僧侶中国唐
玄奘三蔵法師
げんじょうさんぞうほうし
602 〜 664

別名・通称
玄奘、玄奘三蔵、三蔵法師、西遊記の三蔵法師
中国・唐の時代の僧(602〜664)。
国の禁止を破ってインドへ旅し、17年後に経典657部を持ち帰りました。
帰国後は経典の翻訳に力をつくし、旅の記録『大唐西域記』をまとめました。物語『西遊記』の三蔵法師のモデルです。
生涯・逸話
【インドへ経典を求めた僧】
玄奘(げんじょう)を知る鍵は、仏教の教えを正しく知るために、命がけでインドへ旅したことです。
本名は陳褘(ちんい)で、「玄奘」は僧としての名前です。
【国の禁止を破って】
唐の貞観(じょうがん)3年(629)、玄奘は国の外へ出ることが禁じられていたのに、それを破って長安(今の西安)からインドへ向かいました。
目的を果たすまで中国には戻らないと誓い、歩いた道のりは約3万kmといわれます。
【17年の旅】
インドでは仏教の聖地をめぐり、唯識(ゆいしき)の教えの経典を集めました。
貞観19年(645)に長安へ戻り、経典657部や仏像などを持ち帰りました。
【経典の翻訳】
帰国してから亡くなるまでの19年間、皇帝の支えを受けて経典の翻訳にうちこみ、1,335巻を漢文に訳しました。
よく知られる『般若心経(はんにゃしんぎょう)』も、その一つです。
【大唐西域記と西遊記】
貞観20年(646)、自分でおとずれた110か国と、話に聞いた28か国のようすをまとめた『大唐西域記』(全12巻)を完成させました。
この記録が、のちの物語『西遊記』のもとになり、玄奘は三蔵法師のモデルとなりました。
【日本とのつながり】
日本から唐へ渡った道昭(どうしょう)は、玄奘に直接学び、その教えを奈良に伝えました。これが日本の法相宗(ほっそうしゅう)のもとになっています。
昭和17年(1942)に中国の南京で見つかったと伝わる玄奘の霊骨は、埼玉県岩槻の慈恩寺(じおんじ)に納められました。
昭和56年(1981)には奈良の薬師寺にも霊骨が分けられ、それをきっかけに玄奘三蔵院伽藍が建てられています。
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