TabiShiri
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武将戦国時代

山本勘助

やまもとかんすけ

1493 〜 1561

武将「山本勘助」(戦国時代)

別名・通称

勘助、山本菅助、山本晴幸、山本道鬼斎

戦国時代の武田家の家臣(?〜1561)。軍学書『甲陽軍鑑』で武田信玄の名軍師として描かれ、「啄木鳥(きつつき)戦法」の考案者として知られます。 長く実在を疑われてきましたが、古文書から「山本菅助」という武田家臣がいたことが確かめられています。 永禄4年(1561)の第四次川中島の戦いで戦死したとされます。
生涯・逸話
【この人物を理解する鍵】 山本勘助を理解する鍵は、『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』という一冊の本にある。勘助の名軍師ぶりは、ほとんどがこの軍学書に描かれたものだ。同じ時代の記録が見つからず、長く実在さえ疑われてきた。のちに古文書から「山本菅助」という武田家の家臣がいたことは確かめられたが、軍師として活躍したかどうかはわかっていない。 【出自】 生まれた土地には、三河国の牛窪(いまの愛知県豊川市)、駿河国富士郡山本村(いまの静岡県富士宮市)、近江国など、いくつもの説がある。生まれた年は明応2年(1493)とする伝承がある。 【武田家へ】 諸国を渡り歩いたのち、天文12年(1543)ごろ、50歳を過ぎて武田信玄に召し抱えられたとされる。 【川中島の戦い】 『甲陽軍鑑』によると、永禄4年(1561)の第四次川中島の戦いで、武田軍は勘助の「啄木鳥の戦法」を用いた。軍を二手に分け、別の部隊が上杉軍の背後をつついて山から追い出し、待ち構えた本隊で討つという作戦である。 しかしこの作戦は上杉謙信に見破られ、武田軍は大きな損害を受けた。信玄の弟・武田信繁もこの戦いで戦死している。 勘助も同年9月10日、この戦いで戦死したとされる。 【近年の発見】 平成20年代、新たに見つかった古文書から、「山本菅助」という武田家の家臣が実在し、その子孫が武田家滅亡後に徳川家康に仕えたことがわかった。 【ゆかりの地をたどる】 長野市松代町の千曲川のほとりに勘助の墓がある。もとは近くの高畑に葬られたと伝わり、元文4年(1739)に松代藩の家老がいまの場所へ移した。 静岡県富士宮市山本には「山本勘助誕生地」の碑が立つ。 井上靖の小説『風林火山』の主人公としても知られる。