TabiShiri
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公家平安時代

源義朝の妻 常磐御前

ときわごぜん

1138 〜 1180

公家「源義朝の妻 常磐御前」(平安時代)

別名・通称

常磐、常盤御前、常盤、源義経の母

平安末期の女性(1138-1180?)。源義朝の側室、源義経の母。平治の乱(1159)で義朝が敗死後、子(=今若・乙若・牛若=後の義経)を連れて雪の中を逃避行、平清盛に捕らえられるも美貌で清盛の側室となり子の命を救った稀有な悲劇の母。
生涯・逸話
平治の乱の悲劇の母。保延4年(1138)頃、京都の御所の女房として近衛天皇に仕えた稀有な経歴。源義朝の側室となり、3人の子(=今若・乙若・牛若=後の源義経)を儲けた。 平治元年(1159)、平治の乱で義朝が敗死。常磐は3人の幼子を連れて雪の中を大和(=奈良)へ逃避行した稀有な悲劇。 しかし母・関屋が捕らえられたため、自首して平清盛の前に出た。清盛は常磐の美貌に魅了され、3人の子の助命と引き換えに常磐を側室にしたとされる稀有な伝承(諸説あり)。 3人の子は出家させられ、牛若(=後の源義経)は鞍馬寺に預けられた稀有な後の英雄の少年期。 その後の常磐の消息は不明、養和元年(1181)頃没とされる(諸説あり)。