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武将戦国時代

大内義隆

おおうちよしたか

1507 〜 1551

武将「大内義隆」(戦国時代)

日本語: 不明(異雪慶珠賛)English: Unknown (Inscription by Isetsu Keiju), Public domain, via Wikimedia Commons

別名・通称

義隆、大内左京大夫

戦国時代の大名です(1507年〜1551年)。周防国(今の山口県)の山口を本拠に、中国地方の西部から九州の北部まで、6か国の守護をつとめました。京都の文化を好み、ザビエルにも布教を許しましたが、家臣の陶隆房(のちの晴賢)に背かれて自害しました。
生涯・逸話
【生まれと家督】永正4年(1507年)11月15日、大内義興(よしおき)の嫡男として生まれました。享禄元年(1528年)に家督をつぎました。 【6か国の守護】周防・長門・石見・安芸・豊前・筑前の守護をつとめ、山口を中心に大きな勢力をもちました。 【山口の文化】京都の公家や文化人を山口に招き、和歌や連歌などの文化が栄えました。山口は「西の京」とも呼ばれます。 【ザビエルとの出会い】天文19年(1550年)と天文20年(1551年)の2回、山口でフランシスコ・ザビエルに会い、領内でキリスト教を広めることを許しました。 【大寧寺の変】天文20年(1551年)、家臣の陶隆房(すえ たかふさ、のちの晴賢〈はるかた〉)に背かれ、長門国湯本(今の山口県長門市)の大寧寺に逃れました。9月1日、そこで自害しました。満44歳(数えで45歳)でした。 大寧寺には、子の義尊(よしたか)とともに義隆のお墓があります。萩石でつくられた宝篋印塔(ほうきょういんとう)で、毛利輝元が義隆の33回忌に建てたものです。