人物・神様
神社・寺・城のゆかりの神様・武将・名僧を紹介します。

玄奘三蔵法師
僧侶げんじょうさんぞうほうし
中国唐(602-664)
中国唐代の僧(602-664)。インド・ナーランダ大学に留学、17年間で657部の仏典を中国に持ち帰った稀有な大事業。帰国後、太宗・高宗の篤い帰依を受けて経典翻訳に没頭、『大唐西域記』を著した。後の「西遊記」のモデル。

鑑真和上
僧侶がんじんわじょう
中国唐・奈良(688-763)
中国・唐の僧(688-763)。日本の戒律を整備するため、12年間で5度の渡航失敗と失明を乗り越え、6度目の試みで天平勝宝5年(753)に来日。東大寺で日本初の正式な授戒を行い、唐招提寺を開いた稀有な渡来僧。

性空上人
僧侶しょうくうしょうにん
平安時代(910-1007)
平安中期の天台宗の僧(910-1007)。書写山圓教寺の開山。 康保3年(966)、播磨国(=兵庫県)の書写山(しょしゃざん)に登って草庵を結び、圓教寺を開いた高僧。 後に西国33観音第27番札所となった。

興教大師覚鑁
僧侶こうぎょうだいしかくばん
平安時代(1095-1143)
平安後期の真言宗の高僧(1095-1143)。空海以来の真言宗中興の祖、新義真言宗の創始者。高野山で活動するも、保守派との対立で根来山(=和歌山)に移り、新しい真言宗の流れを築いた。

西行法師
僧侶さいぎょうほうし
平安時代(1118-1190)
平安末期の歌人・僧(1118-1190)。武士・北面の武士を辞して23歳で出家、生涯を旅と歌に捧げた稀有な「歌僧」。『新古今和歌集』に最多入選、「願はくは花の下にて春死なむ」の願い通り旧暦2月16日に入寂した稀有な人。

法然上人
僧侶ほうねんしょうにん
平安・鎌倉(1133-1212)
浄土宗の宗祖(1133-1212)。比叡山で修行後、43歳で「専修念仏」を提唱して浄土宗を開いた。「南無阿弥陀仏」と称えるだけで救われるという稀有な平易な教えで、貴族から庶民まで広く信仰を集めた。

栄西禅師
僧侶えいさいぜんじ
平安・鎌倉(1141-1215)
日本の臨済宗(りんざいしゅう)を開いた僧。二度にわたって宋(そう、当時の中国)へ渡り、臨済禅を学んで日本に伝えた。博多の聖福寺(しょうふくじ)、京都の建仁寺(けんにんじ)、鎌倉の寿福寺(じゅふくじ)を開き、朝廷と鎌倉幕府の双方に禅を公認させた人物である。宋から茶の種を持ち帰って栽培と飲み方を広め、『喫茶養生記(きっさようじょうき)』を著したことから「茶祖(ちゃそ)」とも呼ばれる。

親鸞聖人
僧侶しんらんしょうにん
平安・鎌倉(1173-1263)
浄土真宗の宗祖(1173-1263)。法然上人の弟子、「他力本願」「悪人正機」の独特な教えで在家仏教を確立した。妻帯(=肉食妻帯)・在家僧侶の道を切り拓いた稀有な宗教改革者。

明恵上人
僧侶みょうえしょうにん
鎌倉時代(1173-1232)
鎌倉時代の華厳宗の僧(1173-1232)。京都・栂尾(とがのお)の高山寺を再興、華厳宗を中興した稀有な高僧。「夢日記」(40年間の夢を記録)で世界的に有名な稀有な記録者。鳥獣戯画(=高山寺所蔵)とも関連が深い。

道元禅師
僧侶どうげんぜんじ
鎌倉時代(1200-1253)
曹洞宗の開祖(1200-1253)。比叡山で修行後、宋に渡って曹洞禅を学び、帰国後に永平寺(福井)を開いた。「只管打坐(=ひたすら坐禅する)」の禅風と『正法眼蔵』の哲学的著作で知られる稀有な宗教者・思想家。

日蓮聖人
僧侶にちれんしょうにん
鎌倉時代(1222-1282)
日蓮宗の宗祖(1222-1282)。安房(=千葉)に生まれ、比叡山で修行後、「南無妙法蓮華経」の題目を中心とする独特な宗派を開いた。鎌倉幕府への過激な批判で「龍ノ口の法難」など何度も弾圧を受けた稀有な宗教者。

一遍上人
僧侶いっぺんしょうにん
鎌倉時代(1239-1289)
鎌倉時代の僧、時宗の開祖(1239-1289)。「踊念仏」=念仏を唱えながら踊る稀有な布教形態で、貧民・遊女・武士に至るまで広く帰依を集めた。「捨聖(すてひじり)」=すべてを捨てた漂泊の聖として全国を遊行(ゆぎょう)した稀有な存在。

夢窓疎石
僧侶むそうそせき
南北朝時代(1275-1351)
臨済宗の高僧・作庭家(1275-1351)。後醍醐天皇・足利尊氏から篤い帰依を受けた稀有な禅僧。京都の天龍寺・西芳寺、甲斐の恵林寺など多くの名刹を開創し、「七朝の帝師」と称された。日本庭園史の最高峰の作庭家。

一休宗純
僧侶いっきゅうそうじゅん
室町時代(1394-1481)
室町時代の臨済宗の僧(1394-1481)。後小松天皇の落胤(=非公式の皇子)とされる。「とんちの一休さん」として現代も愛される稀有な存在。京都・大徳寺第48代住持を務めるも、酒・肉・女を辞さない奔放な人生で形式仏教を批判した稀有な禅僧。

天海大僧正
僧侶てんかいだいそうじょう
戦国・江戸(1536-1643)
徳川家の宗教ブレーン(1536-1643)。徳川家康・秀忠・家光の三代に仕えた天台宗の高僧。日光東照宮の創建、上野・寛永寺の開創、家康の神格化(=東照大権現)を主導した稀有な存在。108歳の長寿で知られる。

安国寺恵瓊
僧侶あんこくじえけい
戦国時代(1539-1600)
戦国・安土桃山期の臨済宗の僧・武将(1539-1600)。安芸国・武田氏の出身。毛利氏の外交僧として活躍、豊臣秀吉の天下取りを早くから見抜いた稀有な眼力の人。関ヶ原の戦いで西軍に与した責任で京都・六条河原で石田三成らと共に処刑された稀有な悲劇。

沢庵宗彭
僧侶たくあんそうほう
江戸時代(1573-1646)
江戸初期の臨済宗の僧(1573-1646)。京都・大徳寺の住持。徳川3代将軍・徳川家光の篤い帰依を受けた稀有な高僧。「不動智神妙録」(=剣の心構えを禅で説いた書)で柳生宗矩(=家光剣術指南役)・宮本武蔵らに影響を残した。「たくあん漬け」の名の由来。

隠元禅師
僧侶いんげんぜんじ
江戸時代(1592-1673)
中国・明から来日した臨済宗の僧(1592-1673)。日本黄檗宗の開祖。承応3年(1654)、63歳で来日し、京都・宇治に萬福寺を開いた稀有な渡来僧。日本に「インゲン豆」「煎茶」「明朝体」など多くの文化を伝えた稀有な存在。

良寛
僧侶りょうかん
江戸時代(1758-1831)
江戸後期の曹洞宗の僧・歌人・書家(1758-1831)。越後国出雲崎(=新潟県出雲崎町)出身。一生を寺を持たず、五合庵で暮らした稀有な「乞食僧」。子供と毬遊びをする無心の姿、「天上大風」など書の名筆、和歌の名作で愛される稀有な存在。

弘法大師空海
僧侶こうぼうだいしくうかい
平安時代
真言宗の開祖(774-835)。讃岐(=香川)に生まれ、唐に渡って密教を学び、帰国後に高野山金剛峯寺を開いた。四国八十八ヶ所霊場の創始、書道(=「弘法は筆を選ばず」)、漢詩・著述など多方面の天才。

伝教大師最澄
僧侶でんぎょうだいしさいちょう
平安時代
日本天台宗の開祖(767-822)。近江(=滋賀)に生まれ、唐に渡って天台教学を学び、帰国後に比叡山延暦寺を中心とした天台宗を確立。日本仏教の母なる宗派として後の鎌倉新仏教の祖師たちを輩出。

行基菩薩
僧侶ぎょうきぼさつ
奈良時代
奈良時代の僧(668-749)。各地で布教・社会事業(=橋・道路・池の建設)を行い、東大寺大仏建立の勧進(=寄付集め)を主導した。日本初の「大僧正」、聖武天皇からの「菩薩」号を受けた稀有な高僧。

慈覚大師円仁
僧侶じかくだいしえんにん
平安時代
平安時代の天台宗の高僧(794-864)。最澄の弟子で、天台宗第3代座主。唐に渡り「入唐求法巡礼行記」を著した稀有な留学僧。帰国後、関東一円に多くの寺院を開創し、東日本の天台宗の基礎を築いた。

元三大師良源
僧侶がんざんだいしりょうげん
平安時代
平安時代の天台宗の高僧(912-985)。比叡山中興の祖、天台宗第18代座主。「おみくじ」の創始者とされる稀有な存在。1月3日に入寂したことから「元三大師(=元三日のお大師)」と呼ばれる。「角大師」の図像で疫病退散のお札として全国に普及。

達磨大師
僧侶だるまだいし
中国南北朝(?-528)
中国禅宗の開祖、6世紀のインド出身僧(?-528?)。南インド出身、中国・南朝梁の武帝と問答後、嵩山少林寺で「面壁九年」の修行を行った稀有な存在。日本では「だるま人形」「七転び八起き」の象徴として親しまれる。
行円
僧侶ぎょうえん
平安時代(中期)
平安時代中期、京都で革堂(かわどう、行願寺)を開いた僧侶。もとは豊後国(ぶんごのくに、現在の大分県)出身の猟師だったが、身ごもった雌鹿(めじか)を射止めてしまったことを悔い、出家したと伝わる。以来、鹿の革をまとって都を歩き、人々に教えを説いたことから「革聖(かわひじり)」と呼ばれた。