で平清盛に敗れ、尾張国・野間(=愛知県美浜町、=野間大坊)で家臣・長田忠致に裏切られて殺害された稀有な悲劇の英雄。

平重盛

平重盛

武将

たいらのしげもり

平安時代(1138-1179)

平安末期の武将(1138-1179)。平清盛の嫡男。父・清盛の専横を諌めた稀有な「義の人」。後白河院との対立を防ごうとした調停者。父より早く42歳で病没、これが平家滅亡の遠因となった稀有な存在。

源頼朝

源頼朝

武将

みなもとのよりとも

平安・鎌倉(1147-1199)

鎌倉幕府の初代将軍(1147-1199)。源義朝の三男。平治の乱で父を失い伊豆に流されるも、治承4年(1180)挙兵、平家を滅ぼして武家政権を樹立した日本史上の革命家。

木曽義仲

木曽義仲

武将

きそよしなか

平安時代(1154-1184)

平安末期の武将(1154-1184)。源義朝の従弟、源頼朝・源義経のいとこ。信濃国木曽で挙兵、倶利伽羅峠の戦いで平家を破り上洛、「朝日将軍」と称された。しかし後白河院と対立し、頼朝に討伐されて近江粟津で敗死した稀有な悲劇の英雄。

源義経

源義経

武将

みなもとのよしつね

平安・鎌倉(1159-1189)

平安末期の武将(1159-1189)。源義朝の九男、頼朝の異母弟。鞍馬寺で育ち、平家追討で稀有な戦術(一の谷の鵯越・屋島・壇ノ浦)を見せた天才武将。後に兄頼朝と対立、奥州で討死した悲劇のヒーロー。

北条義時

北条義時

武将

ほうじょうよしとき

鎌倉時代(1163-1224)

鎌倉幕府の2代執権(1163-1224)。北条政子の弟。源頼朝の死後、姉政子と共に幕府の実権を握り、承久の乱で後鳥羽院を破って武家政権を盤石にした稀有な戦略家。

北条泰時

北条泰時

武将

ほうじょうやすとき

鎌倉時代(1183-1242)

鎌倉幕府の3代執権(1183-1242)。北条義時の長男。日本初の武家法「御成敗式目」(1232)を制定し、武家社会の秩序の基礎を築いた稀有な名君。

北条時頼

北条時頼

武将

ほうじょうときより

鎌倉時代(1227-1263)

鎌倉幕府第5代執権(1227-1263)。30歳で出家し「最明寺入道」を称しながら実権を握り続けた稀有な政治家。「鉢の木」の伝説で知られる質素・公正な統治者。建長寺(=鎌倉五山第1位)を創建。

北条時宗

北条時宗

武将

ほうじょうときむね

鎌倉時代(1251-1284)

鎌倉幕府の8代執権(1251-1284)。北条時頼の嫡男。文永11年(1274)「文永の役」・弘安4年(1281)「弘安の役」の二度の元寇(=モンゴル襲来)を退けた稀有な救国の英雄。鎌倉・円覚寺を創建。

楠木正成

楠木正成

武将

くすのきまさしげ

南北朝時代(1294-1336)

鎌倉幕府を倒した元弘の乱の立役者で、後醍醐天皇の建武政権を支えた河内の武将。千早城にわずかな兵で籠もり、幕府の大軍を半年近く釘付けにして倒幕の流れを決定づけた。延元元年(1336年)、湊川で足利尊氏の軍に敗れ、弟の正季と刺し違えて自刃。明治以降は「大楠公」として神格化され、神戸の湊川神社に祀られている。

新田義貞

新田義貞

武将

にったよしさだ

南北朝時代(1301-1338)

南北朝動乱期の武将(1301-1338)。源義家の流れを汲む新田氏の当主。元弘3年(1333)、鎌倉に攻め入って北条幕府を滅亡させた稀有な英雄。後に足利尊氏と対立、越前藤島で敗死。

足利尊氏

足利尊氏

武将

あしかがたかうじ

南北朝時代(1305-1358)

室町幕府の初代将軍(1305-1358)。鎌倉幕府の有力御家人として後醍醐天皇の倒幕に与するも、後に対立して室町幕府を開いた稀有な政治家。南北朝動乱の主役。

北畠顕家

北畠顕家

武将

きたばたけあきいえ

南北朝時代(1318-1338)

南北朝時代の若き名将(1318-1338)。北畠親房の長男。16歳で陸奥守となり、東北・関東を平定して足利尊氏を一時京都から追い落とした稀有な天才将軍。21歳の若さで阿倍野(=大阪)で戦死した稀有な悲劇。

楠木正行

楠木正行

武将

くすのきまさつら

南北朝時代(1326-1348)

南北朝時代の武将(1326-1348)。楠木正成(=「大楠公」)の長男、「小楠公(しょうなんこう)」と称された稀有な存在。父・正成の遺志を継ぎ南朝方として戦い、四條畷の戦いで足利方の高師直に敗れて自害した稀有な悲劇、享年23。

足利義満

足利義満

武将

あしかがよしみつ

室町時代(1358-1408)

室町幕府の第3代将軍(1358-1408)。南北朝合一(1392)を実現し、室町幕府の全盛時代を築いた。京都・北山に金閣寺(=鹿苑寺)を建立、日明貿易を開始するなど政治・外交・文化の三方面で輝いた稀有な為政者。

太田道灌

太田道灌

武将

おおたどうかん

室町時代(1432-1486)

室町後期の武将・歌人(1432-1486)。扇谷上杉家の家臣として、長禄元年(1457)、後の江戸城の原型となる平山城を築いた稀有な「江戸城築城者」。「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき」の歌で有名。

北条早雲

北条早雲

武将

ほうじょうそううん

戦国時代(1456-1519)

戦国大名の先駆けとされる武将。 室町幕府の幕臣・備中伊勢氏の出身で、駿河の今川家の家督争いを収めたのち伊豆へ進出し、続いて相模一国を平定して、五代百年にわたる小田原北条氏の礎を築いた。 四公六民の税制と戦国大名として最古級の検地で知られる。ただし本人は生涯「伊勢」を名乗り、「北条早雲」と呼ばれたことは一度もない。

朝倉宗滴

朝倉宗滴

武将

あさくらそうてき

戦国時代(1477-1555)

戦国時代の武将(1477-1555)。越前朝倉氏の重臣。朝倉氏8代孝景・9代貞景・10代孝景・11代義景の4代に仕えた稀有な長老。武田信玄・上杉謙信らも一目置いた稀有な「戦国の長老」。「朝倉宗滴話記」=戦国の家中経営の理想を説いた稀有な家訓。

山本勘助

山本勘助

武将

やまもとかんすけ

戦国時代(1493-1561)

戦国時代の武将・軍師(1493?-1561)。武田信玄の軍師として伝説的存在。「啄木鳥(きつつき)戦法」の考案者として有名な稀有な軍略家。永禄4年(1561)、第四次川中島の戦いで自身の戦法が破られ、責任を取って奮戦し戦死した稀有な悲劇。

斎藤道三

斎藤道三

武将

さいとうどうさん

戦国時代(1494-1556)

戦国時代の美濃国(=岐阜県)の大名(1494-1556)。京都の油売りから一代で美濃の主に成り上がった稀有な下剋上の代名詞。「美濃の蝮(まむし)」の異名。娘・濃姫を織田信長に嫁がせ、信長を「天下を取る器」と見抜いた稀有な眼力の人。

毛利元就

毛利元就

武将

もうりもとなり

戦国時代(1497-1571)

戦国時代の中国地方の覇者(1497-1571)。安芸国の小領主から、謀略と戦略で中国地方10か国を制覇した稀有な智将。「三本の矢(=三子教訓状)」の逸話で有名。

大内義隆

大内義隆

武将

おおうちよしたか

戦国時代(1507-1551)

戦国時代の周防(=山口)の大名(1507-1551)。「西国の覇者」「百八十年に及ぶ大内氏の最後の繁栄」を築いた稀有な文化人大名。 京都の公家文化を山口に移植し、「西の京」と称された稀有な文化の都を作った。 家臣・陶晴賢の謀反で自害。

松永久秀

松永久秀

武将

まつながひさひで

戦国時代(1508-1577)

戦国時代の武将(1508-1577)。三好長慶の家臣から大和(=奈良)の支配者に。三好三人衆と共に将軍・足利義輝を暗殺、東大寺大仏殿を焼くなど稀有な「梟雄(きょうゆう)」。信長に降伏後再び反逆、信貴山城で名物茶釜「平蜘蛛」と共に自爆した稀有な悲劇。

直江景綱

直江景綱

武将

なおえかげつな

戦国時代(1509-1577)

戦国時代の武将(1509-1577)。上杉謙信の最も古い腹心の一人。直江家の養嗣子・直江兼続に家督を継がせる前の直江家当主。謙信の外交・内政の中核を担った稀有な存在。

立花道雪

立花道雪

武将

たちばなどうせつ

戦国時代(1513-1585)

戦国時代の武将(1513-1585)。大友氏(=大友宗麟)の家臣。「雷神を斬った男」の異名で知られる稀有な伝説の人。半身不随となっても駕籠で戦場に出続けた稀有な勇将。娘・誾千代を立花宗茂に嫁がせて立花家を継承させた稀有な存在。

柿崎景家

柿崎景家

武将

かきざきかげいえ

戦国時代(1513-1574)

戦国時代の武将(1513-1574)。上杉謙信の重臣、越後上田衆の頭領。第四次川中島の戦い(1561)で謙信本陣の前で武田信玄の本陣を急襲する稀有な先鋒。「越後七郡の旗頭」と称された稀有な勇将。

北条氏康

北条氏康

武将

ほうじょううじやす

戦国時代(1515-1571)

後北条氏3代目当主(1515-1571)。「相模の獅子」の異名で武田信玄・上杉謙信と並び称された関東の覇者。河越夜戦・第一次国府台合戦で奇跡的勝利を収め、関東に北条全盛時代を築いた稀有な戦略家。

北条綱成

北条綱成

武将

ほうじょうつなしげ

戦国時代(1515-1587)

戦国時代の後北条氏の家臣(1515-1587)。北条氏綱の娘婿で、玉縄城主として後北条氏第一の猛将と称された稀有な存在。「地黄八幡(じきはちまん)」の旗印で有名。河越夜戦(1546)・第二次国府台合戦(1564)・三方ヶ原の戦い(1572)など多くの合戦で活躍。

馬場信春

馬場信春

武将

ばばのぶはる

戦国時代(1515-1575)

戦国時代の武将(1515-1575)。武田信玄・勝頼の重臣。「武田四名臣」の一人で、生涯に70回以上の合戦に参戦して一度も傷を負わなかった稀有な「不死身の馬場」。長篠の戦い(1575)で本陣を守って奮戦し戦死した稀有な悲劇。

今川義元

今川義元

武将

いまがわよしもと

戦国時代(1519-1560)

駿河・遠江・三河の三か国を束ねた東海一の戦国大名。 寺で僧として育ちながら家督争いに勝って還俗し、武田・北条との三国同盟で背後を固め、分国法を整えて今川氏の最盛期を築いた。 永禄3年(1560年)、尾張へ攻め入った先の桶狭間で織田信長に討たれ、享年42。 幼い徳川家康を人質として駿府で養育した人物でもある。

武田信玄

武田信玄

武将

たけだしんげん

戦国時代(1521-1573)

甲斐(=山梨)の戦国大名(1521-1573)。「甲斐の虎」「風林火山」で有名な戦国最強と称された名将。上杉謙信との川中島の戦いで知られる。上洛途上で病没、徳川家康を三方ヶ原の戦いで完膚なきまで打ち破った稀有な戦略家。

蘆名盛氏

蘆名盛氏

武将

あしなもりうじ

戦国時代(1521-1580)

戦国時代の陸奥国(=福島県)会津の大名(1521-1580)。会津・蘆名氏第16代当主。蘆名氏中興の祖として、会津を中心とする南東北の覇者となった稀有な存在。しかし子孫の代に伊達政宗に滅ぼされた稀有な悲劇の家系。

三好長慶

三好長慶

武将

みよしながよし

戦国時代(1522-1564)

戦国時代の畿内の大名(1522-1564)。阿波国(=徳島)の三好氏出身。室町幕府を掌握し、織田信長以前に「畿内の覇者」となった稀有な天下人の先駆者。日本初のキリスト教許可者ともされる稀有な国際派。43歳で病没後、三好氏は急速に衰退。

柴田勝家

柴田勝家

武将

しばたかついえ

戦国時代(1522-1583)

戦国時代の武将(1522-1583)。織田信長の筆頭家老。本能寺の変後、お市の方と再婚するも、賤ヶ岳の戦い(1583)で豊臣秀吉に敗北、北ノ庄城(=福井)で自害した。 「鬼柴田」「かかれ柴田」の異名で恐れられた稀有な勇将。

内藤昌秀

内藤昌秀

武将

ないとうまさひで

戦国時代(1522-1575)

戦国時代の武将(1522-1575)。武田信玄・勝頼の重臣。「武田四名臣」の一人。「外交・行政の名手」として、武田家の対上杉・対織田・対北条の外交を担当した稀有な才能。長篠の戦い(1575)で戦死した稀有な悲劇。

毛利隆元

毛利隆元

武将

もうりたかもと

戦国時代(1523-1563)

戦国時代の武将(1523-1563)。毛利元就の嫡男、毛利輝元の父。父・元就と「両川(=吉川元春・小早川隆景)」の弟達の補佐で家中を支えた稀有な存在。しかし永禄6年(1563)、出雲遠征中に急死した稀有な悲劇、享年41。

武田信繁

武田信繁

武将

たけだのぶしげ

戦国時代(1525-1561)

戦国時代の武将(1525-1561)。武田信玄の同母弟。信玄を補佐する「武田典厩(てんきゅう)」として家中の信望を集めた稀有な存在。永禄4年(1561)、第四次川中島の戦いで奮戦し戦死した稀有な悲劇。

滝川一益

滝川一益

武将

たきがわかずます

戦国時代(1525-1586)

戦国時代の武将(1525-1586)。織田信長の重臣で「織田四天王」(=柴田勝家・羽柴秀吉・明智光秀・滝川一益)の一人。武田氏滅亡(1582)後、関東管領として上野・伊勢などを支配。本能寺の変後、北条氏との神流川の戦いで敗北、後に秀吉に降伏した稀有な悲劇。

蜂須賀小六

蜂須賀小六

武将

はちすかころく

戦国時代(1526-1586)

戦国時代の武将(1526-1586)。豊臣秀吉の最も古い腹心、墨俣一夜城(1566)の主役。「夜盗の頭」の伝説で有名だが実際は美濃国・蜂須賀党の有力豪族。後に秀吉の家臣となり阿波国徳島の藩主となった蜂須賀家の祖。

高坂昌信

高坂昌信

武将

こうさかまさのぶ

戦国時代(1527-1578)

戦国時代の武将(1527-1578)。武田信玄の重臣、「武田四名臣」の一人。海津城(=長野県松代)の城代として上杉謙信に対する最前線を守った稀有な存在。「逃げ弾正(にげだんじょう)」=撤退戦の名手として有名な稀有な戦術家。

酒井忠次

酒井忠次

武将

さかいただつぐ

戦国時代(1527-1596)

徳川四天王の最年長(1527-1596)。徳川家康の祖父・松平清康の代から仕えた譜代の老将。家康の人質時代から長きにわたって仕えた稀有な存在。「海老すくい」の踊りが家康の宴を盛り上げた稀有な人懐っこい性格。長篠の戦い(1575)では鳶ヶ巣山砦の奇襲を成功させた稀有な戦術。

明智光秀

明智光秀

武将

あけちみつひで

戦国時代(1528-1582)

戦国時代の武将(1528?-1582)。織田信長の重臣として丹波を平定するも、天正10年(1582)の「本能寺の変」で信長を討った稀有な謀反人。 直後の山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ、「三日天下」と称される稀有な歴史の主役。

佐久間信盛

佐久間信盛

武将

さくまのぶもり

戦国時代(1528-1582)

戦国時代の武将(1528-1582)。織田信長の家臣で「退き佐久間」と称された撤退戦の名手。長く信長家臣団の重鎮だったが、天正8年(1580)、信長から「19カ条の折檻状」を受けて追放され高野山に蟄居、翌年没した稀有な悲劇。

山県昌景

山県昌景

武将

やまがたまさかげ

戦国時代(1529-1575)

戦国時代の武将(1529-1575)。武田信玄・勝頼の重臣。「武田四名臣(=山県昌景・馬場信春・内藤昌秀・高坂昌信)」の筆頭。「赤備え(=甲冑を赤で統一した精鋭部隊)」で恐れられた稀有な勇将。長篠の戦い(1575)で奮戦し戦死。

龍造寺隆信

龍造寺隆信

武将

りゅうぞうじたかのぶ

戦国時代(1529-1584)

戦国時代の肥前国(=佐賀県)の大名(1529-1584)。「肥前の熊」と恐れられた九州北部の覇者。最盛期は「五州二島の太守」(=肥前・肥後・筑前・筑後・豊前+壱岐・対馬)として君臨。天正12年(1584)、島原・沖田畷の戦いで島津義久・有馬晴信に敗死した稀有な悲劇。

上杉謙信

上杉謙信

武将

うえすぎけんしん

戦国時代(1530-1578)

越後(=新潟)の戦国大名(1530-1578)。「越後の龍」「軍神」と称された武田信玄の好敵手。 「毘沙門天の化身」を自認し、生涯不犯(=妻帯せず)。 「敵に塩を送る」逸話で義の武将として有名。

大友宗麟

大友宗麟

武将

おおともそうりん

戦国時代(1530-1587)

戦国時代の九州の大名(1530-1587)。豊後(=大分)の大友氏当主。九州六カ国を支配した最盛期があるも、島津氏に敗れて衰退。キリシタン大名として洗礼名フランシスコ、ローマ法王に少年使節(=天正遣欧少年使節)を派遣した稀有な国際派。

吉川元春

吉川元春

武将

きっかわもとはる

戦国時代(1530-1586)

戦国時代の武将(1530-1586)。毛利元就の次男。安芸国・吉川氏の養子となり、毛利氏の陸軍を率いた稀有な存在。弟・小早川隆景と共に「毛利両川(りょうせん)」として毛利氏を支えた稀有な大功臣。生涯不敗を誇る稀有な戦歴。

朝倉義景

朝倉義景

武将

あさくらよしかげ

戦国時代(1533-1573)

戦国時代の越前国(=福井県)の大名(1533-1573)。朝倉氏第11代当主。一乗谷を本拠に北陸の覇者として君臨するも、信長との対立で滅亡。浅井長政と連携した「朝倉浅井同盟」で姉川の戦い(1570)で信長と戦った稀有な存在。

小早川隆景

小早川隆景

武将

こばやかわたかかげ

戦国時代(1533-1597)

戦国・安土桃山期の武将(1533-1597)。毛利元就の三男。安芸国・沼田小早川氏の養子となり、毛利氏の海軍を率いた稀有な存在。兄・吉川元春と共に「毛利両川(りょうせん)」として毛利氏を支えた稀有な大功臣。

石川数正

石川数正

武将

いしかわかずまさ

戦国時代(1533-1593)

徳川家康の腹心の一人(1533-1593)。譜代の家臣として家康の人質時代から仕えた稀有な存在。しかし天正13年(1585)、突然豊臣秀吉の元に出奔した。「徳川家最大の謎の出奔」。秀吉から信濃国・松本8万石を与えられ、松本城を築城した。

島津義久

島津義久

武将

しまづよしひさ

戦国時代(1533-1611)

戦国時代の薩摩(=鹿児島)の大名(1533-1611)。島津四兄弟の長兄。弟・義弘・歳久・家久と共に九州一円を席巻、最盛期には九州8カ国のうち6カ国を支配した稀有な大領主。豊臣秀吉の九州征伐(1587)で剃髪して降伏。

織田信長

織田信長

武将

おだのぶなが

戦国時代(1534-1582)

戦国時代を代表する武将(1534-1582)。尾張(=愛知)の小大名から、桶狭間の戦い・長篠の戦いなどで覇を唱え、室町幕府を滅ぼして天下統一目前まで進んだ。本能寺の変で家臣・明智光秀の謀反に倒れた。

細川幽斎

細川幽斎

武将

ほそかわゆうさい

戦国時代(1534-1610)

戦国・安土桃山期の武将・歌人(1534-1610)。室町幕府足利将軍家に仕えた後、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕えた稀有な「三人の天下人に仕えた武将」。古今伝授(=古今和歌集の秘伝)の継承者で、関ヶ原の戦い直前、田辺城に籠城して戦死を覚悟するも勅命で開城した稀有な歌人。

島津義弘

島津義弘

武将

しまづよしひろ

戦国時代(1535-1619)

戦国時代の薩摩(=鹿児島)の名将(1535-1619)。島津四兄弟の次男。九州統一目前まで進めるも秀吉に降伏、朝鮮出兵で「鬼島津」の名を轟かせた。関ヶ原の戦いで西軍敗北後、敵中突破「島津の退き口」で帰国した稀有な戦術家。

丹羽長秀

丹羽長秀

武将

にわながひで

戦国時代(1535-1585)

戦国時代の武将(1535-1585)。織田信長の重臣で「織田四天王」(=柴田勝家・羽柴秀吉・明智光秀・丹羽長秀)の一人。安土城築城の総奉行を務めた稀有な存在。「米五郎左(=米のように白くて使い勝手の良い男)」の異名。本能寺の変後、秀吉に従い越前・加賀を加増された。

池田恒興

池田恒興

武将

いけだつねおき

戦国時代(1536-1584)

戦国時代の武将(1536-1584)。織田信長の乳兄弟(=母同士が乳母)、信長の最も古い盟友。本能寺の変後、清洲会議に参加する稀有な大老格。天正12年(1584)、小牧長久手の戦いで嫡男・元助と共に戦死した稀有な悲劇。子・池田輝政が後を継いだ。

豊臣秀吉

豊臣秀吉

武将

とよとみひでよし

戦国時代(1537-1598)

戦国時代の武将・天下人(1537-1598)。尾張(=愛知)の農民から織田信長に仕えて頭角を現し、本能寺の変後に天下を統一した「立身出世の代名詞」。検地・刀狩りで近世社会の基礎を築き、朝鮮出兵を行うも病没した。

北条氏政

北条氏政

武将

ほうじょううじまさ

戦国時代(1538-1590)

戦国時代の後北条氏4代目当主(1538-1590)。北条氏康の次男(嫡男)。武田氏・上杉氏との抗争で関東の勢力を拡大するも、豊臣秀吉の小田原征伐(1590)で降伏、後に自害した稀有な悲劇。「氏政の汁かけ飯」=食事中、汁を二度かけたことを父・氏康が嘆いたとされる稀有な逸話の主。

鍋島直茂

鍋島直茂

武将

なべしまなおしげ

戦国・江戸(1538-1618)

戦国・江戸初期の武将(1538-1618)。龍造寺隆信の家老・義弟。龍造寺氏が衰退すると主家の実権を握り、後に佐賀藩(=鍋島藩)初代藩主となった稀有な経緯。子孫の鍋島光茂の代に「葉隠(はがくれ)」が成立、武士道の聖典となった稀有な家系。

長宗我部元親

長宗我部元親

武将

ちょうそかべもとちか

戦国時代(1539-1599)

戦国時代の四国の覇者(1539-1599)。土佐(=高知)の土豪・長宗我部氏の当主から、四国全土を制覇した稀有な大領主。幼少期は「姫若子(=姫のような優男)」と侮られたが、初陣で勇姿を見せ「鬼若子」と一変した稀有な経歴。豊臣秀吉の四国征伐で降伏。

前田利家

前田利家

武将

まえだとしいえ

戦国時代(1539-1599)

戦国・安土桃山期の武将(1539-1599)。織田信長の小姓から重臣に。「槍の又左」と称された勇将。豊臣秀吉の五大老の一人。加賀100万石の前田家の祖、加賀藩(=金沢藩)の藩祖。

鳥居元忠

鳥居元忠

武将

とりいもとただ

戦国時代(1539-1600)

徳川家康の譜代の家臣(1539-1600)。家康の少年期から仕えた稀有な忠臣。慶長5年(1600)、関ヶ原前夜、伏見城の城代として石田三成率いる西軍4万の大軍に対し、わずか1,800の兵で13日間籠城、城に火を放って自害した稀有な悲劇の忠臣。

本庄繁長

本庄繁長

武将

ほんじょうしげなが

戦国時代(1540-1614)

戦国・江戸初期の武将(1540-1614)。越後国・本庄城主。上杉謙信・景勝の重臣。永禄11年(1568)、武田信玄の調略で謙信に反旗を翻すも、後に降伏。秀吉の朝鮮出兵・関ヶ原・上杉景勝の米沢転封など、戦国から江戸初期まで主要事件のほぼ全てに関与した稀有な長寿の名将。

服部半蔵

服部半蔵

武将

はっとりはんぞう

戦国時代(1542-1597)

徳川家康の忍者頭領(1542-1597)。伊賀忍者の出身。家康の少年期から仕え、「神君伊賀越え」(=本能寺の変直後、家康が京都から伊賀を越えて三河に逃れた稀有な逃走劇)の最大の功労者。「鬼半蔵」と称された稀有な忍者武将。

徳川家康

徳川家康

武将

とくがわいえやす

戦国時代(1543-1616)

江戸幕府の初代将軍(1543-1616)。三河(=愛知)の小大名・松平氏に生まれ、今川・織田の人質を経て信長・秀吉に仕え、関ヶ原の戦いで覇権を握り、江戸幕府を開いて260年の太平の世の基礎を築いた「忍耐の人」。

竹中半兵衛

竹中半兵衛

武将

たけなかはんべえ

戦国時代(1544-1579)

戦国時代の武将・軍師(1544-1579)。美濃国(=岐阜県)出身。豊臣秀吉の軍師として黒田官兵衛と共に「両兵衛」と称された稀有な天才。播磨攻めの最中、肺結核で36歳の若さで陣中没した稀有な悲劇。

浅井長政

浅井長政

武将

あざいながまさ

戦国時代(1545-1573)

戦国時代の北近江の大名(1545-1573)。織田信長の妹・お市の方を妻に迎え信長と同盟するも、元亀元年(1570)に決別。姉川の戦いで敗北、天正元年(1573)小谷城落城で自害。三女・茶々(=淀殿、秀吉側室)の父。

山内一豊

山内一豊

武将

やまうちかずとよ

戦国時代(1545-1605)

戦国・安土桃山期の武将(1545-1605)。妻・千代の機転による「馬揃え」の逸話で有名な稀有な存在。関ヶ原で東軍に与し、戦後土佐24万石(=後の高知藩)を与えられた稀有な経歴。

山中鹿之介

山中鹿之介

武将

やまなかしかのすけ

戦国時代(1545-1578)

戦国時代の武将(1545?-1578)。出雲国(=島根県)の尼子氏家臣。主家・尼子家の再興のため「願わくは我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った稀有な忠臣。尼子十勇士の筆頭、毛利元就との戦いで活躍するも、最後は捕らえられて殺害された稀有な悲劇の忠臣。

黒田官兵衛

黒田官兵衛

武将

くろだかんべえ

戦国時代(1546-1604)

戦国時代の武将・キリシタン大名(1546-1604)。豊臣秀吉の天才軍師として活躍、本能寺の変直後に「中国大返し」を進言、天下取りの立役者となった。関ヶ原の戦いでは九州で独自に進軍した稀有な戦略家。

武田勝頼

武田勝頼

武将

たけだかつより

戦国時代(1546-1582)

戦国時代の武将(1546-1582)。武田信玄の四男(後嗣)。父・信玄の死後、家督を継ぐも、天正3年(1575)「長篠の戦い」で織田信長・徳川家康連合軍に大敗。天正10年(1582)、天目山で自害した稀有な悲劇の最期、武田氏滅亡。

最上義光

最上義光

武将

もがみよしあき

戦国時代(1546-1614)

戦国時代の出羽国(=山形県)の大名(1546-1614)。山形城主、最上氏第11代当主。妹・義姫が伊達輝宗に嫁いだため、伊達政宗の伯父。関ヶ原の戦いで東軍に与し、慶長出羽合戦で上杉景勝・直江兼続の侵攻を撃退、戦後出羽57万石の大領主となった稀有な存在。

真田昌幸

真田昌幸

武将

さなだまさゆき

戦国時代(1547-1611)

戦国・安土桃山期の名将(1547-1611)。真田幸村の父。武田信玄・勝頼に仕え、武田滅亡後は徳川・上杉・北条の狭間で巧みに立ち回った稀有な智将。第一次・第二次上田合戦で徳川秀忠軍を翻弄、関ヶ原後に九度山に蟄居。

佐竹義重

佐竹義重

武将

さたけよししげ

戦国時代(1547-1612)

戦国時代の常陸国(=茨城県)の大名(1547-1612)。佐竹氏第18代当主。「鬼義重」「坂東太郎」と称された稀有な勇将。北条氏・伊達政宗らと激しく対立、関東の覇権を争った稀有な戦国大名。

本多忠勝

本多忠勝

武将

ほんだただかつ

戦国時代(1548-1610)

徳川四天王の筆頭(1548-1610)。徳川家康に幼少から仕え、生涯57回の合戦で一度も傷を負わなかった稀有な勇将。「家康に過ぎたるもの二つあり、唐の頭に本多平八」と称された。愛槍「蜻蛉切(とんぼきり)」、「鹿角の兜」が代表的な象徴。

榊原康政

榊原康政

武将

さかきばらやすまさ

戦国時代(1548-1606)

徳川四天王の一人(1548-1606)。徳川家康に幼少から仕え、姉川の戦い・三方ヶ原・小牧長久手などで活躍。「無一文の康政」=財産を貯めず家臣に分配した稀有な清廉の士。関ヶ原後、上野国館林10万石を与えられた。

高橋紹運

高橋紹運

武将

たかはしじょううん

戦国時代(1548-1586)

戦国時代の武将(1548-1586)。大友氏(=大友宗麟)の家臣。子・立花宗茂を立花道雪の婿養子にした稀有な経歴。天正14年(1586)、岩屋城(=福岡県)で島津義弘・島津家久(=義弘の弟)率いる5万の大軍に対し、わずか763人で16日間籠城、自害した稀有な「九州の桜井決戦」。

高山右近

高山右近

武将

たかやまうこん

戦国時代(1552-1615)

戦国時代のキリシタン大名(1552-1615)。摂津国(=大阪)の高山氏出身。洗礼名「ジュスト」。豊臣秀吉のバテレン追放令(1587)で領地を捨てて信仰を貫いた稀有な殉教者。徳川秀忠の禁教令(1614)でマニラに国外追放され、慶長20年(1615)殉教。平成28年(2016)、ローマ教皇から「福者」に列せられた稀有な存在。

仙石秀久

仙石秀久

武将

せんごくひでひさ

戦国時代(1552-1614)

戦国・江戸初期の武将(1552-1614)。豊臣秀吉の家臣として、四国攻めで讃岐15万石を与えられた稀有な経歴。しかし天正14年(1586)、九州・戸次川の戦いで島津義弘に大敗、軍法違反で改易された稀有な悲劇。後に小田原征伐で許され、信濃国小諸藩主に。

堀秀政

堀秀政

武将

ほりひでまさ

戦国時代(1553-1590)

戦国時代の武将(1553-1590)。織田信長の近習として頭角を現した稀有な天才。「名人久太郎」と称された才覚で、本能寺の変後は豊臣秀吉に従い越前国・北ノ庄18万石を与えられた稀有な大名。小田原征伐の最中、陣中で38歳で病没した稀有な悲劇。

毛利輝元

毛利輝元

武将

もうりてるもと

戦国時代(1553-1625)

戦国・江戸初期の武将(1553-1625)。毛利元就の孫、毛利隆元の長男。豊臣秀吉の五大老の一人。関ヶ原で西軍総大将に祭り上げられるも、大坂城で動かず敗北。戦後、長門・周防2か国36万石に減封され、長州藩(=後の幕末の倒幕の中心)の祖となった稀有な存在。

脇坂安治

脇坂安治

武将

わきさかやすはる

戦国時代(1554-1626)

戦国・江戸初期の武将(1554-1626)。豊臣秀吉の家臣として「賤ヶ岳七本槍」の一人。淡路国・洲本3万石を与えられた。関ヶ原で当初西軍だったが、小早川秀秋に呼応して東軍に寝返った稀有な「秀秋に従って裏切った組」。戦後伊予国・大洲5万石を与えられた稀有な存在。

小西行長

小西行長

武将

こにしゆきなが

戦国時代(1555-1600)

戦国・安土桃山期の武将(1555-1600)。堺の薬種商の子から豊臣秀吉に仕えて頭角を現した稀有な経歴。肥後国・宇土24万石の大名。キリシタン大名(=洗礼名アゴスチノ)。関ヶ原で西軍に与し、戦後京都・六条河原で石田三成・安国寺恵瓊と共に処刑された稀有な悲劇。

蒲生氏郷

蒲生氏郷

武将

がもううじさと

戦国時代(1556-1595)

戦国・安土桃山期の武将(1556-1595)。織田信長の娘婿、豊臣秀吉の重臣。文武両道のキリシタン大名、洗礼名レオン。会津92万石の大領主、若松城を築城した稀有な存在。秀吉に「天下を狙う器」と恐れられた稀有な才能。

上杉景勝

上杉景勝

武将

うえすぎかげかつ

戦国時代(1556-1623)

戦国・安土桃山期の武将(1556-1623)。上杉謙信の養子(=実は謙信の姉・仙桃院の子)、上杉氏第2代当主。御館の乱で上杉景虎を破って家督相続。豊臣秀吉の五大老の一人。関ヶ原の戦いで西軍に与し、戦後米沢30万石に減封。直江兼続が右腕。

片桐且元

片桐且元

武将

かたぎりかつもと

戦国時代(1556-1615)

戦国・江戸初期の武将(1556-1615)。豊臣秀吉の家臣として「賤ヶ岳七本槍」の一人。秀吉死後、豊臣秀頼(=淀殿)の傅役(もりやく)として、徳川家康と豊臣家の間を取り持った稀有な存在。大坂冬の陣直前に淀殿に追放され、徳川方に与した稀有な悲劇。

藤堂高虎

藤堂高虎

武将

とうどうたかとら

戦国時代(1556-1630)

戦国から江戸初期の武将・大名(1556-1630)。伊勢津藩の初代藩主(伊勢・伊賀32万石)。宇和島城・今治城・伊賀上野城・津城・篠山城・二条城など多くの名城を手がけた稀有な築城の名手。浅井長政に始まり最終的に徳川家康に至るまで主君を七度替えたことで知られるが、家康の信任は厚く、外様ながら譜代大名並みの待遇を受けた。

仁科盛信

仁科盛信

武将

にしなもりのぶ

戦国時代(1557-1582)

戦国時代の武将(1557-1582)。武田信玄の五男、武田勝頼の異母弟。信濃国・高遠城の城主。天正10年(1582)、織田信忠(=信長)の3万の大軍に対し、わずか3,000の兵で高遠城を守って奮戦、26歳で討死した稀有な悲劇。武田家滅亡の最後の英雄。

片倉小十郎景綱

片倉小十郎景綱

武将

かたくらこじゅうろうかげつな

戦国時代(1557-1615)

戦国・江戸初期の武将(1557-1615)。伊達政宗の傅役(もりやく)・右腕として、伊達家を支えた稀有な名将。「鬼の小十郎」と称された稀有な勇将。政宗の幼少期から仕え、政宗の天然痘で失明した右目を自ら切り取った稀有な伝承の主。

大谷吉継

大谷吉継

武将

おおたによしつぐ

戦国時代(1559-1600)

戦国・安土桃山期の武将(1559-1600)。豊臣秀吉の小姓から重臣に。ハンセン病(=当時「業病」とされた稀有な病)を患い顔を白頭巾で覆って戦場に出た稀有な存在。親友・石田三成に懇願され関ヶ原西軍に参加、敗北を覚悟しつつ家臣の介錯で自害した稀有な義の人。

平野長泰

平野長泰

武将

ひらのながやす

戦国時代(1559-1628)

戦国・江戸初期の武将(1559-1628)。豊臣秀吉の家臣として「賤ヶ岳七本槍」の一人。大和国に5,000石を与えられた小領主に留まる稀有な経歴。関ヶ原で東軍に与し、戦後加増を受けて大和国・田原本5,000石を与えられた。

直江兼続

直江兼続

武将

なおえかねつぐ

戦国時代(1560-1620)

戦国・江戸初期の武将(1560-1620)。上杉景勝の家老として米沢藩30万石を支えた稀有な智将。兜の「愛」の前立てで有名。関ヶ原の戦いの前、徳川家康に挑戦状「直江状」を送りつけた稀有な逸話。

石田三成

石田三成

武将

いしだみつなり

戦国時代(1560-1600)

戦国・安土桃山期の武将(1560-1600)。豊臣秀吉の小姓から重臣に。秀吉死後、徳川家康の専横に対抗して関ヶ原の戦いで西軍を組織するも敗北、京都・六条河原で処刑された稀有な悲劇。「義」の人として後世に再評価された。

後藤又兵衛

後藤又兵衛

武将

ごとうまたべえ

戦国・江戸(1560-1615)

戦国・江戸初期の武将(1560-1615)。播磨国・黒田家の家臣として、黒田官兵衛・長政父子に仕え、九州・朝鮮出兵で活躍した稀有な勇将。しかし長政と対立して浪人、大坂の陣で大坂方の「大坂五人衆」の一人として、慶長20年(1615)、道明寺の戦いで戦死。

福島正則

福島正則

武将

ふくしままさのり

戦国時代(1561-1624)

戦国・江戸初期の武将(1561-1624)。豊臣秀吉の母方の従兄弟。賤ヶ岳の戦い(1583)の「七本槍」の筆頭。秀吉死後、関ヶ原で東軍に与して武功を上げ広島49万石の大領主に。しかし元和5年(1619)、無断築城の罪で改易、信濃高井野(=長野県)に蟄居。

井伊直政

井伊直政

武将

いいなおまさ

戦国時代(1561-1602)

徳川四天王の最年少(1561-1602)。井伊家は遠江国(=静岡県)の旧族、父・直親が今川氏に殺害されて滅亡寸前を、家康に拾われた稀有な経歴。武田家滅亡後、武田の旧臣を吸収し「井伊の赤備え」を編成した稀有な勇将。関ヶ原後、近江彦根18万石を与えられた。

加藤清正

加藤清正

武将

かとうきよまさ

戦国・江戸初期(1562-1611)

豊臣秀吉の又従弟にあたる縁から小姓として仕え、賤ヶ岳七本槍の一人として名を挙げた武将。 肥後を与えられて熊本城を築き、白川・坪井川をはじめとする大規模な治水と干拓を進めて、現在の熊本の土台を作った。 関ヶ原では東軍に属し、戦後は肥後の大半と豊後三郡を領する54万石余の大名となる。死後四百年を経たいまも「清正公さん」と呼ばれ、熊本城内の加藤神社に祀られている。

細川忠興

細川忠興

武将

ほそかわただおき

戦国・江戸(1563-1646)

戦国・江戸初期の武将・茶人(1563-1646)。細川幽斎の長男、細川ガラシャの夫。関ヶ原で東軍に与し、戦後豊前国小倉39万石を与えられた稀有な大名。「利休七哲」の一人、茶人としても優れた稀有な文化人。

加藤嘉明

加藤嘉明

武将

かとうよしあき

戦国時代(1563-1631)

戦国・江戸初期の武将(1563-1631)。豊臣秀吉の家臣として、賤ヶ岳の戦い(1583)の「七本槍」の一人。文禄・慶長の役(=朝鮮出兵)・関ヶ原で東軍に与し活躍、戦後伊予国松山20万石を与えられた稀有な大名。松山城の築城者。

池田輝政

池田輝政

武将

いけだてるまさ

戦国・江戸(1564-1613)

織田信長の重臣・池田恒興の次男。小牧・長久手の戦いで父と兄を同時に失って家督を継ぎ、信長・秀吉・家康と主を替えながら生き残った。 徳川家康の次女・督姫を妻に迎え、関ヶ原の戦功で播磨52万石を得て姫路城主となる。 慶長6年(1601年)から8年をかけて姫路城を大改修し、現在国宝・世界遺産となっている白亜の城の姿を作り上げた。

森蘭丸

森蘭丸

武将

もりらんまる

戦国時代(1565-1582)

織田信長の最も寵愛された小姓(1565-1582)。森可成の三男、森長可の弟。13歳で信長の小姓となり、信長の最大の寵臣として知られた稀有な美少年。天正10年(1582)6月、本能寺の変で信長を守って18歳で討死した稀有な悲劇。

長宗我部信親

長宗我部信親

武将

ちょうそかべのぶちか

戦国時代(1565-1587)

戦国時代の武将(1565-1587)。長宗我部元親の長男(後嗣)。「文武両道の貴公子」として将来を嘱望されたが、天正14年(1586)、九州・戸次川の戦いで島津家久(=島津義弘)の伏兵に遭い、22歳で戦死した稀有な悲劇。父・元親はこの息子を失った悲しみで人が変わったとされる稀有な親子。

真田信之

真田信之

武将

さなだのぶゆき

戦国・江戸(1566-1658)

戦国・江戸初期の武将(1566-1658)。真田昌幸の長男、真田幸村の兄。徳川家康の養女・小松姫を妻に迎え、関ヶ原で東軍に与した稀有な戦略家。父・弟と異なる選択をしたことで真田家の存続を確保。

真田幸村

真田幸村

武将

さなだゆきむら

戦国時代(1567-1615)

戦国末期の武将(1567-1615)。真田昌幸の次男、関ヶ原の戦いで西軍に与し九度山に蟄居。大坂冬の陣・夏の陣で活躍、徳川家康本陣に肉薄して討死した「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」。

伊達政宗

伊達政宗

武将

だてまさむね

戦国時代(1567-1636)

仙台藩祖(1567-1636)。陸奥(=東北)の戦国大名、片目を失った「独眼竜」の異名で有名 。20代で奥州統一目前まで進むも秀吉に臣従、関ヶ原以降は徳川方として仙台62万石を築いた。文化人としても多才。

立花宗茂

立花宗茂

武将

たちばなむねしげ

戦国時代(1567-1643)

戦国・江戸初期の九州の名将(1567-1643)。大友氏の家臣・高橋紹運の長男、立花道雪の娘・誾千代と結婚して立花家を継承。「西国無双の勇将」と称された稀有な勇者。関ヶ原で西軍につき改易されたが、徳川家康に旧領柳川を返された稀有な復活劇。

黒田長政

黒田長政

武将

くろだながまさ

戦国・江戸(1568-1623)

戦国・江戸初期の武将(1568-1623)。黒田官兵衛(=黒田如水)の長男。父・官兵衛と共に九州統一・朝鮮出兵で活躍。関ヶ原で東軍に与して武功を上げ、戦後筑前福岡52万石を与えられた稀有な大領主、福岡藩初代藩主。

伊達成実

伊達成実

武将

だてしげざね

戦国時代(1568-1646)

戦国・江戸初期の武将(1568-1646)。伊達政宗のいとこ。片倉小十郎景綱と並ぶ政宗の右腕、「武の伊達」として伊達家最強の勇将と称された稀有な存在。「百足の前立て(=ムカデは退却しないことから)」の兜が代表的な象徴。

島津豊久

島津豊久

武将

しまづとよひさ

戦国時代(1570-1600)

戦国時代の武将(1570-1600)。島津家久(=島津義弘)の長男。日向佐土原藩(=宮崎)の藩主。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで叔父・島津義弘の「島津の退き口」の決死隊として、義弘の身代わりとなって討死した稀有な忠義の悲劇、享年31。

宇喜多秀家

宇喜多秀家

武将

うきたひでいえ

戦国時代(1572-1655)

戦国・江戸初期の武将(1572-1655)。備前国(=岡山)の宇喜多直家の次男。豊臣秀吉の養子・五大老の一人。関ヶ原の戦いで西軍主力として奮戦するも敗北、八丈島(=東京都離島)に流された稀有な悲劇。50年間の流刑生活の末、84歳で没した稀有な長寿。

長宗我部盛親

長宗我部盛親

武将

ちょうそかべもりちか

戦国・江戸(1575-1615)

戦国・江戸初期の武将(1575-1615)。長宗我部元親の四男。兄・信親が戦死した後、家督継承で家中分裂、関ヶ原で西軍に与して改易。大坂の陣で「大坂五人衆」の一人として参戦、慶長20年(1615)、京都・六条河原で処刑された稀有な悲劇。

島津家久

島津家久

武将

しまづいえひさ

戦国・江戸(1576-1638)

戦国・江戸初期の薩摩藩初代藩主(1576-1638)。島津義弘の三男(後嗣)。関ヶ原後、徳川家康と義弘の交渉で薩摩・大隅・日向の3か国を安堵された稀有な結末。慶長14年(1609)、琉球(=沖縄)に出兵して琉球王国を服属させた稀有な大事業。

毛利勝永

毛利勝永

武将

もうりかつなが

戦国・江戸(1577-1615)

戦国・江戸初期の武将(1577-1615)。豊臣秀吉の家臣・毛利勝信の長男(=安芸毛利氏とは別系)。関ヶ原の戦いで西軍について改易、山内一豊に預けられた後、大坂の陣で「大坂五人衆」の一人として参陣、慶長20年(1615)、夏の陣で奮戦し豊臣秀頼と共に自害。

徳川秀忠

徳川秀忠

武将

とくがわひでただ

江戸時代(1579-1632)

江戸幕府の2代将軍(1579-1632)。徳川家康の三男。関ヶ原の戦いに遅参するも、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、武家諸法度・禁中並公家諸法度で徳川支配体制を盤石にした稀有な律儀者。

小早川秀秋

小早川秀秋

武将

こばやかわひであき

戦国時代(1582-1602)

戦国時代の武将(1582-1602)。豊臣秀吉の正室・北政所の甥。秀吉の養子から、毛利元就の三男・小早川隆景の養子に。関ヶ原の戦い(1600)で西軍から東軍に寝返り、戦況を決定した稀有な「最大の裏切り者」。戦後わずか2年で21歳で病没。

徳川家光

徳川家光

武将

とくがわいえみつ

江戸時代(1604-1651)

江戸幕府の3代将軍(1604-1651)。「生まれながらの将軍」を自認、参勤交代制度・鎖国体制を確立し、徳川幕府260年の盤石な基礎を築いた稀有な名君。日光東照宮を大改修、寛永寺を開創。

徳川斉昭

徳川斉昭

武将

とくがわなりあき

幕末(1800-1860)

幕末の水戸藩第9代藩主(1800-1860)。徳川慶喜の父。水戸学・尊王攘夷の中心人物として幕府の対応を巡って井伊直弼と対立、安政の大獄(1858)で蟄居を命じられた稀有な悲劇。

井伊直弼

井伊直弼

武将

いいなおすけ

幕末(1815-1860)

幕末の彦根藩主・大老(1815-1860)。安政5年(1858)、独断で日米修好通商条約に調印、安政の大獄(1858-1859)で吉田松陰・橋本左内らを処刑した稀有な強硬派。万延元年(1860)、桜田門外で水戸浪士に暗殺された稀有な悲劇。

勝海舟

勝海舟

武将

かつかいしゅう

幕末・明治(1823-1899)

幕末・明治の幕臣(1823-1899)。咸臨丸艦長として日本人初の太平洋横断航海を指揮、勝海舟の名で坂本龍馬に海軍術を教えた稀有な存在。江戸無血開城を西郷隆盛と会談で実現した稀有な平和主義者。

大村益次郎

大村益次郎

武将

おおむらますじろう

幕末(1824-1869)

幕末の長州藩士・蘭学医・軍学者(1824-1869)。周防国(=山口県)出身、緒方洪庵の適塾で蘭学を学んだ稀有な学者。長州藩・幕府軍撃退・戊辰戦争で官軍の指揮を執った稀有な軍才。日本陸軍の創設者として「日本兵学の祖」とされる稀有な存在。

芹沢鴨

芹沢鴨

武将

せりざわかも

幕末(1827-1863)

幕末の初期新選組(=壬生浪士組)の首領(1827?-1863)。 水戸藩出身、天狗党(=尊王攘夷激派)の出身。「水戸の3傑」として鬼神のごとき豪傑だったが酒乱・乱暴狼藉が目に余り、文久3年(1863)9月、近藤勇・土方歳三らに暗殺された。

河井継之助

河井継之助

武将

かわいつぎのすけ

幕末(1827-1868)

幕末の越後国(=新潟県)長岡藩の家老(1827-1868)。「武装中立」を掲げて新政府軍と戦った稀有な戦略家。慶応4年(1868)、北越戦争で新政府軍を相手に奮戦するも、長岡で銃撃を受け重傷、会津に逃れる途中、塩沢で42歳で没した稀有な悲劇。

西郷隆盛

西郷隆盛

武将

さいごうたかもり

幕末・明治(1828-1877)

幕末・明治の志士・軍人(1828-1877)。薩摩藩出身、明治維新の三傑(=西郷・大久保・木戸)の一人。江戸無血開城を実現するも、後に政府と対立して西南戦争で敗死。「西郷どん」「南洲翁」として国民に愛される稀有な英雄。

武市半平太

武市半平太

武将

たけちはんぺいた

幕末(1829-1865)

幕末の土佐藩士(1829-1865)。土佐勤王党の党首として、坂本龍馬・中岡慎太郎らに大きな影響を残した稀有な指導者。藩主・山内容堂の弾圧で土佐勤王党は壊滅、慶応元年(1865)、切腹を命じられた稀有な悲劇、享年37。

大久保利通

大久保利通

武将

おおくぼとしみち

幕末・明治(1830-1878)

幕末の薩摩藩士・明治政府の最大の実力者(1830-1878)。薩長同盟・倒幕運動を主導、明治新政府で「内務卿」として絶大な権力を握った稀有な政治家。「維新の三傑」(=西郷隆盛・木戸孝允・大久保)の一人。

木戸孝允

木戸孝允

武将

きどたかよし

幕末・明治(1833-1877)

幕末の長州藩士・明治政府の元勲(1833-1877)。「桂小五郎」の名でも有名。坂本龍馬の仲介で薩長同盟を結び、明治維新を推進した稀有な政治家。「維新の三傑」(=西郷隆盛・大久保利通・木戸)の一人。

山南敬助

山南敬助

武将

やまなみけいすけ

幕末(1833-1865)

幕末の新選組副長(1833-1865)。陸奥国仙台藩の脱藩浪士。北辰一刀流(=千葉道場)の免許皆伝の剣豪。試衛館時代から近藤勇・土方歳三と親交、新選組副長として活躍。しかし元治2年(1865)、新選組を脱走、捕らえられて切腹を命じられた稀有な悲劇。

大鳥圭介

大鳥圭介

武将

おおとりけいすけ

幕末・明治(1833-1911)

幕末・明治の幕臣・外交官(1833-1911)。播磨国(=兵庫県)出身、緒方洪庵の適塾で蘭学を学んだ稀有な学者。幕府陸軍奉行として、戊辰戦争で旧幕府軍を率いて宇都宮・会津・函館で戦った稀有な戦歴。明治期は学者・外交官として活躍。

近藤勇

近藤勇

武将

こんどういさみ

幕末(1834-1868)

幕末の幕臣・新選組局長(1834-1868)。 武蔵国多摩郡(=東京都調布市)の農家出身、天然理心流の試衛館塾頭から新選組局長に。 京都・池田屋事件(1864)で長州志士を一網打尽にした。 戊辰戦争で官軍に降伏、慶応4年(1868)、板橋で処刑された。

土方歳三

土方歳三

武将

ひじかたとしぞう

幕末(1835-1869)

幕末の新選組副長(1835-1869)。 武蔵国多摩郡石田村(=東京都日野市)の薬商の家に生まれ、近藤勇と共に新選組を組織。 「鬼の副長」と恐れられた稀有な組織管理者。函館・五稜郭の戦いで官軍と戦い、35歳で戦死した。

松方正義

松方正義

武将

まつかたまさよし

幕末・明治(1835-1924)

幕末・明治・大正の政治家(1835-1924)。薩摩藩士、戊辰戦争に従軍。明治新政府で大蔵卿として「松方財政」(=デフレ政策)を主導、明治15年(1882)、日本銀行を創設した稀有な「日本金融の父」。内閣総理大臣を2度務めた稀有な元勲。

坂本龍馬

坂本龍馬

武将

さかもとりょうま

幕末(1836-1867)

幕末の志士(1836-1867)。土佐藩郷士、後に脱藩。海援隊を組織し、薩長同盟の仲介・大政奉還の実現に尽力した稀有な調停者。京都・近江屋で暗殺された悲劇の英雄。日本人が最も愛する歴史上の人物の一人。

五代友厚

五代友厚

武将

ごだいともあつ

幕末・明治(1836-1885)

幕末・明治の実業家(1836-1885)。薩摩藩士、長崎で英国・グラバーらと交流した稀有な国際派。明治政府で外国事務局判事を務めた後、明治2年(1869)に下野して大阪で実業家に転身。大阪商工会議所初代会頭、「東のシブサワ(=渋沢栄一)、西のゴダイ」と称された稀有な大阪の経済の父。

松平容保

松平容保

武将

まつだいらかたもり

幕末・明治(1836-1893)

幕末の会津藩第9代藩主(1836-1893)。徳川斉昭の甥。文久2年(1862)、京都守護職に就任、新選組(=近藤勇・土方歳三)の上司として京都の治安を担った稀有な存在。戊辰戦争で会津若松城に籠城、白虎隊の悲劇の藩主。

榎本武揚

榎本武揚

武将

えのもとたけあき

幕末・明治(1836-1908)

幕末・明治の海軍軍人・政治家(1836-1908)。江戸幕府の海軍奉行。慶応4年(1868)、旧幕府艦隊を率いて蝦夷(=北海道)に渡り、五稜郭で「蝦夷共和国」を樹立した稀有な存在。新政府軍に降伏後、明治政府に出仕、駐露公使・農商務大臣・文部大臣などを歴任した稀有な復活。

板垣退助

板垣退助

武将

いたがきたいすけ

幕末・明治(1837-1919)

幕末・明治の政治家(1837-1919)。土佐藩士、戊辰戦争で官軍として活躍した稀有な戦歴。明治新政府で参議・征韓論で下野後、明治7年(1874)「民撰議院設立建白書」を提出して自由民権運動を主導した稀有な存在。「板垣死すとも自由は死せず」の名言。

入江九一

入江九一

武将

いりえくいち

幕末(1837-1864)

幕末の長州藩士(1837-1864)。吉田松陰の松下村塾出身、松陰の最も信頼する弟子の一人。久坂玄瑞と共に長州藩の尊王攘夷運動を主導。元治元年(1864)、禁門の変で京都・天王山で自決した稀有な悲劇、享年28。

徳川慶喜

徳川慶喜

武将

とくがわよしのぶ

幕末・明治(1837-1913)

江戸幕府第15代将軍・最後の将軍(1837-1913)。水戸藩主・徳川斉昭の七男。慶応2年(1866)将軍就任、翌年の大政奉還(1867)で江戸幕府を終焉させた稀有な政治家。戊辰戦争で恭順、明治期は公爵・貴族院議員として長寿を全うした稀有な存在。

中岡慎太郎

中岡慎太郎

武将

なかおかしんたろう

幕末(1838-1867)

幕末の志士(1838-1867)。土佐藩郷士、坂本龍馬と共に薩長同盟を成立させた稀有な調停者。陸援隊の隊長として活躍するも、慶応3年(1867)11月、龍馬と共に京都・近江屋で暗殺された稀有な悲劇。

大隈重信

大隈重信

武将

おおくましげのぶ

幕末・明治(1838-1922)

幕末・明治・大正の政治家・教育者(1838-1922)。佐賀藩士。明治政府で参議・大蔵卿・外務大臣・首相(2度)を歴任。明治14年の政変で下野し立憲改進党を結成。明治15年(1882)に東京専門学校(=後の早稲田大学)を創立した稀有な存在。

山県有朋

山県有朋

武将

やまがたありとも

幕末・明治(1838-1922)

幕末・明治・大正の政治家・軍人(1838-1922)。長州藩士、吉田松陰の松下村塾出身。高杉晋作の奇兵隊軍監。明治新政府で日本陸軍の創設者として「陸軍の山県」と称された稀有な存在。内閣総理大臣を2度務めた稀有な元勲。

後藤象二郎

後藤象二郎

武将

ごとうしょうじろう

幕末・明治(1838-1897)

幕末・明治の政治家(1838-1897)。土佐藩参政、坂本龍馬から「船中八策」(=大政奉還の構想)を聞き、藩主・山内容堂に進言した稀有な仲介者。慶応3年(1867)、容堂が徳川慶喜に大政奉還を建白する稀有な大事業の実現に貢献。明治期は板垣退助と共に自由民権運動を主導した稀有な存在。

高杉晋作

高杉晋作

武将

たかすぎしんさく

幕末(1839-1867)

幕末の長州藩士(1839-1867)。長州征伐(=幕府軍による長州攻撃)の危機を救った稀有な英雄。「奇兵隊」(=身分を問わない志願兵部隊)を結成、革命的な軍事力で長州を強化、明治維新の主役の一人となった。結核で27歳で夭逝。

永倉新八

永倉新八

武将

ながくらしんぱち

幕末・明治(1839-1915)

幕末の新選組二番隊組長(1839-1915)。松前藩士の家に生まれ、神道無念流の達人として新選組に参加。「池田屋事件」で大活躍した稀有な剣豪。戊辰戦争で新選組から離れて靖兵隊を結成、明治期は北海道に移住して長寿を全うした稀有な存在。

久坂玄瑞

久坂玄瑞

武将

くさかげんずい

幕末(1840-1864)

幕末の長州藩士(1840-1864)。吉田松陰の松下村塾出身、高杉晋作と並ぶ松陰門下の双璧。松陰の妹・文を妻に迎えた稀有な縁戚関係。尊王攘夷運動の中心人物として活躍するも、元治元年(1864)、禁門の変で京都・鷹司邸で自決した稀有な悲劇、享年25。

黒田清隆

黒田清隆

武将

くろだきよたか

幕末・明治(1840-1900)

幕末・明治の政治家・軍人(1840-1900)。薩摩藩士、戊辰戦争で函館戦争を指揮、榎本武揚を降伏させた稀有な戦歴。明治新政府で北海道開拓使長官として北海道開発を主導、後に第2代内閣総理大臣を務めた稀有な元勲。

伊藤博文

伊藤博文

武将

いとうひろぶみ

幕末・明治(1841-1909)

幕末・明治の政治家(1841-1909)。長州藩士、吉田松陰の松下村塾出身。明治新政府で初代内閣総理大臣・初代枢密院議長・初代貴族院議長・初代韓国統監を務めた稀有な近代日本最大の政治家。明治22年(1889)、大日本帝国憲法を起草した稀有な大事業。明治42年(1909)、ハルビンで暗殺。

沖田総司

沖田総司

武将

おきたそうじ

幕末(1842-1868)

幕末の新選組一番隊組長(1842-1868)。陸奥国白河藩士の家に生まれ、9歳で試衛館に入門、若くして天然理心流の塾頭代を務めた稀有な天才剣士。「池田屋事件」で大活躍。しかし若くして肺結核を患い、慶応4年(1868)、26歳で病没した稀有な悲劇。

大山巌

大山巌

武将

おおやまいわお

幕末・明治(1842-1916)

幕末・明治・大正の軍人(1842-1916)。薩摩藩士、西郷隆盛・従道兄弟のいとこ。戊辰戦争に従軍。明治新政府で陸軍卿・元帥・参謀総長を歴任、日露戦争(1904-1905)で満州軍総司令官として大勝利した稀有な軍才。

西郷従道

西郷従道

武将

さいごうつぐみち

幕末・明治(1843-1902)

幕末・明治の政治家・軍人(1843-1902)。薩摩藩士、西郷隆盛の実弟。戊辰戦争に従軍。明治新政府で陸軍卿・海軍卿・元帥(陸海軍とも)を歴任した稀有な「兄に劣らぬ才」。西南戦争(1877)では兄・隆盛とは反対の政府軍側に与した稀有な悲劇。

斎藤一

斎藤一

武将

さいとうはじめ

幕末・明治(1844-1915)

幕末の新選組三番隊組長(1844-1915)。江戸の御家人の子として生まれる。新選組屈指の剣豪、特に左片手平晴眼の構えからの稀有な剣風で恐れられた。戊辰戦争で会津藩に従って戦い、明治期は警視庁警察官・教育者として長寿を全うした稀有な存在。

山田顕義

山田顕義

武将

やまだあきよし

幕末・明治(1844-1892)

幕末・明治の政治家・教育者(1844-1892)。長州藩士、吉田松陰の松下村塾出身の最年少。戊辰戦争で官軍として活躍。明治政府で初代司法大臣を務めた稀有な経歴。明治22年(1889)、日本大学(=現・日本大学)・國學院(=現・國學院大學)を創立した稀有な教育者。

桂太郎

桂太郎

武将

かつらたろう

明治・大正(1848-1913)

明治・大正の政治家・軍人(1848-1913)。長州藩士、戊辰戦争に従軍。明治期にドイツ留学、陸軍の近代化に貢献した稀有な軍人。内閣総理大臣を3度務め、日本史上最長の総理在任期間(=通算2,886日)の稀有な記録。

藤原秀郷

藤原秀郷

武将

ふじわらのひでさと

平安時代

平安中期の武将。 生没年不詳。「俵藤太(たわらのとうた)」の通称で有名。 下野国(=栃木県)出身。 天慶3年(940)、平将門の乱を平定し「平将門討伐」の英雄となった。 「百足退治」の伝説でも有名。