公家奈良時代
光明皇后
こうみょうこうごう
701 〜 760

別名・通称
光明、光明子、藤原安宿媛、聖武天皇皇后、藤三娘
聖武天皇の皇后(701-760)。藤原不比等(=藤原氏の事実上の祖)の娘。仏教に深く帰依し、東大寺・国分寺・国分尼寺の建立を後押した稀有な皇后。「悲田院・施薬院」=日本初の福祉施設を設立した稀有な慈悲深い存在。
生涯・逸話
奈良時代を代表する慈悲深い皇后、東大寺大仏建立の後押し役。大宝元年(701)、藤原不比等の三女として生まれる。本名・藤原安宿媛(あすかべひめ)。
聖武天皇と結婚、後に皇后となった(=皇族でない女性が初めて立后した稀有な前例)。
仏教に深く帰依し、夫・聖武天皇と共に東大寺・国分寺・国分尼寺の建立を後押した稀有な皇后。光明皇后自ら大仏建立を発願したとされる。
「悲田院(ひでんいん、=貧者・孤児の救済施設)」「施薬院(せやくいん、=病人に薬を施す施設)」を設立した稀有な「日本初の福祉事業」の創始者。
「千人の垢を流した」=ハンセン病の患者の膿まで自ら口で吸って癒したとされる稀有な慈悲深い伝承。
天平宝字4年(760)、60歳で崩御。法華寺(=奈良、光明皇后が父の屋敷を寺にした)に「十一面観音像」(=皇后の生き写しとされる稀有な名作)が残る。