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武将幕末・明治

山田顕義

やまだあきよし

1844 〜 1892

武将「山田顕義」(幕末・明治)

別名・通称

顕義、松陰の弟子、日本大学創立者

幕末・明治の政治家・教育者(1844-1892)。長州藩士、吉田松陰の松下村塾出身の最年少。戊辰戦争で官軍として活躍。明治政府で初代司法大臣を務めた稀有な経歴。明治22年(1889)、日本大学(=現・日本大学)・國學院(=現・國學院大學)を創立した稀有な教育者。
生涯・逸話
日本大学創立者、松陰門下の最年少。弘化元年(1844)、長州藩士・山田顕行の長男として萩(=山口県萩市)に生まれる。 13歳で吉田松陰の松下村塾に入門、松陰門下の最年少となった稀有な少年期。 戊辰戦争で官軍として活躍、北越戦争・函館戦争で参謀として功を上げた稀有な戦歴。 明治政府で陸軍少将・参議・司法大臣などを歴任。明治18年(1885)、第1次伊藤博文内閣で初代司法大臣に就任した稀有な経歴。 「法律と教育」を重視し、明治22年(1889)、日本法律学校(=現・日本大学)を創立。明治23年(1890)には國學院(=現・國學院大學)も創立した稀有な教育者の二大事業。 明治25年(1892)、生野銀山(=兵庫県)視察中に49歳の若さで急死した稀有な悲劇。