TabiShiri
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天皇飛鳥時代

推古天皇

すいこてんのう

554 〜 628

天皇「推古天皇」(飛鳥時代)

別名・通称

推古、額田部皇女、豊御食炊屋姫尊

日本で最初の記録に残る女性の天皇(女帝)で、第33代天皇(554-628)。欽明天皇の皇女。甥の聖徳太子を摂政、叔父の蘇我馬子を大臣として、冠位十二階や十七条憲法、遣隋使の派遣などで国の仕組みを整え、仏教も広まった。
生涯・逸話
この天皇を理解する鍵は、大きな混乱のあとに推されて即位し、聖徳太子と蘇我馬子に支えられて国の仕組みを整えたことにある。 【生い立ち】 欽明天皇15年(554)、欽明天皇の皇女として生まれた。母は蘇我稲目(そがのいなめ)の娘の堅塩媛(きたしひめ)。名は額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)。のちに敏達天皇(びだつてんのう)の皇后となった。 【女帝の誕生】 敏達天皇のあと、天皇の位は短い間に何人も代わり、第32代の崇峻天皇(すしゅんてんのう)が蘇我馬子(そがのうまこ)に殺される(592年)という異常な事態になった。額田部皇女は、翌年、群臣(ぐんしん)に推されて推古天皇元年(593)に即位した。日本で最初の記録に残る女性の天皇である。宮は豊浦宮(とゆらのみや)、のちに小墾田宮(おはりだのみや)に移った。 【聖徳太子・蘇我馬子とともに】 甥の聖徳太子(厩戸皇子、うまやどのおうじ)を摂政(せっしょう)に、叔父の蘇我馬子を大臣(おおおみ)として、政治を進めた。冠位十二階(かんいじゅうにかい、603年)で能力に応じて役人に位を与え、十七条憲法(604年)で役人の心がまえを示した。中国の隋(ずい)に使いを送る遣隋使(けんずいし)も始まった。初回は600年とされる。 【仏教の広まり】 推古天皇の時代は、日本で本格的に仏教が広まっていった時期にあたる。飛鳥寺(あすかでら、法興寺)や法隆寺(斑鳩寺、いかるがでら)などが造られた。法隆寺は、用明天皇が、聖徳太子と妹の後の推古天皇に、病気の回復を祈る寺を建てたいと願ったことが始まりと伝わり、607年ごろ、斑鳩に建てられたとされる。 【最期】 推古天皇36年(628)3月7日、小墾田宮で亡くなった。75歳であった。在位は約35年に及び、次の天皇には田村皇子(たむらのみこ)が即位して舒明天皇(じょめいてんのう)となった。