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神神代

天児屋命

あめのこやねのみこと

神「天児屋命」(神代)

別名・通称

天児屋、天児屋根命、アメノコヤネ、中臣連の祖、藤原氏の祖神

日本神話に登場する神で、天岩戸(あまのいわと)の神話で祝詞(のりと)を唱えたとされます。古代の朝廷で祭りを担った中臣氏(なかとみし)の祖神とされ、のちに藤原氏の祖先神ともされました。奈良の春日大社では、本殿の四柱の神のうち、第三殿に祀られています。
生涯・逸話
この神を理解する鍵は、古代の朝廷で祭りを担った中臣氏の祖神とされ、その一族から藤原氏が生まれたことで、藤原氏の祖先神としても祀られるようになったことにあります。 【名前】 天児屋命(あめのこやねのみこと)は、「天児屋根命」とも書かれます。『古事記』と『日本書紀』の両方に登場する神です。 【天岩戸の神話】 『古事記』によれば、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋(いわや)に隠れて世界が暗くなったとき、神々は思金神(おもいかねのかみ)の考えにもとづいて、さまざまな儀式を行いました。天児屋命は、布刀玉命(ふとだまのみこと)とともに占い(太占、ふとまに)を行い、祝詞を唱えたとされます。『日本書紀』の本文では、布刀玉命(太玉命)とともに注連縄(しめなわ)を張り、天照大神に「再び入ってはなりません」と申し上げたと記されます。『日本書紀』の一書には、香山(かぐやま)の榊(さかき)を掘り起こして祈りを捧げ、天照大神が出てきたあとは祝いの言葉を述べたとする記述もあります。祝詞を唱える役は、朝廷の祭祀(さいし)を担った中臣氏の務めを映したものだ、という説明もあります。 【天孫降臨】 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上に降りる天孫降臨では、天児屋命は、これに従った五伴緒神(五部神)の一柱とされます。『日本書紀』の第二の一書では、「神事の宗源(もと)をつかさどる者」とされています。 【中臣氏と藤原氏】 中臣氏は、忌部氏(いんべし)とともに、代々、朝廷の祭祀を担った家です。中臣氏は、天児屋命の子孫と称していました。中臣鎌足(なかとみのかまたり)は、天智8年(669年)、亡くなる前に天智天皇から藤原の姓を授けられました。698年(文武2年)には、鎌足の子の藤原不比等(ふじわらのふひと)が、藤原の姓を自分の子孫に限りました。不比等の子孫以外の一族は、神事を担う家として中臣の姓に戻り、のちには「大中臣(おおなかとみ)」の氏を名乗る系統が中心になりました。このため天児屋命は、中臣氏の祖神であり、藤原氏の祖先神ともされています。なお、藤原氏の力が強まるにつれて、神話の中での役割が大きくなったとする見方もあります。また、中臣氏の前身は卜部(うらべ)だったとする説もあり、天児屋命との結びつきがいつ生まれたのかは、はっきりしていません。 【春日大社】 奈良市の春日大社は、神護景雲2年(768年)の創建とされます。本殿には四柱の神が祀られ、天児屋根命は第三殿に祀られています。第一殿は武甕槌命(たけみかづちのみこと)、第二殿は経津主命(ふつぬしのみこと)、第四殿は比売神(ひめがみ)です。春日大社は、天児屋根命と比売神は枚岡神社から迎えられたと伝えています。春日大社は、藤原氏の氏神として栄えました。 【枚岡神社】 大阪府東大阪市の枚岡神社(ひらおかじんじゃ)は、天児屋根命を主祭神とし、河内国一之宮(かわちのくにいちのみや)として尊ばれてきました。神護景雲2年(768年)に、祭神が春日大社に分祀されたことから、「元春日」とも呼ばれます。