TabiShiri

人物・神様

神社・寺・城のゆかりの神様・武将・名僧を紹介します。

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平将門

平将門

武将

たいらのまさかど

平安時代(903-940)

平安中期の武将(903-940)。桓武天皇の血を引く関東の有力者。承平・天慶の乱(935-940)で関東を制圧し「新皇」を称した稀有な反乱者。藤原秀郷・平貞盛に討たれて敗死、首は京都に運ばれた。死後「祟り神」として神田明神などに祀られた。

源義家

源義家

武将

みなもとのよしいえ

平安時代(1039-1106)

平安後期の武将(1039-1106)。源頼義の長男、源頼朝の高祖父。前九年・後三年の役で奥州を平定、源氏の関東支配の基礎を築いた稀有な英雄。「八幡太郎」の異名で武家の理想像となった。

平清盛

平清盛

武将

たいらのきよもり

平安時代(1118-1181)

平安末期の武将・政治家(1118-1181)。武家として初の太政大臣に登り、平氏全盛時代を築いた。「平家にあらずんば人にあらず」の権勢。厳島神社の社殿大改修を行い、後の平家滅亡の幕開けまで描いた稀有な存在。

源義朝

源義朝

武将

みなもとのよしとも

平安時代(1123-1160)

平安末期の武将(1123-1160)。源頼朝・源義経の父。保元の乱(1156)で勝利するも平治の乱(1159)で平清盛に敗れ、尾張国・野間(=愛知県美浜町、=野間大坊)で家臣・長田忠致に裏切られて殺害された稀有な悲劇の英雄。

平重盛

平重盛

武将

たいらのしげもり

平安時代(1138-1179)

平安末期の武将(1138-1179)。平清盛の嫡男。父・清盛の専横を諌めた稀有な「義の人」。後白河院との対立を防ごうとした調停者。父より早く42歳で病没、これが平家滅亡の遠因となった稀有な存在。

源頼朝

源頼朝

武将

みなもとのよりとも

平安・鎌倉(1147-1199)

鎌倉幕府の初代将軍(1147-1199)。源義朝の三男。平治の乱で父を失い伊豆に流されるも、治承4年(1180)挙兵、平家を滅ぼして武家政権を樹立した日本史上の革命家。

木曽義仲

木曽義仲

武将

きそよしなか

平安時代(1154-1184)

平安末期の武将(1154-1184)。源義朝の従弟、源頼朝・源義経のいとこ。信濃国木曽で挙兵、倶利伽羅峠の戦いで平家を破り上洛、「朝日将軍」と称された。しかし後白河院と対立し、頼朝に討伐されて近江粟津で敗死した稀有な悲劇の英雄。

源義経

源義経

武将

みなもとのよしつね

平安・鎌倉(1159-1189)

平安末期の武将(1159-1189)。源義朝の九男、頼朝の異母弟。鞍馬寺で育ち、平家追討で稀有な戦術(一の谷の鵯越・屋島・壇ノ浦)を見せた天才武将。後に兄頼朝と対立、奥州で討死した悲劇のヒーロー。

北条義時

北条義時

武将

ほうじょうよしとき

鎌倉時代(1163-1224)

鎌倉幕府の2代執権(1163-1224)。北条政子の弟。源頼朝の死後、姉政子と共に幕府の実権を握り、承久の乱で後鳥羽院を破って武家政権を盤石にした稀有な戦略家。

北条泰時

北条泰時

武将

ほうじょうやすとき

鎌倉時代(1183-1242)

鎌倉幕府の3代執権(1183-1242)。北条義時の長男。日本初の武家法「御成敗式目」(1232)を制定し、武家社会の秩序の基礎を築いた稀有な名君。

北条時頼

北条時頼

武将

ほうじょうときより

鎌倉時代(1227-1263)

鎌倉幕府第5代執権(1227-1263)。30歳で出家し「最明寺入道」を称しながら実権を握り続けた稀有な政治家。「鉢の木」の伝説で知られる質素・公正な統治者。建長寺(=鎌倉五山第1位)を創建。

北条時宗

北条時宗

武将

ほうじょうときむね

鎌倉時代(1251-1284)

鎌倉幕府の8代執権(1251-1284)。北条時頼の嫡男。文永11年(1274)「文永の役」・弘安4年(1281)「弘安の役」の二度の元寇(=モンゴル襲来)を退けた稀有な救国の英雄。鎌倉・円覚寺を創建。

楠木正成

楠木正成

武将

くすのきまさしげ

南北朝時代(1294-1336)

鎌倉幕府を倒した元弘の乱の立役者で、後醍醐天皇の建武政権を支えた河内の武将。千早城にわずかな兵で籠もり、幕府の大軍を半年近く釘付けにして倒幕の流れを決定づけた。延元元年(1336年)、湊川で足利尊氏の軍に敗れ、弟の正季と刺し違えて自刃。明治以降は「大楠公」として神格化され、神戸の湊川神社に祀られている。

新田義貞

新田義貞

武将

にったよしさだ

南北朝時代(1301-1338)

南北朝動乱期の武将(1301-1338)。源義家の流れを汲む新田氏の当主。元弘3年(1333)、鎌倉に攻め入って北条幕府を滅亡させた稀有な英雄。後に足利尊氏と対立、越前藤島で敗死。

足利尊氏

足利尊氏

武将

あしかがたかうじ

南北朝時代(1305-1358)

室町幕府の初代将軍(1305-1358)。鎌倉幕府の有力御家人として後醍醐天皇の倒幕に与するも、後に対立して室町幕府を開いた稀有な政治家。南北朝動乱の主役。

北畠顕家

北畠顕家

武将

きたばたけあきいえ

南北朝時代(1318-1338)

南北朝時代の若き名将(1318-1338)。北畠親房の長男。16歳で陸奥守となり、東北・関東を平定して足利尊氏を一時京都から追い落とした稀有な天才将軍。21歳の若さで阿倍野(=大阪)で戦死した稀有な悲劇。

楠木正行

楠木正行

武将

くすのきまさつら

南北朝時代(1326-1348)

南北朝時代の武将(1326-1348)。楠木正成(=「大楠公」)の長男、「小楠公(しょうなんこう)」と称された稀有な存在。父・正成の遺志を継ぎ南朝方として戦い、四條畷の戦いで足利方の高師直に敗れて自害した稀有な悲劇、享年23。

足利義満

足利義満

武将

あしかがよしみつ

室町時代(1358-1408)

室町幕府の第3代将軍(1358-1408)。南北朝合一(1392)を実現し、室町幕府の全盛時代を築いた。京都・北山に金閣寺(=鹿苑寺)を建立、日明貿易を開始するなど政治・外交・文化の三方面で輝いた稀有な為政者。

太田道灌

太田道灌

武将

おおたどうかん

室町時代(1432-1486)

室町後期の武将・歌人(1432-1486)。扇谷上杉家の家臣として、長禄元年(1457)、後の江戸城の原型となる平山城を築いた稀有な「江戸城築城者」。「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき」の歌で有名。

北条早雲

北条早雲

武将

ほうじょうそううん

戦国時代(1456-1519)

戦国大名の先駆けとされる武将。 室町幕府の幕臣・備中伊勢氏の出身で、駿河の今川家の家督争いを収めたのち伊豆へ進出し、続いて相模一国を平定して、五代百年にわたる小田原北条氏の礎を築いた。 四公六民の税制と戦国大名として最古級の検地で知られる。ただし本人は生涯「伊勢」を名乗り、「北条早雲」と呼ばれたことは一度もない。

朝倉宗滴

朝倉宗滴

武将

あさくらそうてき

戦国時代(1477-1555)

戦国時代の武将(1477-1555)。越前朝倉氏の重臣。朝倉氏8代孝景・9代貞景・10代孝景・11代義景の4代に仕えた稀有な長老。武田信玄・上杉謙信らも一目置いた稀有な「戦国の長老」。「朝倉宗滴話記」=戦国の家中経営の理想を説いた稀有な家訓。

山本勘助

山本勘助

武将

やまもとかんすけ

戦国時代(1493-1561)

戦国時代の武将・軍師(1493?-1561)。武田信玄の軍師として伝説的存在。「啄木鳥(きつつき)戦法」の考案者として有名な稀有な軍略家。永禄4年(1561)、第四次川中島の戦いで自身の戦法が破られ、責任を取って奮戦し戦死した稀有な悲劇。

斎藤道三

斎藤道三

武将

さいとうどうさん

戦国時代(1494-1556)

戦国時代の美濃国(=岐阜県)の大名(1494-1556)。京都の油売りから一代で美濃の主に成り上がった稀有な下剋上の代名詞。「美濃の蝮(まむし)」の異名。娘・濃姫を織田信長に嫁がせ、信長を「天下を取る器」と見抜いた稀有な眼力の人。

毛利元就

毛利元就

武将

もうりもとなり

戦国時代(1497-1571)

戦国時代の中国地方の覇者(1497-1571)。安芸国の小領主から、謀略と戦略で中国地方10か国を制覇した稀有な智将。「三本の矢(=三子教訓状)」の逸話で有名。

大内義隆

大内義隆

武将

おおうちよしたか

戦国時代(1507-1551)

戦国時代の周防(=山口)の大名(1507-1551)。「西国の覇者」「百八十年に及ぶ大内氏の最後の繁栄」を築いた稀有な文化人大名。 京都の公家文化を山口に移植し、「西の京」と称された稀有な文化の都を作った。 家臣・陶晴賢の謀反で自害。

松永久秀

松永久秀

武将

まつながひさひで

戦国時代(1508-1577)

戦国時代の武将(1508-1577)。三好長慶の家臣から大和(=奈良)の支配者に。三好三人衆と共に将軍・足利義輝を暗殺、東大寺大仏殿を焼くなど稀有な「梟雄(きょうゆう)」。信長に降伏後再び反逆、信貴山城で名物茶釜「平蜘蛛」と共に自爆した稀有な悲劇。

直江景綱

直江景綱

武将

なおえかげつな

戦国時代(1509-1577)

戦国時代の武将(1509-1577)。上杉謙信の最も古い腹心の一人。直江家の養嗣子・直江兼続に家督を継がせる前の直江家当主。謙信の外交・内政の中核を担った稀有な存在。

立花道雪

立花道雪

武将

たちばなどうせつ

戦国時代(1513-1585)

戦国時代の武将(1513-1585)。大友氏(=大友宗麟)の家臣。「雷神を斬った男」の異名で知られる稀有な伝説の人。半身不随となっても駕籠で戦場に出続けた稀有な勇将。娘・誾千代を立花宗茂に嫁がせて立花家を継承させた稀有な存在。

柿崎景家

柿崎景家

武将

かきざきかげいえ

戦国時代(1513-1574)

戦国時代の武将(1513-1574)。上杉謙信の重臣、越後上田衆の頭領。第四次川中島の戦い(1561)で謙信本陣の前で武田信玄の本陣を急襲する稀有な先鋒。「越後七郡の旗頭」と称された稀有な勇将。

北条氏康

北条氏康

武将

ほうじょううじやす

戦国時代(1515-1571)

後北条氏3代目当主(1515-1571)。「相模の獅子」の異名で武田信玄・上杉謙信と並び称された関東の覇者。河越夜戦・第一次国府台合戦で奇跡的勝利を収め、関東に北条全盛時代を築いた稀有な戦略家。

北条綱成

北条綱成

武将

ほうじょうつなしげ

戦国時代(1515-1587)

戦国時代の後北条氏の家臣(1515-1587)。北条氏綱の娘婿で、玉縄城主として後北条氏第一の猛将と称された稀有な存在。「地黄八幡(じきはちまん)」の旗印で有名。河越夜戦(1546)・第二次国府台合戦(1564)・三方ヶ原の戦い(1572)など多くの合戦で活躍。

馬場信春

馬場信春

武将

ばばのぶはる

戦国時代(1515-1575)

戦国時代の武将(1515-1575)。武田信玄・勝頼の重臣。「武田四名臣」の一人で、生涯に70回以上の合戦に参戦して一度も傷を負わなかった稀有な「不死身の馬場」。長篠の戦い(1575)で本陣を守って奮戦し戦死した稀有な悲劇。

今川義元

今川義元

武将

いまがわよしもと

戦国時代(1519-1560)

駿河・遠江・三河の三か国を束ねた東海一の戦国大名。 寺で僧として育ちながら家督争いに勝って還俗し、武田・北条との三国同盟で背後を固め、分国法を整えて今川氏の最盛期を築いた。 永禄3年(1560年)、尾張へ攻め入った先の桶狭間で織田信長に討たれ、享年42。 幼い徳川家康を人質として駿府で養育した人物でもある。

武田信玄

武田信玄

武将

たけだしんげん

戦国時代(1521-1573)

甲斐(=山梨)の戦国大名(1521-1573)。「甲斐の虎」「風林火山」で有名な戦国最強と称された名将。上杉謙信との川中島の戦いで知られる。上洛途上で病没、徳川家康を三方ヶ原の戦いで完膚なきまで打ち破った稀有な戦略家。

蘆名盛氏

蘆名盛氏

武将

あしなもりうじ

戦国時代(1521-1580)

戦国時代の陸奥国(=福島県)会津の大名(1521-1580)。会津・蘆名氏第16代当主。蘆名氏中興の祖として、会津を中心とする南東北の覇者となった稀有な存在。しかし子孫の代に伊達政宗に滅ぼされた稀有な悲劇の家系。

三好長慶

三好長慶

武将

みよしながよし

戦国時代(1522-1564)

戦国時代の畿内の大名(1522-1564)。阿波国(=徳島)の三好氏出身。室町幕府を掌握し、織田信長以前に「畿内の覇者」となった稀有な天下人の先駆者。日本初のキリスト教許可者ともされる稀有な国際派。43歳で病没後、三好氏は急速に衰退。

柴田勝家

柴田勝家

武将

しばたかついえ

戦国時代(1522-1583)

戦国時代の武将(1522-1583)。織田信長の筆頭家老。本能寺の変後、お市の方と再婚するも、賤ヶ岳の戦い(1583)で豊臣秀吉に敗北、北ノ庄城(=福井)で自害した。 「鬼柴田」「かかれ柴田」の異名で恐れられた稀有な勇将。

内藤昌秀

内藤昌秀

武将

ないとうまさひで

戦国時代(1522-1575)

戦国時代の武将(1522-1575)。武田信玄・勝頼の重臣。「武田四名臣」の一人。「外交・行政の名手」として、武田家の対上杉・対織田・対北条の外交を担当した稀有な才能。長篠の戦い(1575)で戦死した稀有な悲劇。

毛利隆元

毛利隆元

武将

もうりたかもと

戦国時代(1523-1563)

戦国時代の武将(1523-1563)。毛利元就の嫡男、毛利輝元の父。父・元就と「両川(=吉川元春・小早川隆景)」の弟達の補佐で家中を支えた稀有な存在。しかし永禄6年(1563)、出雲遠征中に急死した稀有な悲劇、享年41。

武田信繁

武田信繁

武将

たけだのぶしげ

戦国時代(1525-1561)

戦国時代の武将(1525-1561)。武田信玄の同母弟。信玄を補佐する「武田典厩(てんきゅう)」として家中の信望を集めた稀有な存在。永禄4年(1561)、第四次川中島の戦いで奮戦し戦死した稀有な悲劇。

滝川一益

滝川一益

武将

たきがわかずます

戦国時代(1525-1586)

戦国時代の武将(1525-1586)。織田信長の重臣で「織田四天王」(=柴田勝家・羽柴秀吉・明智光秀・滝川一益)の一人。武田氏滅亡(1582)後、関東管領として上野・伊勢などを支配。本能寺の変後、北条氏との神流川の戦いで敗北、後に秀吉に降伏した稀有な悲劇。

蜂須賀小六

蜂須賀小六

武将

はちすかころく

戦国時代(1526-1586)

戦国時代の武将(1526-1586)。豊臣秀吉の最も古い腹心、墨俣一夜城(1566)の主役。「夜盗の頭」の伝説で有名だが実際は美濃国・蜂須賀党の有力豪族。後に秀吉の家臣となり阿波国徳島の藩主となった蜂須賀家の祖。

高坂昌信

高坂昌信

武将

こうさかまさのぶ

戦国時代(1527-1578)

戦国時代の武将(1527-1578)。武田信玄の重臣、「武田四名臣」の一人。海津城(=長野県松代)の城代として上杉謙信に対する最前線を守った稀有な存在。「逃げ弾正(にげだんじょう)」=撤退戦の名手として有名な稀有な戦術家。

酒井忠次

酒井忠次

武将

さかいただつぐ

戦国時代(1527-1596)

徳川四天王の最年長(1527-1596)。徳川家康の祖父・松平清康の代から仕えた譜代の老将。家康の人質時代から長きにわたって仕えた稀有な存在。「海老すくい」の踊りが家康の宴を盛り上げた稀有な人懐っこい性格。長篠の戦い(1575)では鳶ヶ巣山砦の奇襲を成功させた稀有な戦術。

明智光秀

明智光秀

武将

あけちみつひで

戦国時代(1528-1582)

戦国時代の武将(1528?-1582)。織田信長の重臣として丹波を平定するも、天正10年(1582)の「本能寺の変」で信長を討った稀有な謀反人。 直後の山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ、「三日天下」と称される稀有な歴史の主役。

佐久間信盛

佐久間信盛

武将

さくまのぶもり

戦国時代(1528-1582)

戦国時代の武将(1528-1582)。織田信長の家臣で「退き佐久間」と称された撤退戦の名手。長く信長家臣団の重鎮だったが、天正8年(1580)、信長から「19カ条の折檻状」を受けて追放され高野山に蟄居、翌年没した稀有な悲劇。

山県昌景

山県昌景

武将

やまがたまさかげ

戦国時代(1529-1575)

戦国時代の武将(1529-1575)。武田信玄・勝頼の重臣。「武田四名臣(=山県昌景・馬場信春・内藤昌秀・高坂昌信)」の筆頭。「赤備え(=甲冑を赤で統一した精鋭部隊)」で恐れられた稀有な勇将。長篠の戦い(1575)で奮戦し戦死。

龍造寺隆信

龍造寺隆信

武将

りゅうぞうじたかのぶ

戦国時代(1529-1584)

戦国時代の肥前国(=佐賀県)の大名(1529-1584)。「肥前の熊」と恐れられた九州北部の覇者。最盛期は「五州二島の太守」(=肥前・肥後・筑前・筑後・豊前+壱岐・対馬)として君臨。天正12年(1584)、島原・沖田畷の戦いで島津義久・有馬晴信に敗死した稀有な悲劇。

上杉謙信

上杉謙信

武将

うえすぎけんしん

戦国時代(1530-1578)

越後(=新潟)の戦国大名(1530-1578)。「越後の龍」「軍神」と称された武田信玄の好敵手。 「毘沙門天の化身」を自認し、生涯不犯(=妻帯せず)。 「敵に塩を送る」逸話で義の武将として有名。

大友宗麟

大友宗麟

武将

おおともそうりん

戦国時代(1530-1587)

戦国時代の九州の大名(1530-1587)。豊後(=大分)の大友氏当主。九州六カ国を支配した最盛期があるも、島津氏に敗れて衰退。キリシタン大名として洗礼名フランシスコ、ローマ法王に少年使節(=天正遣欧少年使節)を派遣した稀有な国際派。

吉川元春

吉川元春

武将

きっかわもとはる

戦国時代(1530-1586)

戦国時代の武将(1530-1586)。毛利元就の次男。安芸国・吉川氏の養子となり、毛利氏の陸軍を率いた稀有な存在。弟・小早川隆景と共に「毛利両川(りょうせん)」として毛利氏を支えた稀有な大功臣。生涯不敗を誇る稀有な戦歴。

朝倉義景

朝倉義景

武将

あさくらよしかげ

戦国時代(1533-1573)

戦国時代の越前国(=福井県)の大名(1533-1573)。朝倉氏第11代当主。一乗谷を本拠に北陸の覇者として君臨するも、信長との対立で滅亡。浅井長政と連携した「朝倉浅井同盟」で姉川の戦い(1570)で信長と戦った稀有な存在。

小早川隆景

小早川隆景

武将

こばやかわたかかげ

戦国時代(1533-1597)

戦国・安土桃山期の武将(1533-1597)。毛利元就の三男。安芸国・沼田小早川氏の養子となり、毛利氏の海軍を率いた稀有な存在。兄・吉川元春と共に「毛利両川(りょうせん)」として毛利氏を支えた稀有な大功臣。

石川数正

石川数正

武将

いしかわかずまさ

戦国時代(1533-1593)

徳川家康の腹心の一人(1533-1593)。譜代の家臣として家康の人質時代から仕えた稀有な存在。しかし天正13年(1585)、突然豊臣秀吉の元に出奔した。「徳川家最大の謎の出奔」。秀吉から信濃国・松本8万石を与えられ、松本城を築城した。

島津義久

島津義久

武将

しまづよしひさ

戦国時代(1533-1611)

戦国時代の薩摩(=鹿児島)の大名(1533-1611)。島津四兄弟の長兄。弟・義弘・歳久・家久と共に九州一円を席巻、最盛期には九州8カ国のうち6カ国を支配した稀有な大領主。豊臣秀吉の九州征伐(1587)で剃髪して降伏。

織田信長

織田信長

武将

おだのぶなが

戦国時代(1534-1582)

戦国時代を代表する武将(1534-1582)。尾張(=愛知)の小大名から、桶狭間の戦い・長篠の戦いなどで覇を唱え、室町幕府を滅ぼして天下統一目前まで進んだ。本能寺の変で家臣・明智光秀の謀反に倒れた。

細川幽斎

細川幽斎

武将

ほそかわゆうさい

戦国時代(1534-1610)

戦国・安土桃山期の武将・歌人(1534-1610)。室町幕府足利将軍家に仕えた後、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕えた稀有な「三人の天下人に仕えた武将」。古今伝授(=古今和歌集の秘伝)の継承者で、関ヶ原の戦い直前、田辺城に籠城して戦死を覚悟するも勅命で開城した稀有な歌人。

島津義弘

島津義弘

武将

しまづよしひろ

戦国時代(1535-1619)

戦国時代の薩摩(=鹿児島)の名将(1535-1619)。島津四兄弟の次男。九州統一目前まで進めるも秀吉に降伏、朝鮮出兵で「鬼島津」の名を轟かせた。関ヶ原の戦いで西軍敗北後、敵中突破「島津の退き口」で帰国した稀有な戦術家。

丹羽長秀

丹羽長秀

武将

にわながひで

戦国時代(1535-1585)

戦国時代の武将(1535-1585)。織田信長の重臣で「織田四天王」(=柴田勝家・羽柴秀吉・明智光秀・丹羽長秀)の一人。安土城築城の総奉行を務めた稀有な存在。「米五郎左(=米のように白くて使い勝手の良い男)」の異名。本能寺の変後、秀吉に従い越前・加賀を加増された。

池田恒興

池田恒興

武将

いけだつねおき

戦国時代(1536-1584)

戦国時代の武将(1536-1584)。織田信長の乳兄弟(=母同士が乳母)、信長の最も古い盟友。本能寺の変後、清洲会議に参加する稀有な大老格。天正12年(1584)、小牧長久手の戦いで嫡男・元助と共に戦死した稀有な悲劇。子・池田輝政が後を継いだ。

豊臣秀吉

豊臣秀吉

武将

とよとみひでよし

戦国時代(1537-1598)

戦国時代の武将・天下人(1537-1598)。尾張(=愛知)の農民から織田信長に仕えて頭角を現し、本能寺の変後に天下を統一した「立身出世の代名詞」。検地・刀狩りで近世社会の基礎を築き、朝鮮出兵を行うも病没した。

北条氏政

北条氏政

武将

ほうじょううじまさ

戦国時代(1538-1590)

戦国時代の後北条氏4代目当主(1538-1590)。北条氏康の次男(嫡男)。武田氏・上杉氏との抗争で関東の勢力を拡大するも、豊臣秀吉の小田原征伐(1590)で降伏、後に自害した稀有な悲劇。「氏政の汁かけ飯」=食事中、汁を二度かけたことを父・氏康が嘆いたとされる稀有な逸話の主。

鍋島直茂

鍋島直茂

武将

なべしまなおしげ

戦国・江戸(1538-1618)

戦国・江戸初期の武将(1538-1618)。龍造寺隆信の家老・義弟。龍造寺氏が衰退すると主家の実権を握り、後に佐賀藩(=鍋島藩)初代藩主となった稀有な経緯。子孫の鍋島光茂の代に「葉隠(はがくれ)」が成立、武士道の聖典となった稀有な家系。

長宗我部元親

長宗我部元親

武将

ちょうそかべもとちか

戦国時代(1539-1599)

戦国時代の四国の覇者(1539-1599)。土佐(=高知)の土豪・長宗我部氏の当主から、四国全土を制覇した稀有な大領主。幼少期は「姫若子(=姫のような優男)」と侮られたが、初陣で勇姿を見せ「鬼若子」と一変した稀有な経歴。豊臣秀吉の四国征伐で降伏。

前田利家

前田利家

武将

まえだとしいえ

戦国時代(1539-1599)

戦国・安土桃山期の武将(1539-1599)。織田信長の小姓から重臣に。「槍の又左」と称された勇将。豊臣秀吉の五大老の一人。加賀100万石の前田家の祖、加賀藩(=金沢藩)の藩祖。

鳥居元忠

鳥居元忠

武将

とりいもとただ

戦国時代(1539-1600)

徳川家康の譜代の家臣(1539-1600)。家康の少年期から仕えた稀有な忠臣。慶長5年(1600)、関ヶ原前夜、伏見城の城代として石田三成率いる西軍4万の大軍に対し、わずか1,800の兵で13日間籠城、城に火を放って自害した稀有な悲劇の忠臣。

本庄繁長

本庄繁長

武将

ほんじょうしげなが

戦国時代(1540-1614)

戦国・江戸初期の武将(1540-1614)。越後国・本庄城主。上杉謙信・景勝の重臣。永禄11年(1568)、武田信玄の調略で謙信に反旗を翻すも、後に降伏。秀吉の朝鮮出兵・関ヶ原・上杉景勝の米沢転封など、戦国から江戸初期まで主要事件のほぼ全てに関与した稀有な長寿の名将。

服部半蔵

服部半蔵

武将

はっとりはんぞう

戦国時代(1542-1597)

徳川家康の忍者頭領(1542-1597)。伊賀忍者の出身。家康の少年期から仕え、「神君伊賀越え」(=本能寺の変直後、家康が京都から伊賀を越えて三河に逃れた稀有な逃走劇)の最大の功労者。「鬼半蔵」と称された稀有な忍者武将。

徳川家康

徳川家康

武将

とくがわいえやす

戦国時代(1543-1616)

江戸幕府の初代将軍(1543-1616)。三河(=愛知)の小大名・松平氏に生まれ、今川・織田の人質を経て信長・秀吉に仕え、関ヶ原の戦いで覇権を握り、江戸幕府を開いて260年の太平の世の基礎を築いた「忍耐の人」。

竹中半兵衛

竹中半兵衛

武将

たけなかはんべえ

戦国時代(1544-1579)

戦国時代の武将・軍師(1544-1579)。美濃国(=岐阜県)出身。豊臣秀吉の軍師として黒田官兵衛と共に「両兵衛」と称された稀有な天才。播磨攻めの最中、肺結核で36歳の若さで陣中没した稀有な悲劇。

浅井長政

浅井長政

武将

あざいながまさ

戦国時代(1545-1573)

戦国時代の北近江の大名(1545-1573)。織田信長の妹・お市の方を妻に迎え信長と同盟するも、元亀元年(1570)に決別。姉川の戦いで敗北、天正元年(1573)小谷城落城で自害。三女・茶々(=淀殿、秀吉側室)の父。

山内一豊

山内一豊

武将

やまうちかずとよ

戦国時代(1545-1605)

戦国・安土桃山期の武将(1545-1605)。妻・千代の機転による「馬揃え」の逸話で有名な稀有な存在。関ヶ原で東軍に与し、戦後土佐24万石(=後の高知藩)を与えられた稀有な経歴。

山中鹿之介

山中鹿之介

武将

やまなかしかのすけ

戦国時代(1545-1578)

戦国時代の武将(1545?-1578)。出雲国(=島根県)の尼子氏家臣。主家・尼子家の再興のため「願わくは我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った稀有な忠臣。尼子十勇士の筆頭、毛利元就との戦いで活躍するも、最後は捕らえられて殺害された稀有な悲劇の忠臣。

黒田官兵衛

黒田官兵衛

武将

くろだかんべえ

戦国時代(1546-1604)

戦国時代の武将・キリシタン大名(1546-1604)。豊臣秀吉の天才軍師として活躍、本能寺の変直後に「中国大返し」を進言、天下取りの立役者となった。関ヶ原の戦いでは九州で独自に進軍した稀有な戦略家。

武田勝頼

武田勝頼

武将

たけだかつより

戦国時代(1546-1582)

戦国時代の武将(1546-1582)。武田信玄の四男(後嗣)。父・信玄の死後、家督を継ぐも、天正3年(1575)「長篠の戦い」で織田信長・徳川家康連合軍に大敗。天正10年(1582)、天目山で自害した稀有な悲劇の最期、武田氏滅亡。

最上義光

最上義光

武将

もがみよしあき

戦国時代(1546-1614)

戦国時代の出羽国(=山形県)の大名(1546-1614)。山形城主、最上氏第11代当主。妹・義姫が伊達輝宗に嫁いだため、伊達政宗の伯父。関ヶ原の戦いで東軍に与し、慶長出羽合戦で上杉景勝・直江兼続の侵攻を撃退、戦後出羽57万石の大領主となった稀有な存在。

真田昌幸

真田昌幸

武将

さなだまさゆき

戦国時代(1547-1611)

戦国・安土桃山期の名将(1547-1611)。真田幸村の父。武田信玄・勝頼に仕え、武田滅亡後は徳川・上杉・北条の狭間で巧みに立ち回った稀有な智将。第一次・第二次上田合戦で徳川秀忠軍を翻弄、関ヶ原後に九度山に蟄居。

佐竹義重

佐竹義重

武将

さたけよししげ

戦国時代(1547-1612)

戦国時代の常陸国(=茨城県)の大名(1547-1612)。佐竹氏第18代当主。「鬼義重」「坂東太郎」と称された稀有な勇将。北条氏・伊達政宗らと激しく対立、関東の覇権を争った稀有な戦国大名。

本多忠勝

本多忠勝

武将

ほんだただかつ

戦国時代(1548-1610)

徳川四天王の筆頭(1548-1610)。徳川家康に幼少から仕え、生涯57回の合戦で一度も傷を負わなかった稀有な勇将。「家康に過ぎたるもの二つあり、唐の頭に本多平八」と称された。愛槍「蜻蛉切(とんぼきり)」、「鹿角の兜」が代表的な象徴。

榊原康政

榊原康政

武将

さかきばらやすまさ

戦国時代(1548-1606)

徳川四天王の一人(1548-1606)。徳川家康に幼少から仕え、姉川の戦い・三方ヶ原・小牧長久手などで活躍。「無一文の康政」=財産を貯めず家臣に分配した稀有な清廉の士。関ヶ原後、上野国館林10万石を与えられた。

高橋紹運

高橋紹運

武将

たかはしじょううん

戦国時代(1548-1586)

戦国時代の武将(1548-1586)。大友氏(=大友宗麟)の家臣。子・立花宗茂を立花道雪の婿養子にした稀有な経歴。天正14年(1586)、岩屋城(=福岡県)で島津義弘・島津家久(=義弘の弟)率いる5万の大軍に対し、わずか763人で16日間籠城、自害した稀有な「九州の桜井決戦」。

高山右近

高山右近

武将

たかやまうこん

戦国時代(1552-1615)

戦国時代のキリシタン大名(1552-1615)。摂津国(=大阪)の高山氏出身。洗礼名「ジュスト」。豊臣秀吉のバテレン追放令(1587)で領地を捨てて信仰を貫いた稀有な殉教者。徳川秀忠の禁教令(1614)でマニラに国外追放され、慶長20年(1615)殉教。平成28年(2016)、ローマ教皇から「福者」に列せられた稀有な存在。

仙石秀久

仙石秀久

武将

せんごくひでひさ

戦国時代(1552-1614)

戦国・江戸初期の武将(1552-1614)。豊臣秀吉の家臣として、四国攻めで讃岐15万石を与えられた稀有な経歴。しかし天正14年(1586)、九州・戸次川の戦いで島津義弘に大敗、軍法違反で改易された稀有な悲劇。後に小田原征伐で許され、信濃国小諸藩主に。

堀秀政

堀秀政

武将

ほりひでまさ

戦国時代(1553-1590)

戦国時代の武将(1553-1590)。織田信長の近習として頭角を現した稀有な天才。「名人久太郎」と称された才覚で、本能寺の変後は豊臣秀吉に従い越前国・北ノ庄18万石を与えられた稀有な大名。小田原征伐の最中、陣中で38歳で病没した稀有な悲劇。

毛利輝元

毛利輝元

武将

もうりてるもと

戦国時代(1553-1625)

戦国・江戸初期の武将(1553-1625)。毛利元就の孫、毛利隆元の長男。豊臣秀吉の五大老の一人。関ヶ原で西軍総大将に祭り上げられるも、大坂城で動かず敗北。戦後、長門・周防2か国36万石に減封され、長州藩(=後の幕末の倒幕の中心)の祖となった稀有な存在。

脇坂安治

脇坂安治

武将

わきさかやすはる

戦国時代(1554-1626)

戦国・江戸初期の武将(1554-1626)。豊臣秀吉の家臣として「賤ヶ岳七本槍」の一人。淡路国・洲本3万石を与えられた。関ヶ原で当初西軍だったが、小早川秀秋に呼応して東軍に寝返った稀有な「秀秋に従って裏切った組」。戦後伊予国・大洲5万石を与えられた稀有な存在。

小西行長

小西行長

武将

こにしゆきなが

戦国時代(1555-1600)

戦国・安土桃山期の武将(1555-1600)。堺の薬種商の子から豊臣秀吉に仕えて頭角を現した稀有な経歴。肥後国・宇土24万石の大名。キリシタン大名(=洗礼名アゴスチノ)。関ヶ原で西軍に与し、戦後京都・六条河原で石田三成・安国寺恵瓊と共に処刑された稀有な悲劇。

蒲生氏郷

蒲生氏郷

武将

がもううじさと

戦国時代(1556-1595)

戦国・安土桃山期の武将(1556-1595)。織田信長の娘婿、豊臣秀吉の重臣。文武両道のキリシタン大名、洗礼名レオン。会津92万石の大領主、若松城を築城した稀有な存在。秀吉に「天下を狙う器」と恐れられた稀有な才能。

上杉景勝

上杉景勝

武将

うえすぎかげかつ

戦国時代(1556-1623)

戦国・安土桃山期の武将(1556-1623)。上杉謙信の養子(=実は謙信の姉・仙桃院の子)、上杉氏第2代当主。御館の乱で上杉景虎を破って家督相続。豊臣秀吉の五大老の一人。関ヶ原の戦いで西軍に与し、戦後米沢30万石に減封。直江兼続が右腕。

片桐且元

片桐且元

武将

かたぎりかつもと

戦国時代(1556-1615)

戦国・江戸初期の武将(1556-1615)。豊臣秀吉の家臣として「賤ヶ岳七本槍」の一人。秀吉死後、豊臣秀頼(=淀殿)の傅役(もりやく)として、徳川家康と豊臣家の間を取り持った稀有な存在。大坂冬の陣直前に淀殿に追放され、徳川方に与した稀有な悲劇。

藤堂高虎

藤堂高虎

武将

とうどうたかとら

戦国時代(1556-1630)

戦国から江戸初期の武将・大名(1556-1630)。伊勢津藩の初代藩主(伊勢・伊賀32万石)。宇和島城・今治城・伊賀上野城・津城・篠山城・二条城など多くの名城を手がけた稀有な築城の名手。浅井長政に始まり最終的に徳川家康に至るまで主君を七度替えたことで知られるが、家康の信任は厚く、外様ながら譜代大名並みの待遇を受けた。

仁科盛信

仁科盛信

武将

にしなもりのぶ

戦国時代(1557-1582)

戦国時代の武将(1557-1582)。武田信玄の五男、武田勝頼の異母弟。信濃国・高遠城の城主。天正10年(1582)、織田信忠(=信長)の3万の大軍に対し、わずか3,000の兵で高遠城を守って奮戦、26歳で討死した稀有な悲劇。武田家滅亡の最後の英雄。

片倉小十郎景綱

片倉小十郎景綱

武将

かたくらこじゅうろうかげつな

戦国時代(1557-1615)

戦国・江戸初期の武将(1557-1615)。伊達政宗の傅役(もりやく)・右腕として、伊達家を支えた稀有な名将。「鬼の小十郎」と称された稀有な勇将。政宗の幼少期から仕え、政宗の天然痘で失明した右目を自ら切り取った稀有な伝承の主。

大谷吉継

大谷吉継

武将

おおたによしつぐ

戦国時代(1559-1600)

戦国・安土桃山期の武将(1559-1600)。豊臣秀吉の小姓から重臣に。ハンセン病(=当時「業病」とされた稀有な病)を患い顔を白頭巾で覆って戦場に出た稀有な存在。親友・石田三成に懇願され関ヶ原西軍に参加、敗北を覚悟しつつ家臣の介錯で自害した稀有な義の人。

平野長泰

平野長泰

武将

ひらのながやす

戦国時代(1559-1628)

戦国・江戸初期の武将(1559-1628)。豊臣秀吉の家臣として「賤ヶ岳七本槍」の一人。大和国に5,000石を与えられた小領主に留まる稀有な経歴。関ヶ原で東軍に与し、戦後加増を受けて大和国・田原本5,000石を与えられた。

直江兼続

直江兼続

武将

なおえかねつぐ

戦国時代(1560-1620)

戦国・江戸初期の武将(1560-1620)。上杉景勝の家老として米沢藩30万石を支えた稀有な智将。兜の「愛」の前立てで有名。関ヶ原の戦いの前、徳川家康に挑戦状「直江状」を送りつけた稀有な逸話。

石田三成

石田三成

武将

いしだみつなり

戦国時代(1560-1600)

戦国・安土桃山期の武将(1560-1600)。豊臣秀吉の小姓から重臣に。秀吉死後、徳川家康の専横に対抗して関ヶ原の戦いで西軍を組織するも敗北、京都・六条河原で処刑された稀有な悲劇。「義」の人として後世に再評価された。

後藤又兵衛

後藤又兵衛

武将

ごとうまたべえ

戦国・江戸(1560-1615)

戦国・江戸初期の武将(1560-1615)。播磨国・黒田家の家臣として、黒田官兵衛・長政父子に仕え、九州・朝鮮出兵で活躍した稀有な勇将。しかし長政と対立して浪人、大坂の陣で大坂方の「大坂五人衆」の一人として、慶長20年(1615)、道明寺の戦いで戦死。

福島正則

福島正則

武将

ふくしままさのり

戦国時代(1561-1624)

戦国・江戸初期の武将(1561-1624)。豊臣秀吉の母方の従兄弟。賤ヶ岳の戦い(1583)の「七本槍」の筆頭。秀吉死後、関ヶ原で東軍に与して武功を上げ広島49万石の大領主に。しかし元和5年(1619)、無断築城の罪で改易、信濃高井野(=長野県)に蟄居。

井伊直政

井伊直政

武将

いいなおまさ

戦国時代(1561-1602)

徳川四天王の最年少(1561-1602)。井伊家は遠江国(=静岡県)の旧族、父・直親が今川氏に殺害されて滅亡寸前を、家康に拾われた稀有な経歴。武田家滅亡後、武田の旧臣を吸収し「井伊の赤備え」を編成した稀有な勇将。関ヶ原後、近江彦根18万石を与えられた。

加藤清正

加藤清正

武将

かとうきよまさ

戦国・江戸初期(1562-1611)

豊臣秀吉の又従弟にあたる縁から小姓として仕え、賤ヶ岳七本槍の一人として名を挙げた武将。 肥後を与えられて熊本城を築き、白川・坪井川をはじめとする大規模な治水と干拓を進めて、現在の熊本の土台を作った。 関ヶ原では東軍に属し、戦後は肥後の大半と豊後三郡を領する54万石余の大名となる。死後四百年を経たいまも「清正公さん」と呼ばれ、熊本城内の加藤神社に祀られている。

細川忠興

細川忠興

武将

ほそかわただおき

戦国・江戸(1563-1646)

戦国・江戸初期の武将・茶人(1563-1646)。細川幽斎の長男、細川ガラシャの夫。関ヶ原で東軍に与し、戦後豊前国小倉39万石を与えられた稀有な大名。「利休七哲」の一人、茶人としても優れた稀有な文化人。

加藤嘉明

加藤嘉明

武将

かとうよしあき

戦国時代(1563-1631)

戦国・江戸初期の武将(1563-1631)。豊臣秀吉の家臣として、賤ヶ岳の戦い(1583)の「七本槍」の一人。文禄・慶長の役(=朝鮮出兵)・関ヶ原で東軍に与し活躍、戦後伊予国松山20万石を与えられた稀有な大名。松山城の築城者。

池田輝政

池田輝政

武将

いけだてるまさ

戦国・江戸(1564-1613)

織田信長の重臣・池田恒興の次男。小牧・長久手の戦いで父と兄を同時に失って家督を継ぎ、信長・秀吉・家康と主を替えながら生き残った。 徳川家康の次女・督姫を妻に迎え、関ヶ原の戦功で播磨52万石を得て姫路城主となる。 慶長6年(1601年)から8年をかけて姫路城を大改修し、現在国宝・世界遺産となっている白亜の城の姿を作り上げた。

森蘭丸

森蘭丸

武将

もりらんまる

戦国時代(1565-1582)

織田信長の最も寵愛された小姓(1565-1582)。森可成の三男、森長可の弟。13歳で信長の小姓となり、信長の最大の寵臣として知られた稀有な美少年。天正10年(1582)6月、本能寺の変で信長を守って18歳で討死した稀有な悲劇。

長宗我部信親

長宗我部信親

武将

ちょうそかべのぶちか

戦国時代(1565-1587)

戦国時代の武将(1565-1587)。長宗我部元親の長男(後嗣)。「文武両道の貴公子」として将来を嘱望されたが、天正14年(1586)、九州・戸次川の戦いで島津家久(=島津義弘)の伏兵に遭い、22歳で戦死した稀有な悲劇。父・元親はこの息子を失った悲しみで人が変わったとされる稀有な親子。

真田信之

真田信之

武将

さなだのぶゆき

戦国・江戸(1566-1658)

戦国・江戸初期の武将(1566-1658)。真田昌幸の長男、真田幸村の兄。徳川家康の養女・小松姫を妻に迎え、関ヶ原で東軍に与した稀有な戦略家。父・弟と異なる選択をしたことで真田家の存続を確保。

真田幸村

真田幸村

武将

さなだゆきむら

戦国時代(1567-1615)

戦国末期の武将(1567-1615)。真田昌幸の次男、関ヶ原の戦いで西軍に与し九度山に蟄居。大坂冬の陣・夏の陣で活躍、徳川家康本陣に肉薄して討死した「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」。

伊達政宗

伊達政宗

武将

だてまさむね

戦国時代(1567-1636)

仙台藩祖(1567-1636)。陸奥(=東北)の戦国大名、片目を失った「独眼竜」の異名で有名 。20代で奥州統一目前まで進むも秀吉に臣従、関ヶ原以降は徳川方として仙台62万石を築いた。文化人としても多才。

立花宗茂

立花宗茂

武将

たちばなむねしげ

戦国時代(1567-1643)

戦国・江戸初期の九州の名将(1567-1643)。大友氏の家臣・高橋紹運の長男、立花道雪の娘・誾千代と結婚して立花家を継承。「西国無双の勇将」と称された稀有な勇者。関ヶ原で西軍につき改易されたが、徳川家康に旧領柳川を返された稀有な復活劇。

黒田長政

黒田長政

武将

くろだながまさ

戦国・江戸(1568-1623)

戦国・江戸初期の武将(1568-1623)。黒田官兵衛(=黒田如水)の長男。父・官兵衛と共に九州統一・朝鮮出兵で活躍。関ヶ原で東軍に与して武功を上げ、戦後筑前福岡52万石を与えられた稀有な大領主、福岡藩初代藩主。

伊達成実

伊達成実

武将

だてしげざね

戦国時代(1568-1646)

戦国・江戸初期の武将(1568-1646)。伊達政宗のいとこ。片倉小十郎景綱と並ぶ政宗の右腕、「武の伊達」として伊達家最強の勇将と称された稀有な存在。「百足の前立て(=ムカデは退却しないことから)」の兜が代表的な象徴。

島津豊久

島津豊久

武将

しまづとよひさ

戦国時代(1570-1600)

戦国時代の武将(1570-1600)。島津家久(=島津義弘)の長男。日向佐土原藩(=宮崎)の藩主。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで叔父・島津義弘の「島津の退き口」の決死隊として、義弘の身代わりとなって討死した稀有な忠義の悲劇、享年31。

宇喜多秀家

宇喜多秀家

武将

うきたひでいえ

戦国時代(1572-1655)

戦国・江戸初期の武将(1572-1655)。備前国(=岡山)の宇喜多直家の次男。豊臣秀吉の養子・五大老の一人。関ヶ原の戦いで西軍主力として奮戦するも敗北、八丈島(=東京都離島)に流された稀有な悲劇。50年間の流刑生活の末、84歳で没した稀有な長寿。

長宗我部盛親

長宗我部盛親

武将

ちょうそかべもりちか

戦国・江戸(1575-1615)

戦国・江戸初期の武将(1575-1615)。長宗我部元親の四男。兄・信親が戦死した後、家督継承で家中分裂、関ヶ原で西軍に与して改易。大坂の陣で「大坂五人衆」の一人として参戦、慶長20年(1615)、京都・六条河原で処刑された稀有な悲劇。

島津家久

島津家久

武将

しまづいえひさ

戦国・江戸(1576-1638)

戦国・江戸初期の薩摩藩初代藩主(1576-1638)。島津義弘の三男(後嗣)。関ヶ原後、徳川家康と義弘の交渉で薩摩・大隅・日向の3か国を安堵された稀有な結末。慶長14年(1609)、琉球(=沖縄)に出兵して琉球王国を服属させた稀有な大事業。

毛利勝永

毛利勝永

武将

もうりかつなが

戦国・江戸(1577-1615)

戦国・江戸初期の武将(1577-1615)。豊臣秀吉の家臣・毛利勝信の長男(=安芸毛利氏とは別系)。関ヶ原の戦いで西軍について改易、山内一豊に預けられた後、大坂の陣で「大坂五人衆」の一人として参陣、慶長20年(1615)、夏の陣で奮戦し豊臣秀頼と共に自害。

徳川秀忠

徳川秀忠

武将

とくがわひでただ

江戸時代(1579-1632)

江戸幕府の2代将軍(1579-1632)。徳川家康の三男。関ヶ原の戦いに遅参するも、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、武家諸法度・禁中並公家諸法度で徳川支配体制を盤石にした稀有な律儀者。

小早川秀秋

小早川秀秋

武将

こばやかわひであき

戦国時代(1582-1602)

戦国時代の武将(1582-1602)。豊臣秀吉の正室・北政所の甥。秀吉の養子から、毛利元就の三男・小早川隆景の養子に。関ヶ原の戦い(1600)で西軍から東軍に寝返り、戦況を決定した稀有な「最大の裏切り者」。戦後わずか2年で21歳で病没。

徳川家光

徳川家光

武将

とくがわいえみつ

江戸時代(1604-1651)

江戸幕府の3代将軍(1604-1651)。「生まれながらの将軍」を自認、参勤交代制度・鎖国体制を確立し、徳川幕府260年の盤石な基礎を築いた稀有な名君。日光東照宮を大改修、寛永寺を開創。

徳川斉昭

徳川斉昭

武将

とくがわなりあき

幕末(1800-1860)

幕末の水戸藩第9代藩主(1800-1860)。徳川慶喜の父。水戸学・尊王攘夷の中心人物として幕府の対応を巡って井伊直弼と対立、安政の大獄(1858)で蟄居を命じられた稀有な悲劇。

井伊直弼

井伊直弼

武将

いいなおすけ

幕末(1815-1860)

幕末の彦根藩主・大老(1815-1860)。安政5年(1858)、独断で日米修好通商条約に調印、安政の大獄(1858-1859)で吉田松陰・橋本左内らを処刑した稀有な強硬派。万延元年(1860)、桜田門外で水戸浪士に暗殺された稀有な悲劇。

勝海舟

勝海舟

武将

かつかいしゅう

幕末・明治(1823-1899)

幕末・明治の幕臣(1823-1899)。咸臨丸艦長として日本人初の太平洋横断航海を指揮、勝海舟の名で坂本龍馬に海軍術を教えた稀有な存在。江戸無血開城を西郷隆盛と会談で実現した稀有な平和主義者。

大村益次郎

大村益次郎

武将

おおむらますじろう

幕末(1824-1869)

幕末の長州藩士・蘭学医・軍学者(1824-1869)。周防国(=山口県)出身、緒方洪庵の適塾で蘭学を学んだ稀有な学者。長州藩・幕府軍撃退・戊辰戦争で官軍の指揮を執った稀有な軍才。日本陸軍の創設者として「日本兵学の祖」とされる稀有な存在。

芹沢鴨

芹沢鴨

武将

せりざわかも

幕末(1827-1863)

幕末の初期新選組(=壬生浪士組)の首領(1827?-1863)。 水戸藩出身、天狗党(=尊王攘夷激派)の出身。「水戸の3傑」として鬼神のごとき豪傑だったが酒乱・乱暴狼藉が目に余り、文久3年(1863)9月、近藤勇・土方歳三らに暗殺された。

河井継之助

河井継之助

武将

かわいつぎのすけ

幕末(1827-1868)

幕末の越後国(=新潟県)長岡藩の家老(1827-1868)。「武装中立」を掲げて新政府軍と戦った稀有な戦略家。慶応4年(1868)、北越戦争で新政府軍を相手に奮戦するも、長岡で銃撃を受け重傷、会津に逃れる途中、塩沢で42歳で没した稀有な悲劇。

西郷隆盛

西郷隆盛

武将

さいごうたかもり

幕末・明治(1828-1877)

幕末・明治の志士・軍人(1828-1877)。薩摩藩出身、明治維新の三傑(=西郷・大久保・木戸)の一人。江戸無血開城を実現するも、後に政府と対立して西南戦争で敗死。「西郷どん」「南洲翁」として国民に愛される稀有な英雄。

武市半平太

武市半平太

武将

たけちはんぺいた

幕末(1829-1865)

幕末の土佐藩士(1829-1865)。土佐勤王党の党首として、坂本龍馬・中岡慎太郎らに大きな影響を残した稀有な指導者。藩主・山内容堂の弾圧で土佐勤王党は壊滅、慶応元年(1865)、切腹を命じられた稀有な悲劇、享年37。

大久保利通

大久保利通

武将

おおくぼとしみち

幕末・明治(1830-1878)

幕末の薩摩藩士・明治政府の最大の実力者(1830-1878)。薩長同盟・倒幕運動を主導、明治新政府で「内務卿」として絶大な権力を握った稀有な政治家。「維新の三傑」(=西郷隆盛・木戸孝允・大久保)の一人。

木戸孝允

木戸孝允

武将

きどたかよし

幕末・明治(1833-1877)

幕末の長州藩士・明治政府の元勲(1833-1877)。「桂小五郎」の名でも有名。坂本龍馬の仲介で薩長同盟を結び、明治維新を推進した稀有な政治家。「維新の三傑」(=西郷隆盛・大久保利通・木戸)の一人。

山南敬助

山南敬助

武将

やまなみけいすけ

幕末(1833-1865)

幕末の新選組副長(1833-1865)。陸奥国仙台藩の脱藩浪士。北辰一刀流(=千葉道場)の免許皆伝の剣豪。試衛館時代から近藤勇・土方歳三と親交、新選組副長として活躍。しかし元治2年(1865)、新選組を脱走、捕らえられて切腹を命じられた稀有な悲劇。

大鳥圭介

大鳥圭介

武将

おおとりけいすけ

幕末・明治(1833-1911)

幕末・明治の幕臣・外交官(1833-1911)。播磨国(=兵庫県)出身、緒方洪庵の適塾で蘭学を学んだ稀有な学者。幕府陸軍奉行として、戊辰戦争で旧幕府軍を率いて宇都宮・会津・函館で戦った稀有な戦歴。明治期は学者・外交官として活躍。

近藤勇

近藤勇

武将

こんどういさみ

幕末(1834-1868)

幕末の幕臣・新選組局長(1834-1868)。 武蔵国多摩郡(=東京都調布市)の農家出身、天然理心流の試衛館塾頭から新選組局長に。 京都・池田屋事件(1864)で長州志士を一網打尽にした。 戊辰戦争で官軍に降伏、慶応4年(1868)、板橋で処刑された。

土方歳三

土方歳三

武将

ひじかたとしぞう

幕末(1835-1869)

幕末の新選組副長(1835-1869)。 武蔵国多摩郡石田村(=東京都日野市)の薬商の家に生まれ、近藤勇と共に新選組を組織。 「鬼の副長」と恐れられた稀有な組織管理者。函館・五稜郭の戦いで官軍と戦い、35歳で戦死した。

松方正義

松方正義

武将

まつかたまさよし

幕末・明治(1835-1924)

幕末・明治・大正の政治家(1835-1924)。薩摩藩士、戊辰戦争に従軍。明治新政府で大蔵卿として「松方財政」(=デフレ政策)を主導、明治15年(1882)、日本銀行を創設した稀有な「日本金融の父」。内閣総理大臣を2度務めた稀有な元勲。

坂本龍馬

坂本龍馬

武将

さかもとりょうま

幕末(1836-1867)

幕末の志士(1836-1867)。土佐藩郷士、後に脱藩。海援隊を組織し、薩長同盟の仲介・大政奉還の実現に尽力した稀有な調停者。京都・近江屋で暗殺された悲劇の英雄。日本人が最も愛する歴史上の人物の一人。

五代友厚

五代友厚

武将

ごだいともあつ

幕末・明治(1836-1885)

幕末・明治の実業家(1836-1885)。薩摩藩士、長崎で英国・グラバーらと交流した稀有な国際派。明治政府で外国事務局判事を務めた後、明治2年(1869)に下野して大阪で実業家に転身。大阪商工会議所初代会頭、「東のシブサワ(=渋沢栄一)、西のゴダイ」と称された稀有な大阪の経済の父。

松平容保

松平容保

武将

まつだいらかたもり

幕末・明治(1836-1893)

幕末の会津藩第9代藩主(1836-1893)。徳川斉昭の甥。文久2年(1862)、京都守護職に就任、新選組(=近藤勇・土方歳三)の上司として京都の治安を担った稀有な存在。戊辰戦争で会津若松城に籠城、白虎隊の悲劇の藩主。

榎本武揚

榎本武揚

武将

えのもとたけあき

幕末・明治(1836-1908)

幕末・明治の海軍軍人・政治家(1836-1908)。江戸幕府の海軍奉行。慶応4年(1868)、旧幕府艦隊を率いて蝦夷(=北海道)に渡り、五稜郭で「蝦夷共和国」を樹立した稀有な存在。新政府軍に降伏後、明治政府に出仕、駐露公使・農商務大臣・文部大臣などを歴任した稀有な復活。

板垣退助

板垣退助

武将

いたがきたいすけ

幕末・明治(1837-1919)

幕末・明治の政治家(1837-1919)。土佐藩士、戊辰戦争で官軍として活躍した稀有な戦歴。明治新政府で参議・征韓論で下野後、明治7年(1874)「民撰議院設立建白書」を提出して自由民権運動を主導した稀有な存在。「板垣死すとも自由は死せず」の名言。

入江九一

入江九一

武将

いりえくいち

幕末(1837-1864)

幕末の長州藩士(1837-1864)。吉田松陰の松下村塾出身、松陰の最も信頼する弟子の一人。久坂玄瑞と共に長州藩の尊王攘夷運動を主導。元治元年(1864)、禁門の変で京都・天王山で自決した稀有な悲劇、享年28。

徳川慶喜

徳川慶喜

武将

とくがわよしのぶ

幕末・明治(1837-1913)

江戸幕府第15代将軍・最後の将軍(1837-1913)。水戸藩主・徳川斉昭の七男。慶応2年(1866)将軍就任、翌年の大政奉還(1867)で江戸幕府を終焉させた稀有な政治家。戊辰戦争で恭順、明治期は公爵・貴族院議員として長寿を全うした稀有な存在。

中岡慎太郎

中岡慎太郎

武将

なかおかしんたろう

幕末(1838-1867)

幕末の志士(1838-1867)。土佐藩郷士、坂本龍馬と共に薩長同盟を成立させた稀有な調停者。陸援隊の隊長として活躍するも、慶応3年(1867)11月、龍馬と共に京都・近江屋で暗殺された稀有な悲劇。

大隈重信

大隈重信

武将

おおくましげのぶ

幕末・明治(1838-1922)

幕末・明治・大正の政治家・教育者(1838-1922)。佐賀藩士。明治政府で参議・大蔵卿・外務大臣・首相(2度)を歴任。明治14年の政変で下野し立憲改進党を結成。明治15年(1882)に東京専門学校(=後の早稲田大学)を創立した稀有な存在。

山県有朋

山県有朋

武将

やまがたありとも

幕末・明治(1838-1922)

幕末・明治・大正の政治家・軍人(1838-1922)。長州藩士、吉田松陰の松下村塾出身。高杉晋作の奇兵隊軍監。明治新政府で日本陸軍の創設者として「陸軍の山県」と称された稀有な存在。内閣総理大臣を2度務めた稀有な元勲。

後藤象二郎

後藤象二郎

武将

ごとうしょうじろう

幕末・明治(1838-1897)

幕末・明治の政治家(1838-1897)。土佐藩参政、坂本龍馬から「船中八策」(=大政奉還の構想)を聞き、藩主・山内容堂に進言した稀有な仲介者。慶応3年(1867)、容堂が徳川慶喜に大政奉還を建白する稀有な大事業の実現に貢献。明治期は板垣退助と共に自由民権運動を主導した稀有な存在。

高杉晋作

高杉晋作

武将

たかすぎしんさく

幕末(1839-1867)

幕末の長州藩士(1839-1867)。長州征伐(=幕府軍による長州攻撃)の危機を救った稀有な英雄。「奇兵隊」(=身分を問わない志願兵部隊)を結成、革命的な軍事力で長州を強化、明治維新の主役の一人となった。結核で27歳で夭逝。

永倉新八

永倉新八

武将

ながくらしんぱち

幕末・明治(1839-1915)

幕末の新選組二番隊組長(1839-1915)。松前藩士の家に生まれ、神道無念流の達人として新選組に参加。「池田屋事件」で大活躍した稀有な剣豪。戊辰戦争で新選組から離れて靖兵隊を結成、明治期は北海道に移住して長寿を全うした稀有な存在。

久坂玄瑞

久坂玄瑞

武将

くさかげんずい

幕末(1840-1864)

幕末の長州藩士(1840-1864)。吉田松陰の松下村塾出身、高杉晋作と並ぶ松陰門下の双璧。松陰の妹・文を妻に迎えた稀有な縁戚関係。尊王攘夷運動の中心人物として活躍するも、元治元年(1864)、禁門の変で京都・鷹司邸で自決した稀有な悲劇、享年25。

黒田清隆

黒田清隆

武将

くろだきよたか

幕末・明治(1840-1900)

幕末・明治の政治家・軍人(1840-1900)。薩摩藩士、戊辰戦争で函館戦争を指揮、榎本武揚を降伏させた稀有な戦歴。明治新政府で北海道開拓使長官として北海道開発を主導、後に第2代内閣総理大臣を務めた稀有な元勲。

伊藤博文

伊藤博文

武将

いとうひろぶみ

幕末・明治(1841-1909)

幕末・明治の政治家(1841-1909)。長州藩士、吉田松陰の松下村塾出身。明治新政府で初代内閣総理大臣・初代枢密院議長・初代貴族院議長・初代韓国統監を務めた稀有な近代日本最大の政治家。明治22年(1889)、大日本帝国憲法を起草した稀有な大事業。明治42年(1909)、ハルビンで暗殺。

沖田総司

沖田総司

武将

おきたそうじ

幕末(1842-1868)

幕末の新選組一番隊組長(1842-1868)。陸奥国白河藩士の家に生まれ、9歳で試衛館に入門、若くして天然理心流の塾頭代を務めた稀有な天才剣士。「池田屋事件」で大活躍。しかし若くして肺結核を患い、慶応4年(1868)、26歳で病没した稀有な悲劇。

大山巌

大山巌

武将

おおやまいわお

幕末・明治(1842-1916)

幕末・明治・大正の軍人(1842-1916)。薩摩藩士、西郷隆盛・従道兄弟のいとこ。戊辰戦争に従軍。明治新政府で陸軍卿・元帥・参謀総長を歴任、日露戦争(1904-1905)で満州軍総司令官として大勝利した稀有な軍才。

西郷従道

西郷従道

武将

さいごうつぐみち

幕末・明治(1843-1902)

幕末・明治の政治家・軍人(1843-1902)。薩摩藩士、西郷隆盛の実弟。戊辰戦争に従軍。明治新政府で陸軍卿・海軍卿・元帥(陸海軍とも)を歴任した稀有な「兄に劣らぬ才」。西南戦争(1877)では兄・隆盛とは反対の政府軍側に与した稀有な悲劇。

斎藤一

斎藤一

武将

さいとうはじめ

幕末・明治(1844-1915)

幕末の新選組三番隊組長(1844-1915)。江戸の御家人の子として生まれる。新選組屈指の剣豪、特に左片手平晴眼の構えからの稀有な剣風で恐れられた。戊辰戦争で会津藩に従って戦い、明治期は警視庁警察官・教育者として長寿を全うした稀有な存在。

山田顕義

山田顕義

武将

やまだあきよし

幕末・明治(1844-1892)

幕末・明治の政治家・教育者(1844-1892)。長州藩士、吉田松陰の松下村塾出身の最年少。戊辰戦争で官軍として活躍。明治政府で初代司法大臣を務めた稀有な経歴。明治22年(1889)、日本大学(=現・日本大学)・國學院(=現・國學院大學)を創立した稀有な教育者。

桂太郎

桂太郎

武将

かつらたろう

明治・大正(1848-1913)

明治・大正の政治家・軍人(1848-1913)。長州藩士、戊辰戦争に従軍。明治期にドイツ留学、陸軍の近代化に貢献した稀有な軍人。内閣総理大臣を3度務め、日本史上最長の総理在任期間(=通算2,886日)の稀有な記録。

藤原秀郷

藤原秀郷

武将

ふじわらのひでさと

平安時代

平安中期の武将。 生没年不詳。「俵藤太(たわらのとうた)」の通称で有名。 下野国(=栃木県)出身。 天慶3年(940)、平将門の乱を平定し「平将門討伐」の英雄となった。 「百足退治」の伝説でも有名。