TabiShiri
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伝説の英雄神代

日本武尊

やまとたけるのみこと

伝説の英雄「日本武尊」(神代)

別名・通称

倭建命、ヤマトタケル、小碓命

第12代景行天皇(けいこうてんのう)の皇子で、本名は小碓命(おうすのみこと)です。古事記では倭建命(やまとたけるのみこと)、日本書紀では日本武尊と書かれます。記紀によれば、九州の熊襲(くまそ)の征討と東国の平定に向かい、帰りの道の能褒野(のぼの)で亡くなったとされます。亡くなったあとは白い鳥になって飛び去ったという話が伝わります。実在した人物かどうかは、研究者の間で意見が分かれています。
生涯・逸話
【生まれと名前】 記紀によれば、父は第12代景行天皇、本名は小碓命(おうすのみこと)です。古事記では「倭建命」、日本書紀では「日本武尊」と書かれます。「タケル」にあたる名は、熊襲を討ったときに相手から贈られたものと語られます。 【熊襲を討つ】 古事記では、父の景行天皇に命じられた小碓命が九州へ向かいます。叔母の倭比売命(やまとひめのみこと)から授かった女性の衣装を着て、熊襲建(くまそたける)兄弟の宴に入り込み、二人を討ったと語られます。弟の熊襲建は、亡くなる前に「倭建」の名を献じました。日本書紀では、相手は熊襲の首長の川上梟帥一人で、この人物が名を贈ったとされます。 【東国へ】 古事記も日本書紀も、東国へ向かう前に、伊勢で倭姫命(倭比売命)から草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授かったと書きます。途中で敵の計略にあって野に火を放たれますが、剣で草を薙ぎ払い、向かい火をつけて切り抜けたと伝わります。この場所を、古事記は相武国(相模国)、日本書紀は駿河国(するがのくに)としていて、記紀で違います。静岡県の焼津の地名は、この話にちなむとされます。 【走水と弟橘媛】 走水の海(現在の神奈川県横須賀市のあたり)で海が荒れて進めなくなったとき、妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)が海に身を投げて波を鎮め、船が進めるようになったと語られます。 【尾張から伊吹山へ】 古事記では、尾張で宮簀媛(みやずひめ)と結ばれます。草薙剣を宮簀媛のもとに残して伊吹山の神に向かい、その神の怒りにふれて病身になったと語られます。 【能褒野での最期と白鳥】 故郷の大和へ帰る途中、能褒野(今の三重県亀山市)で力尽きたとされます。古事記では、亡くなったあとに大きな白い鳥となって飛び去り、后や御子たちがその後を追ったと語られます。日本書紀では、白鳥となって大和へ飛び、棺には衣だけが残ったとされます。 【墓と白鳥陵】 三重県亀山市田村町にある能褒野墓は、今も日本武尊の墓として宮内庁が管理しています。このほか、白鳥陵として、奈良県御所市と大阪府羽曳野市のものも、宮内庁が定めています。 【祀る神社】 建部大社(たけべたいしゃ、滋賀県大津市)と大鳥大社(おおとりたいしゃ、大阪府堺市)は、日本武尊を主な神として祀り、どちらも国の一宮とされます。このほか、走水神社(はしりみずじんじゃ、神奈川県横須賀市)、焼津神社(やいづじんじゃ、静岡県焼津市)、熱田神宮(草薙剣を祀る)などが、ゆかりの神社として知られます。 【記紀の描き方の違い】 古事記では、父に遠ざけられながら各地を旅する悲劇の英雄として描かれます。日本書紀では、天皇の命を受けて働く皇子として描かれる、と説明されています。 【実在をめぐって】 日本武尊が実在した人物かどうかは、研究者の間で意見が分かれています。複数の人物の話をまとめた英雄だとする説や、4世紀の後半にモデルになった王族がいたとする説などがあります。記紀や風土記の話を、そのまま史実とすることはできません。