学者・文化人平安時代
紫式部
むらさきしきぶ

Tosa Mitsuoki (1617 - 1691), Public domain, via Wikimedia Commons
別名・通称
藤式部
生涯・逸話
【この人物を理解する鍵】
紫式部を理解する鍵は、宮仕えの女房として暮らしながら、全54帖の長い物語を書き上げたことにある。本名も、生まれた年も亡くなった年もはっきりしない。わかっているのは、彼女が書いた物語と日記が千年後のいまも読まれ続けている、ということである。
【生い立ちと結婚】
学者として知られた藤原為時(ふじわらのためとき)の娘に生まれた。生まれた年は、970年から978年ごろまで諸説がある。
長徳4年(998)ごろ、藤原宣孝(ふじわらののぶたか)と結婚して娘の賢子(けんし)をもうけたが、長保3年(1001)に夫は亡くなった。
『源氏物語』は、この夫の死のあとに書き始められたとみられている。
【宮仕え】
寛弘2年(1005)12月29日、藤原道長の娘で一条天皇の中宮となった彰子(しょうし)のもとに、女房として出仕したとする説が有力である(翌年とする説もある)。
宮中で「藤式部(とうしきぶ)」と呼ばれていたが、のちに物語のヒロイン・紫の上にちなんで「紫式部」と呼ばれるようになったといわれる。
宮仕えのようすは『紫式部日記』に記されている。
【源氏物語】
『源氏物語』は全54帖。主人公・光源氏の生涯と、その子や孫の世代までを描いた長い物語である。
江戸時代の国学者・本居宣長(もとおりのりなが)は、この物語の本質を「もののあはれ」という言葉でとらえた。
【最期】
亡くなった年もはっきりせず、1014年、1019年、1031年などの説がある。
【ゆかりの地をたどる】
滋賀県大津市の石山寺には、紫式部が参籠中に『源氏物語』を書き始めたという伝説が残る。本堂の一角にある「源氏の間」は、物語を思いついた部屋と伝えられている。
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