TabiShiri
成就院へ戻る
僧侶平安時代

興教大師覚鑁

こうぎょうだいしかくばん

1095 〜 1143

僧侶「興教大師覚鑁」(平安時代)

別名・通称

覚鑁、興教大師、密厳尊者

平安時代後期の真言宗の僧(1095-1143)。鳥羽上皇の帰依を受け、高野山に大伝法院を建てて真言宗の立て直しに力を尽くした。高野山の衆徒と対立して根来に移り、のちに新義真言宗の祖と仰がれた。諡号は興教大師(こうぎょうだいし)。
生涯・逸話
覚鑁(かくばん)は、嘉保2年(1095)6月17日、肥前国藤津荘(現在の佐賀県)に生まれた。俗姓は伊佐。 13歳で京都の仁和寺に入って得度し、成就院の寛助(かんじょ)に学んだ。その後、奈良の興福寺や東大寺でも学問を修め、永久2年(1114)に高野山に登った。保安2年(1121)には寛助から伝法灌頂を受けている。 覚鑁は鳥羽上皇の厚い帰依を受けた。長承元年(1132)には高野山に大伝法院を建て、上皇の御幸を得て伝法大会(でんぽうだいえ)を開いた。長承3年(1134)には大伝法院と金剛峯寺の両方の座主を兼ねて、真言宗の立て直しを図った。しかし、金剛峯寺や東寺・醍醐寺の衆徒から強い反発を受け、翌年には座主を辞めて密厳院に退いた。 保延6年(1140)、金剛峯寺の衆徒によって密厳院が壊されると、覚鑁は弟子とともに紀伊国の根来(現在の和歌山県岩出市)に移り、円明寺を建てた。康治2年(1143)12月12日、覚鑁はこの円明寺で49歳で没した。 著書に『密厳諸秘釈』『五輪九字明秘密釈』などがある。覚鑁の教えはのちに新義真言宗として受け継がれ、覚鑁はその祖と仰がれている。のちに朝廷から「興教大師」の諡号を贈られた。