武将戦国時代
高橋紹運
たかはしじょううん
1548 〜 1586

別名・通称
紹運、高橋鎮種、岩屋城主、立花宗茂の父
生涯・逸話
戦国時代の九州の名将、岩屋城の悲劇の主役。天文17年(1548)、豊後国(=大分県)の大友家家臣・吉弘鑑理の次男として生まれる。本名・吉弘鎮種、後に大友家から名門・高橋氏の名跡を継いで高橋紹運。
子・立花宗茂を、立花道雪の婿養子にして立花家を継承させた稀有な経歴。
天正14年(1586)7月、島津義弘・島津家久・島津忠長率いる約5万の大軍が、紹運の岩屋城(=福岡県大宰府市)に襲来。
紹運はわずか763人で「玉砕の覚悟」を決め、約16日間籠城して島津軍を阻んだ稀有な「岩屋城の戦い」。これは九州版の「桜井の別れ」とも称される稀有な悲劇。
7月27日、援軍の到着前に岩屋城は陥落、紹運は本丸で家臣と共に自害した稀有な悲劇、享年39。
しかしこの16日間の籠城で島津軍の北上を遅らせ、豊臣秀吉の九州征伐の援軍到着を可能にした稀有な大功。子・立花宗茂は「父・紹運の死をもって徳川幕府にまで生き延びる」稀有な決意で活躍した。
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