TabiShiri
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武将戦国時代

山県昌景

やまがたまさかげ

1529 〜 1575

武将「山県昌景」(戦国時代)

別名・通称

昌景、源四郎、武田四名臣、赤備え

戦国時代の武将(1529-1575)。武田信玄・勝頼の重臣。「武田四名臣(=山県昌景・馬場信春・内藤昌秀・高坂昌信)」の筆頭。「赤備え(=甲冑を赤で統一した精鋭部隊)」で恐れられた稀有な勇将。長篠の戦い(1575)で奮戦し戦死。
生涯・逸話
武田家の最高の勇将、「赤備え」の創始者。享禄2年(1529)、武田家臣・飯富虎昌の弟として甲斐国に生まれる。本名・飯富源四郎、後に山県姓を継いだ。 兄・飯富虎昌が武田義信(=信玄嫡男、廃嫡)に従って謀反を起こしたため、兄は誅殺された稀有な家中の悲劇。山県は兄と決別して信玄に忠誠を尽くした稀有な決断。 「武田四名臣(=武田四天王)」=山県昌景・馬場信春・内藤昌秀・高坂昌信の筆頭として、武田家の主要合戦のほぼ全てで活躍した稀有な戦歴。 「赤備え(あかぞなえ)」=部隊全員の甲冑・旗指物を赤で統一した稀有な精鋭部隊の創始者。「赤備え」は後の井伊直政(=徳川家臣)・真田幸村らに受け継がれた稀有なシンボル。 身長は約130cmと低かったが、戦場では獅子奮迅の活躍を見せた稀有な勇将。 天正3年(1575)、長篠の戦いで奮戦し、信長の鉄砲隊の前で47歳で戦死した稀有な悲劇。最期は「もはや勝頼様にお仕えできぬ」と無念の言葉を残したとされる。