武将戦国時代
佐竹義重
さたけよししげ
1547 〜 1612

別名・通称
義重、鬼義重
生涯・逸話
北関東を舞台に、南からの北条氏と北からの伊達氏という二つの大きな勢力にはさまれながら、佐竹氏を守り抜いた大名。それが佐竹義重である。
【常陸の大名として】
義重は天文16年(1547)、佐竹義昭の子として常陸国の太田城(現在の茨城県常陸太田市)に生まれた。永禄5年(1562)に家督を継ぎ、太田城を拠点に勢力を広げていった。
戦場での勇ましさから「鬼義重(おによししげ)」と呼ばれたと伝えられる。
【北条氏・伊達氏との戦い】
相模の北条氏が関東で勢いを強めると、義重は結城・宇都宮・那須などの北関東の武将たちと手を結んで、これに対抗した。また、陸奥南部にも勢力を伸ばし、伊達政宗とも戦った。
天正14年(1586)、嫡男の義宣(よしのぶ)に家督を譲った。
【豊臣秀吉に従う】
天正18年(1590)、豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻めると、佐竹氏はこれに協力した。その結果、それまでの領地を認められ、「常州(じょうしゅう)の旗頭」を命じられた。
【秋田へ】
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後、佐竹氏は常陸から出羽の秋田へ移された。義重も秋田へ移り、慶長17年(1612)4月19日、出羽国仙北郡花館村(現在の秋田県大仙市)で66歳で亡くなった。
その後、佐竹氏は秋田藩主として江戸時代を通じて続いた。
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