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武将江戸時代

徳川家光

とくがわいえみつ

1604 〜 1651

武将「徳川家光」(江戸時代)

別名・通称

家光、大猷院、江戸幕府3代将軍

江戸幕府の3代将軍(1604〜1651)。 武家諸法度を改めて参勤交代を制度にし、ポルトガル船の来航を禁じるなど、幕府のしくみを固めました。 祖父・家康をまつる日光東照宮を大きく建て直し、自らも日光の大猷院にまつられています。
生涯・逸話
【幕府のしくみを固めた将軍】 徳川家光を知る鍵は、祖父の家康、父の秀忠のあとをつぎ、江戸幕府のしくみを形にした将軍だということです。 【江戸城に生まれる】 慶長(けいちょう)9年(1604)、2代将軍・徳川秀忠の二男として、江戸城の西丸で生まれました。 兄の長丸が幼くして亡くなったため、跡つぎとなりました。乳母は春日局(かすがのつぼね)です。 【3代将軍に】 元和(げんな)9年(1623)、20歳で3代将軍になりました。 諸大名に「余は生まれながらの将軍である」と言ったと伝えられ、将軍の力が固まったことを示す話として知られています。 【参勤交代】 寛永(かんえい)12年(1635)、武家諸法度(ぶけしょはっと)を改め、大名が江戸と自分の領地を行き来する参勤交代を、はじめて制度として定めました。 【島原の乱】 寛永14年(1637)10月、九州の島原・天草で大きな一揆が起こりました。 幕府は大軍を送り、寛永15年(1638)にしずめました。 【ポルトガル船の来航禁止】 寛永16年(1639)、ポルトガル船が日本に来ることを禁じました。 これにより、のちに「鎖国」と呼ばれる体制が整いました。 【日光東照宮と大猷院】 寛永11年から13年(1634〜1636)にかけて、祖父・家康をまつる日光東照宮を大きく建て直しました。これを「寛永の大造替(だいぞうたい)」といいます。 慶安(けいあん)4年(1651)、江戸城本丸で48歳で亡くなりました。 遺言により、4代将軍・家綱が日光に霊廟を建て、家光はそこに葬られました。 「大猷院(たいゆういん)」は、後光明(ごこうみょう)天皇から贈られたおくり名です。