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武将戦国時代

加藤嘉明

かとうよしあき

1563 〜 1631

武将「加藤嘉明」(戦国時代)

別名・通称

嘉明、加藤左馬助、賤ヶ岳七本槍、松山城築城者

戦国・江戸初期の武将(1563-1631)。豊臣秀吉の家臣として、賤ヶ岳の戦い(1583)の「七本槍」の一人。文禄・慶長の役(=朝鮮出兵)・関ヶ原で東軍に与し活躍、戦後伊予国松山20万石を与えられた稀有な大名。松山城の築城者。
生涯・逸話
賤ヶ岳七本槍の一人、伊予松山城築城者。永禄6年(1563)、三河国(=愛知県)の松平家臣・加藤教明の子として生まれる。 幼少時、父が一向一揆で徳川家康と対立して敗北、加藤家は浪人となった稀有な少年期。後に豊臣秀吉の小姓に。 天正11年(1583)、賤ヶ岳の戦いで福島正則らと共に「賤ヶ岳七本槍」として武功を上げた稀有な合戦。 文禄・慶長の役(=朝鮮出兵)で活躍、慶長5年(1600)の関ヶ原で東軍(=徳川家康)に与し、戦後伊予国松山(=愛媛県松山市)20万石を与えられた稀有な大名。 慶長7年(1602)、伊予松山城(=現存十二天守の一つ)の築城に着手、寛永4年(1627)に完成した稀有な大事業。 寛永4年(1627)、陸奥国・会津40万石に転封。寛永8年(1631)、会津で69歳で没。