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武将平安時代

平将門

たいらのまさかど

? 〜 940

武将「平将門」(平安時代)

別名・通称

将門、新皇、平将門公、平将門命

平安時代の中ごろの武将です(生まれた年は不明〜940年)。関東の国府を次々に従えて「新皇(しんのう)」を名乗りましたが、天慶3年(940年)に平貞盛と藤原秀郷の軍に敗れました。のちに神田明神などにまつられています。
生涯・逸話
【生まれと若いころ】生まれた年はわかっていません。桓武天皇の血を引く平高望(たいらのたかもち)の孫で、父は下総国(今の千葉県北部など)を拠点にした平良将(よしまさ)です。15歳ごろに京へ上って藤原忠平に仕え、検非違使になることを望みましたが、かないませんでした。 【一族の争い】父が早くに亡くなると、おじの平国香(くにか)に所領を取られました。承平5年(935年)、源護(みなもとのまもる)の息子たちに襲われましたが、逆に打ち破り、国香の屋敷を攻めて国香も討ちました。 【新皇を名乗る】天慶2年(939年)、常陸国府を占領し、関東の国府を次々に従えました。そして「新皇」を名乗り、岩井(今の茨城県坂東市)に政庁を置きました。同じころ西国では藤原純友も兵を挙げ、二つを合わせて「承平・天慶の乱」と呼びます。 【最期】天慶3年(940年)、平貞盛と藤原秀郷の軍との戦いで、額に矢を受けて亡くなりました。首は京に運ばれ、さらされました。 【首の伝説】『太平記』には、首は何か月たっても腐らず、目を見開いて体を求め、やがて空高く飛んで関東へ向かったと書かれています。首が落ちたとされる場所の一つが、東京都千代田区大手町の将門塚(首塚)です。 【まつられる神として】延慶2年(1309年)、関東ではやった疫病が将門のたたりとされ、神田明神にまつられるようになりました。今は神田明神の三之宮の祭神です。菅原道真・崇徳上皇とともに「日本三大怨霊」の一人に数えられています。