TabiShiri
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公家中国唐

楊貴妃

ようきひ

719 〜 756

公家「楊貴妃」(中国唐)

別名・通称

楊太真、玄宗皇帝の寵姫

中国・唐の玄宗皇帝の寵姫(719-756)。世界三大美女(=クレオパトラ・小野小町・楊貴妃)の一人。安史の乱(755-763)を引き起こすほどの寵愛を受け、最後は皇帝に従って蜀へ逃れる途上の馬嵬坡で縊死。日本では山口県・楊貴妃の里に流れ着いたとされる伝説。
生涯・逸話
世界三大美女の一人、中国・唐の悲劇の寵姫。開元7年(719)、中国・四川省に楊玄琰の娘として生まれる。本名・楊玉環。 初め第6代玄宗皇帝の息子・寿王李瑁の妃となるも、後に玄宗皇帝が楊玉環の美貌に惚れ込み、息子から奪って自身の貴妃(=「楊貴妃」、皇后に次ぐ高位)とした稀有な権力者の独占。 玄宗の寵愛は度を超え、楊一族(=従兄・楊国忠ら)を高位に取り立てた稀有な専横で、政治を乱した。 天宝14年(755)、玄宗の権力を恐れた安禄山が「安史の乱」を起こす。玄宗一行は蜀(=四川)へ落ち延びる途中、馬嵬坡(=陝西省)で兵が「乱の原因」として楊貴妃の処刑を要求。皇帝は涙ながらに楊貴妃を縊死させた稀有な悲劇、享年38。 日本では「楊貴妃が死を免れて山口県・大津島に流れ着き、後に楊貴妃の里(=長門市)で生涯を終えた」とされる稀有な伝説。山梨・法雲寺(秩父34観音第30番)の「楊貴妃観音」も楊貴妃の美貌の象徴。