武将幕末
入江九一
いりえくいち
1837 〜 1864

別名・通称
九一、杉蔵、松陰門下
生涯・逸話
入江九一(いりえくいち)は、吉田松陰(よしだしょういん)の弟子で、幕末の長州藩(ちょうしゅうはん)の武士です。わずか28歳で、禁門の変(きんもんのへん)に参謀として加わり、重傷を負って自決(じけつ)しました。「松門の四天王」のひとりに数えられます。
【生い立ち】
天保8年(1837)4月5日、長州藩の萩(はぎ、山口県)で生まれました。生まれた家は、身分の低い藩士の家です。足軽の家だったとする資料もあり、父は中間(ちゅうげん)とする辞典もあります。生まれた場所は、萩市の土原(ひじわら)と伝わります。のちに明治の政治家となる野村靖(のむらやすし)の兄です。
通称は、杉蔵(すぎぞう)のほか、万吉、喜一、九一と変わりました。諱(いみな)は弘毅(ひろたけ)、字(あざな)は子遠(しえん)です。
【松陰のもとで】
安政5年(1858)、松陰の松下村塾(しょうかそんじゅく)に入りました。塾で学んだ期間は約1か月と短いものでしたが、松陰は「才知にあふれ、忠義の志も厚い」と高く評価したと伝わります。高杉晋作(たかすぎしんさく)、久坂玄瑞(くさかげんずい)、吉田稔麿(よしだとしまろ)とともに、「松門の四天王」と呼ばれました。
安政6年(1859)には、投獄されました。文久3年(1863)には、終身士雇(しゅうしんさむらいやとい)となったと日本人名大辞典は書きます。
【禁門の変】
元治元年(1864)7月19日、長州藩の兵は京都で会津や薩摩の藩兵と戦い、敗れました。これが禁門の変です。入江九一は参謀として戦いましたが、重傷を負い、自決したとされます。28歳でした。亡くなった場所は、確認できた資料には書かれていません。