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武将戦国時代

大内義隆

おおうちよしたか

1507 〜 1551

武将「大内義隆」(戦国時代)

日本語: 不明(異雪慶珠賛)English: Unknown (Inscription by Isetsu Keiju), Public domain, via Wikimedia Commons

別名・通称

義隆、大内左京大夫、西国の覇者、大内文化

戦国時代の周防(=山口)の大名(1507-1551)。「西国の覇者」「百八十年に及ぶ大内氏の最後の繁栄」を築いた稀有な文化人大名。 京都の公家文化を山口に移植し、「西の京」と称された稀有な文化の都を作った。 家臣・陶晴賢の謀反で自害。
生涯・逸話
戦国時代の山口を「西の京」とした文化人大名。 永正4年(1507)、周防国(=山口県)の大内氏31代当主・大内義興の嫡男として生まれる。 享禄元年(1528)、家督相続。九州北部から中国地方西部までを支配し、「西国の覇者」となった大領主。 京都の公家・文化人を山口に招き、「大内文化」=能楽・茶道・絵画・連歌が栄える文化の都を築いた。 山口は「西の京」と称された。 天文21年(1551)、家臣・陶晴賢の謀反(=「大寧寺の変」)で長門国・大寧寺で自害、享年45。 これにより大内氏は衰退、後の毛利元就の中国制覇への道を開いた稀有な歴史的転換点。 サビエル(=フランシスコ・ザビエル)が山口で布教許可を受けたのも義隆の時代。