TabiShiri
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武将戦国時代

佐久間信盛

さくまのぶもり

1528 〜 1582

武将「佐久間信盛」(戦国時代)

別名・通称

信盛、佐久間右衛門尉、佐久間出羽介、退き佐久間

戦国時代の尾張の武将。織田信秀に仕え、のちに信長の重臣として各地を転戦した。退却戦に長けて「退き佐久間」と呼ばれたと伝わる。石山本願寺攻めに長く加わったが、天正8年(1580)に信長から厳しく責められて追放され、高野山へ入ったのち熊野で亡くなった。
生涯・逸話
信長の家臣団の中で、佐久間信盛(さくまのぶもり)ほど長く仕えた者は多くない。古くからの重臣が、最後には主君から追放される。その歩みは、信長の家臣団が移り変わっていく様子をよく映している。 【古参の重臣として】 信盛は尾張の人で、生まれは大永7年(1527)とも享禄元年(1528)ともいわれる。通称は右衛門尉(うえもんのじょう)、官途は出羽介(でわのすけ)。信長の父・織田信秀に仕え、そのまま信長に従った。 元亀元年(1570)には近江で六角義賢(ろっかくよしかた)を破った。元亀3年(1572)には徳川家康を助けるために遠江へ向かい、三方ヶ原で武田信玄の軍と戦ったが、大きな敗北を喫している。 天正3年(1575)の長篠の戦いでも功を立て、三河の水野信元の旧領を与えられた。比叡山の焼き打ちや朝倉氏との戦い、松永氏の討伐などにも加わったとされる。 軍を退くときの戦いぶりに優れ、「退き佐久間(のきさくま)」と呼ばれたとも伝えられる。 【本願寺攻めと追放】 天正4年(1576)からは、大坂の石山本願寺を囲む戦いに加わり、その総大将を務めたともいわれる。 しかし天正8年(1580)、本願寺との戦いが終わったのち、信長は信盛を厳しく責める書状を送り、信盛を家臣団から追放した。信盛は高野山へ入り、その後は紀伊の熊野へ移ったとされる。 【最期】 信盛は熊野で亡くなった。没年は天正9年(1581)とする説と、天正10年(1582)とする説がある。