武将戦国時代
宇喜多秀家
うきたひでいえ
1572 〜 1655

別名・通称
秀家、八郎、五大老、八丈島流人
生涯・逸話
豊臣五大老の一人、八丈島の流人として50年生きた稀有な悲劇の大名。元亀3年(1572)、備前国(=岡山県)の戦国大名・宇喜多直家の次男として生まれる。
10歳で家督相続、豊臣秀吉の養子となって寵愛を受けた稀有な経歴。秀吉の養女・豪姫(=前田利家)を妻に迎えた稀有な縁戚関係。
豊臣秀吉の五大老(=徳川家康・前田利家・毛利輝元・上杉景勝・宇喜多秀家)の一人として、秀吉死後の政治を委ねられた稀有な大任、最年少。備前・美作57万石の大領主。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで西軍主力として約1万7,000の兵を率いて奮戦するも、小早川秀秋の裏切りで西軍敗北。
戦後、薩摩・島津家に匿われた後、慶長11年(1606)、八丈島に流された稀有な悲劇。
しかし八丈島で約50年間、農耕生活を送り、明暦元年(1655)、84歳で没した稀有な長寿。妻・豪姫の前田家から仕送りを受け、子孫は明治期に赦免されるまで八丈島で代々生きた稀有な家系。