武将戦国時代
斎藤道三
さいとうどうさん
? 〜 1556

別名・通称
道三、斎藤利政、長井規秀、斎藤新九郎、美濃の蝮
生涯・逸話
【下剋上の武将】
斎藤道三(さいとうどうさん)を知る鍵は、家来の立場から美濃の国を手に入れた、戦国時代の下剋上を代表する人物だということです。
生まれた年は、はっきりしていません。
【父子二代の国盗り】
かつては、京都の油売りから一代で美濃の主になったと語られてきました。
しかし今では、父の長井新左衛門尉(ながいしんざえもんのじょう)と道三の、父子二代にわたる国盗りだったとみる説が有力です。
岐阜市の常在寺(じょうざいじ)は、この父子が二代にわたって美濃を治める拠点とした寺とされています。
【名前の移り変わり】
道三は、はじめ長井規秀(ながいのりひで)として記録に現れます。
天文(てんぶん)7年(1538)ごろからは、斎藤利政(さいとうとしまさ)と名乗るようになりました。
【土岐頼芸を追う】
天文11年(1542)、美濃の守護だった土岐頼芸(ときよりのり)を追い出し、美濃の実権をにぎりました。
【濃姫と織田家】
娘の濃姫(のうひめ)を、尾張の織田信秀の子・信長に嫁がせました。
美濃の新しい体制を安定させ、織田家との争いをさけるための作戦だったと考えられています。
【長良川の戦い】
弘治(こうじ)2年(1556)4月、道三は息子の斎藤義龍(さいとうよしたつ)と長良川で戦いました。
この戦いに敗れ、道三は長良川のほとりで亡くなりました。
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