公家飛鳥時代
蘇我馬子
そがのうまこ
551 〜 626

別名・通称
馬子、蘇我大臣、嶋大臣
生涯・逸話
飛鳥時代の有力な豪族で、大臣として政治の中心にいた人物。
蘇我稲目の子として生まれた。生まれた年ははっきりしない。敏達天皇の時代に大臣となり、敏達・用明・崇峻・推古の4代の天皇に仕えたとされる。
仏教の受け入れをめぐって、物部守屋ら反対する勢力と対立した。用明天皇2年(587)、守屋らを滅ぼした(丁未の乱)。
その後は仏教の興隆に力を入れ、飛鳥寺(法興寺)を建てた。588年ごろに着工し、596年に完成したと伝わる(592年に着工したとする辞典もある)。日本で最初の大寺院とされ、現在の飛鳥寺(奈良県明日香村)につながる。
592年には崇峻天皇が暗殺された。馬子が東漢駒に命じて殺させたとされる。
その後、姪にあたる推古天皇を立て、聖徳太子(厩戸皇子)と協力して政治を進めた。太子が斑鳩に移ったあとも、飛鳥で政治を動かしたとされる。娘の刀自古郎女は太子の妃になった。推古天皇28年(620)には、太子とともに『天皇記』『国記』などを編んだと伝わる。
邸宅の庭に池と小島があったことから、「嶋大臣(しまのおおおみ)」と呼ばれた。子に蘇我蝦夷がいる。
推古天皇34年(626)5月20日に亡くなった。墓は「桃原墓(ももはらのはか)」とされ、奈良県明日香村の石舞台古墳がそれにあたるとする説がある。石舞台古墳は、国内最大級の横穴式石室を持つ古墳である。