TabiShiri
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武将幕末

土方歳三

ひじかたとしぞう

1835 〜 1869

武将「土方歳三」(幕末)

Tamoto Kenzō, Public domain, via Wikimedia Commons

別名・通称

鬼の副長

幕末の新選組副長(1835〜1869)。武蔵国多摩郡石田村(今の東京都日野市)の豪農の家に生まれ、近藤勇とともに京都へ上って新選組の中心となった。規律に厳しく「鬼の副長」と呼ばれた。戊辰戦争では箱館に渡って新政府軍と戦い、明治2年(1869)5月11日に戦死した。
生涯・逸話
【どんな人物か】 土方歳三(ひじかたとしぞう)は、幕末の新選組(しんせんぐみ)の副長(ふくちょう、局長に次ぐ役職)である。 天保6年(1835)、武蔵国(むさしのくに)多摩郡石田村(いしだむら、今の東京都日野市石田)の豪農(ごうのう、大きな農家)・土方家に生まれた。10人兄弟の末っ子だった。 家に伝わる薬「石田散薬(いしださんやく)」を売り歩く行商にも出ており、その途中で剣術の稽古を始めることもあったと伝わる。 【京都へ】 近藤勇(こんどういさみ)が道場主を務める試衛館(しえいかん)の仲間とともに、文久3年(1863)に京都へ向かった。この浪士組(ろうしぐみ)から、のちの新選組が生まれた。 【新選組の副長】 局長の近藤勇を支える副長として、隊の規律を厳しく守らせた。決まりを破った隊士に切腹を命じたことから、「鬼の副長」と呼ばれた。局長を支えるために、あえて非情な役を演じたともいわれる。 【箱館での戦い】 近藤勇を失ったあと、土方は戦いの場を箱館(はこだて、今の函館)へ移した。旧幕府軍の榎本武揚(えのもとたけあき)の軍に加わり、蝦夷地(えぞち、今の北海道)に渡った。 慶応4年(1868)12月、五稜郭(ごりょうかく)での入れ札(選挙)で、陸軍奉行並(りくぐんぶぎょうなみ)に選ばれた。 翌明治2年(1869)4月、二股口(ふたまたぐち)の戦いでは、200人あまりを率いて新政府軍の猛攻を退けた。 5月11日、新政府軍の総攻撃の中で狙撃され、亡くなった。34歳(数え年で35歳)だった。亡くなった場所は、一本木関門(いっぽんぎかんもん)とする説や、若松町(わかまつちょう)とする説などがあり、はっきりしない。 【ゆかりの地】 東京都日野市石田の石田寺(せきでんじ)には、土方歳三の墓がある。 日野市の高幡不動尊金剛寺(たかはたふどうそんこんごうじ)は、土方家の菩提寺(ぼだいじ)で、大日堂には土方歳三の位牌がある。境内には銅像と顕彰碑があり、奥殿では書簡など新選組の資料が展示されている。 日野宿本陣(ひのじゅくほんじん、日野市日野本町)は、近藤勇・土方歳三・沖田総司らが出会った場所とされる。 函館市若松町の若松緑地公園には、最期の地碑が立っている。