武将戦国時代
島津義久
しまづよしひさ
1533 〜 1611

別名・通称
義久、虎寿丸、島津四兄弟長兄
生涯・逸話
島津四兄弟の長兄、九州の覇者。天文2年(1533)、薩摩国の島津貴久の長男として生まれる。
島津四兄弟(=義久・義弘・歳久・家久)の長兄として、薩摩・大隅・日向の3か国を父から継承、後に九州一円を席巻した稀有な大領主。最盛期(=天正14年/1586年頃)には九州8カ国のうち6カ国を支配した稀有な大事業。
天正15年(1587)、豊臣秀吉の九州征伐(=約25万の大軍)に対し、約1ヶ月で各地で敗北、剃髪して秀吉に降伏した稀有な決断。これにより薩摩・大隅・日向の3か国は安堵された稀有な結末。
文禄・慶長の役(=朝鮮出兵)には弟・義弘らを派遣。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは弟・義弘が西軍に与したが、義久自身は中立を保った稀有な経歴。戦後、徳川家康との交渉で薩摩・大隅・日向は安堵された稀有な戦略。
慶長16年(1611)、鹿児島で79歳で病没。