学者・文化人幕末・明治
渋沢栄一
しぶさわえいいち
1840 〜 1931

別名・通称
幕末から昭和にかけて活躍した実業家(1840〜1931)。「近代日本資本主義の父」と呼ばれる。第一国立銀行を設立し、東京株式取引所や東京海上保険、東京瓦斯など、生涯で約500社の企業に関わったとされる。2024年に発行された新一万円札の肖像。
生涯・逸話
この人物を理解する鍵は、「論語」の道徳と「算盤」の経済を両立させるという考えを軸に、数多くの会社や社会事業をつくった点にあります。
【農家から幕臣へ】
天保11年(1840)2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島村(むさしのくにはんざわぐんちあらいじまむら、現在の埼玉県深谷市)の農家に生まれました。父の市郎右衛門(いちろうえもん)は藍の葉の鑑定にすぐれ、栄一は父の仕入れに同行して商いの経験を積みました。従兄の尾高惇忠(おだかあつただ)から『論語』を学び、尊王攘夷(そんのうじょうい)の考えの影響を受けます。文久3年(1863)には高崎城を乗っ取る計画を立てましたが、尾高長七郎(おだかちょうしちろう)の説得で中止しました。その後、元治元年(1864)に、のちに江戸幕府最後の将軍となる一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ、徳川慶喜)に仕えます。
【パリで見たもの】
慶応3年(1867)、慶喜の弟・徳川昭武(とくがわあきたけ)に従ってパリ万国博覧会などを訪れ、ヨーロッパの産業や制度を見聞しました。
【新政府から実業界へ】
明治2年(1869)に明治新政府に仕えて制度づくりに関わり、明治6年(1873)に大蔵省を辞めました。同じ年に第一国立銀行(のちのみずほ銀行につながる、日本初の国立銀行)を設立し、頭取(とうどり)として長く経営にあたります。明治11年(1878)には東京株式取引所(現在の東京証券取引所の前身)の設立にも関わりました。東京海上保険、東京瓦斯、日本煉瓦製造(にっぽんれんがせいぞう)などにも関わり、生涯で約500社の企業の設立や運営に関わったとされます。このほか、富岡製糸場の設置主任や、養育院の院長もつとめました。
【論語と算盤】
栄一の考え方の基本は『論語』の教えにありました。経済活動と道徳を一致させるべきだという「道徳経済合一説(どうとくけいざいごういつせつ)」を唱え、その経営の理念は「論語と算盤」と呼ばれます。大正5年(1916)には同名の本も出版されました。同じ年に実業界から引退しています。
【最期とお札の肖像】
昭和6年(1931)11月11日、91歳(満年齢)で亡くなりました。2019年に新しい一万円札の肖像に選ばれ、2024年7月3日に発行されました。生まれ故郷の深谷市には、渋沢栄一記念館があります。
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