武将戦国時代
島津豊久
しまづとよひさ
1570 〜 1600

別名・通称
豊久、島津中務大輔、日向佐土原藩主、関ヶ原戦死
生涯・逸話
島津の退き口で叔父・義弘の身代わりとなった稀有な忠臣。元亀元年(1570)、島津家久(=島津義弘、若くして亡くなった)の長男として日向国(=宮崎県)に生まれる。
父・家久の死後、わずか17歳で日向佐土原藩(=宮崎県宮崎市佐土原)の藩主となった稀有な経歴。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで叔父・島津義弘と共に西軍に与した稀有な決断。
関ヶ原本戦で西軍敗北後、義弘率いる薩摩勢約80人が、徳川家康本隊の正面を突破する「島津の退き口」を敢行した稀有な敗走戦。
豊久は叔父・義弘の身代わり(=義弘の鎧を着て敵を引きつける)として奮戦し、討死した稀有な悲劇、享年31。これにより義弘は薩摩への帰国を果たした稀有な「忠義の結晶」。
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