学者・文化人平安時代
小野小町
おののこまち

別名・通称
小町
平安時代前期の歌人(生没年不詳)。六歌仙・三十六歌仙の一人で、仁明天皇・文徳天皇の宮廷に仕えたとされます。
百人一首の「花の色は移りにけりな…」の歌で知られ、伝説的な美女として「小町」の名は美人の代名詞にもなりました。
生涯・逸話
【この人物を理解する鍵】
小野小町を理解する鍵は、確かな歌と、ふくらみ続けた伝説とを分けて見ることにある。生まれた年も亡くなった年も、親の名もはっきりしない。確かに残っているのは歌であり、その歌と美女という評判から、後の世に数多くの物語が生まれた。
【歌人として】
9世紀の中ごろ、仁明(にんみょう)天皇・文徳(もんとく)天皇の宮廷に仕えたとされる。小野良真(おののよしざね)の娘とする系図もあるが、確かではない。
『古今和歌集』の仮名序で紀貫之が名を挙げた6人の歌人の一人で、のちに「六歌仙」と呼ばれた。三十六歌仙の一人にも数えられる。
貫之は小町の歌を「あはれなるやうにて強からず」、つまりしみじみと心を打つが力強さはない、と評し、悩みをかかえた美しい女性のようだとたとえている。
『古今和歌集』に18首、勅撰和歌集全体で60首余りが収められている。
百人一首の「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」は、とくによく知られた一首である。
【ふくらむ伝説】
深草少将(ふかくさのしょうしょう)が小町のもとに百夜通えば想いを受け入れると言われ、99夜目に亡くなったという話は、謡曲「通小町(かよいこまち)」のもとになった。
年老いた小町が尼や物乞いとなって各地をさまよい、道ばたで亡くなったという話も広まり、全国に「小町塚」と呼ばれる塚が残る。
こうした話をもとに、「卒都婆小町(そとばこまち)」「関寺小町(せきでらこまち)」などの謡曲が生まれ、「七小町」と呼ばれた。
【ゆかりの地をたどる】
生まれた地や墓所と伝える場所は全国各地にある。京都市山科区の随心院(ずいしんいん)は小町の住まいの跡と伝わり、ゆかりの井戸や碑が残る。
ゆかりの神社・寺・城4 件