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武将戦国時代

大谷吉継

おおたによしつぐ

1559 〜 1600

武将「大谷吉継」(戦国時代)

別名・通称

吉継、大谷刑部少輔、白頭巾の武者

戦国・安土桃山期の武将(1559-1600)。豊臣秀吉の小姓から重臣に。ハンセン病(=当時「業病」とされた稀有な病)を患い顔を白頭巾で覆って戦場に出た稀有な存在。親友・石田三成に懇願され関ヶ原西軍に参加、敗北を覚悟しつつ家臣の介錯で自害した稀有な義の人。
生涯・逸話
戦国・安土桃山期の名臣、義の武将。永禄2年(1559)頃、近江国(=滋賀県)に生まれる(出自は諸説あり)。 豊臣秀吉の小姓となり、九州征伐・朝鮮出兵で活躍。越前国敦賀(=福井県)5万石を与えられた稀有な経歴。 ハンセン病(=当時「業病」と恐れられた稀有な病)を患い、目も見えなくなったため、顔を白頭巾で覆って戦場に出る稀有な姿。 「秀吉の前で茶を回し飲みする席で、吉継が病で顔から汁を垂らしたが、誰も気にしない素振り。次に三成だけが躊躇なく吉継の茶を飲み干した」逸話=三成と吉継の終生の友情の始まり、稀有な「義」の物語。 慶長5年(1600)、親友・石田三成の関ヶ原挙兵に対し、「無謀」と止めるも、三成の決意に動かされて西軍に参加した稀有な決断。 関ヶ原の戦いで西軍最右翼として奮戦、小早川秀秋の裏切りに最初に反応して善戦するも、衆寡敵せず家臣・湯浅五助の介錯で自害、享年42。「義」の人として後世に語り継がれる稀有な存在。
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