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武将江戸時代

徳川秀忠

とくがわひでただ

1579 〜 1632

武将「徳川秀忠」(江戸時代)

別名・通称

秀忠、台徳院、江戸幕府2代将軍

江戸幕府の2代将軍です(1579年〜1632年)。徳川家康の三男で、関ヶ原の戦いには間に合いませんでしたが、慶長10年(1605年)に将軍となりました。大名の改易やキリシタン禁令の強化などを進め、幕府の土台を固めました。
生涯・逸話
【生まれ】天正7年(1579年)4月7日、徳川家康の三男として、遠江国の浜松城(今の静岡県浜松市)で生まれました。母は於愛の方(おあいのかた)です。 【関ヶ原の戦い】慶長5年(1600年)、家康とは別の軍をひきいて中山道を西へ進みました。しかし、真田昌幸の守る信濃の上田城を攻めるのに手間取り、関ヶ原の合戦に間に合わず、家康の怒りを買いました。 【2代将軍】慶長10年(1605年)、家康から将軍職をゆずられ、江戸幕府の2代将軍となりました。大坂冬の陣・夏の陣には、家康とともに出陣しています。 【幕府のしくみづくり】元和元年(1615年)、家康の案をもとに武家諸法度が出され、秀忠のいた伏見城で大名たちに読み上げられました。禁中並公家諸法度など、幕府のきまりの整備にもかかわりました。 福島正則をはじめ多くの大名を改易(領地を取り上げること)し、キリシタンの禁令を強めました。また、奉書船(ほうしょせん)の制度をつくって、外国との貿易を管理しました。 【大御所として】元和9年(1623年)、将軍職を子の家光にゆずり、大御所として家光を後見しました。 【最期】寛永9年(1632年)1月24日、江戸城の西の丸で亡くなりました。54歳でした。江戸の増上寺に葬られ、法号は台徳院(たいとくいん)です。