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学者・文化人江戸時代

与謝蕪村

よさぶそん

1716 〜 1783

学者・文化人「与謝蕪村」(江戸時代)

別名・通称

蕪村、夜半亭

江戸時代中期の俳人・画家(1716〜1783)。摂津国毛馬村(今の大阪市都島区)に生まれ、江戸で早野巴人に俳諧を学んだ。宝暦元年(1751)に京都へ移り、俳諧と絵画の両方で活躍した。池大雅と合作した『十便十宜図』は国宝。「菜の花や月は東に日は西に」などの句で知られる。
生涯・逸話
【どんな人物か】 与謝蕪村(よさぶそん)は、江戸時代中期の俳人(はいじん)であり、画家である。 享保元年(1716)、摂津国(せっつのくに)東成郡毛馬村(けまむら、今の大阪市都島区毛馬町)に生まれた。本姓は谷口で、のちに与謝と改めた。 「蕪村」の名は、1744年ごろから名乗ったとされる。 【江戸での修業と旅】 20歳ごろに江戸へ出て、俳人の早野巴人(はやのはじん、号は夜半亭宋阿、やはんていそうあ)に入門し、俳諧(はいかい)を学んだ。17〜18歳ごろとする説もある。 寛保2年(1742)に巴人が亡くなると江戸を離れ、下総国(しもうさのくに)の結城(ゆうき、今の茨城県結城市)に身を寄せた。その後、約10年にわたって常陸(ひたち)や下総を中心に各地を旅し、俳諧と絵の腕をみがいた。 【京都での暮らし】 宝暦元年(1751)、京都に移り住んだ。その後、丹後(たんご、今の京都府北部)で約3年半を過ごした。 明和7年(1770)には夜半亭を継ぎ、京都で俳諧の宗匠(そうしょう、先生役)となった。 【俳諧と句】 師の巴人の教えから、俳諧は流派にしばられず自由に作るものだと考えるようになった。句は、目に見える景色をそのまま客観的に書く作風が特徴とされ、おかしみのある句も多く残した。 代表句に、次のような句がある。 「春の海ひねもすのたりのたりかな」 「菜の花や月は東に日は西に」 「五月雨や大河を前に家二軒」 晩年の俳詩「春風馬堤曲(しゅんぷうばていきょく)」は、奉公先から故郷へ帰る娘の道行きに、自分の故郷への思いを重ねた作品である。 【絵画】 絵でも名高く、池大雅(いけのたいが)とともに文人画(ぶんじんが)を大成したとされる。明和8年(1771)には、大雅と『十便十宜図(じゅうべんじゅうぎず)』を合作した。この作品は国宝に指定されている。 句と絵を組み合わせた「俳画(はいが)」という独自の世界も切り開いた。 【最期】 天明3年(1783)12月25日、68歳で亡くなった。辞世の句は「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」である。 【ゆかりの地】 毛馬(大阪市都島区)の淀川堤には、生誕地の碑がある。蕪村自筆の「春風や堤長うして家遠し」が刻まれている。 京都市左京区の金福寺(こんぷくじ)には、蕪村の墓と句碑がある。蕪村は、松尾芭蕉ゆかりの芭蕉庵を再興したとされる。 結城(茨城県結城市)は、師の死後に身を寄せた地である。