TabiShiri
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僧侶戦国時代

安国寺恵瓊

あんこくじえけい

1539 〜 1600

僧侶「安国寺恵瓊」(戦国時代)

別名・通称

恵瓊、毛利の坊主

戦国・安土桃山期の臨済宗の僧・武将(1539-1600)。安芸国・武田氏の出身。毛利氏の外交僧として活躍、豊臣秀吉の天下取りを早くから見抜いた稀有な眼力の人。関ヶ原の戦いで西軍に与した責任で京都・六条河原で石田三成らと共に処刑された稀有な悲劇。
生涯・逸話
戦国時代の「毛利の坊主」、外交僧。天文8年(1539)、安芸国(=広島県)の名門・武田信重の子として生まれる(=安芸武田氏、甲斐武田氏とは別)。 幼くして安芸国・安国寺で出家、毛利氏の保護を受けて成長した稀有な経歴。 毛利氏の外交僧として、毛利元就・輝元に仕え、織田信長・豊臣秀吉との交渉を担当した稀有な大任。 天正元年(1573)、信長と将軍・足利義昭の対立を見た際、「信長の代は3-5年、後に高転びに転ぶ。藤吉郎(=秀吉)はさりとてはの者にて候(=秀吉こそが、それでもなお、天下を取る器の者だ)」と予言した稀有な眼力(『藝州海上洋船記』)。 これは本能寺の変(1582)・秀吉の天下取りを的中させた稀有な「予言」として有名。 慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで西軍に与し、毛利輝元(=五大老)に総大将就任を勧めた稀有な決断。戦後、京都・六条河原で石田三成・小西行長と共に処刑された稀有な悲劇、享年62。
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