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学者・文化人江戸時代

本居宣長

もとおりのりなが

1730 〜 1801

学者・文化人「本居宣長」(江戸時代)

別名・通称

宣長、本居、鈴屋大人、鈴屋、舜庵

江戸時代中期の国学者(1730-1801)。伊勢国松坂の木綿商の家に生まれ、医者を本業としながら、賀茂真淵に入門して古典の研究に打ち込んだ。35年をかけて『古事記伝』全44巻を書き上げ、『源氏物語』を「もののあはれ」から読み解いた。国学四大人の一人に数えられる。
生涯・逸話
本居宣長は、享保15年(1730)5月7日、伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)の木綿問屋・小津定利の次男として生まれた。兄が亡くなって家督を継いだが、商売には向かず、家の勢いも傾いていた。そこで医者を目指して京都へ出た。 京都では、儒学を堀景山(ほりけいざん)に、医学を堀元厚・武川幸順に学んだ。景山のもとで古典にも親しみ、学問の土台を築いた。宝暦7年(1757)に松坂へ戻ると町医者を開き、生涯医業を続けながら学問に励んだ。号は鈴屋(すずのや)といい、書斎も「鈴屋」と呼ばれた。 宝暦13年(1763)、伊勢参宮の旅の途中で松坂に立ち寄った国学者・賀茂真淵と、宿で対面した。のちに「松坂の一夜」と呼ばれる出会いで、宣長はこれをきっかけに真淵の門に入った。 翌明和元年(1764)頃から『古事記』の本格的な研究に取りかかり、寛政10年(1798)、35年の歳月をかけて注釈書『古事記伝』全44巻を書き上げた。また『源氏物語玉の小櫛(げんじものがたりたまのおぐし)』(寛政8年・1796年成立)では、「もののあはれ」を知ることこそ物語の本質だと説いた。 宣長は荷田春満・賀茂真淵・平田篤胤とともに「国学四大人」の一人に数えられる。享和元年(1801)9月29日、72歳で亡くなり、松坂の樹敬寺と、郊外の山室山(やまむろやま)に葬られた。