武将戦国・江戸
毛利勝永
もうりかつなが
1577 〜 1615

別名・通称
勝永、毛利吉政、森勝永、大坂五人衆
生涯・逸話
大坂の陣の悲劇の英雄、「大坂五人衆」の一人。天正5年(1577)、豊臣秀吉の家臣・毛利勝信(=安芸毛利氏とは別系)の長男として生まれる。本名・森勝永、後に毛利を称した。
文禄・慶長の役(=朝鮮出兵)に参陣、武功を上げた稀有な経歴。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍に与し、戦後改易されて土佐藩・山内一豊に預けられた稀有な悲運。
慶長19年(1614)、大坂冬の陣で土佐から脱出して豊臣方に参陣、「大坂五人衆」(=真田幸村・後藤又兵衛・毛利勝永・明石全登・長宗我部盛親)の一人として活躍した稀有な大任。
慶長20年(1615)5月7日、夏の陣で天王寺・茶臼山に布陣。真田幸村が徳川家康本陣に突入する時、勝永は別働隊として徳川秀忠本隊を突き崩した稀有な大活躍。
しかし衆寡敵せず、大坂城に戻って5月8日、豊臣秀頼・淀殿と共に自害、享年39。