武将平安時代
源義朝
みなもとのよしとも
1123 〜 1160

別名・通称
義朝、鎌倉殿の父、左馬頭
生涯・逸話
源平合戦の発端を作った悲劇の武将。保安4年(1123)、源為義の長男として生まれる。
13歳で関東に下り、相模国(=神奈川県)鎌倉で武勇を磨いた稀有な経歴。後に下野国(=栃木県)の豪族娘・由良御前(=頼朝の母)・常磐御前(=義経の母)らとの間に多くの子を儲けた稀有な多妻。
保元元年(1156)、保元の乱では後白河院方として勝利、父・為義を含む親族多数を斬罪に処した稀有な悲劇の勝者。
平治元年(1159)、平治の乱で平清盛と戦って敗北、京都を脱出して関東を目指す途中、尾張国・野間(=愛知県美浜町、=野間大坊)で家臣・長田忠致父子の歓待を受け入浴中、忠致に裏切られて謀殺された稀有な悲劇、享年38。
「我に木太刀の一本もあれば(=せめて木刀一本でもあれば討たれなかった)」が辞世とされる稀有な無念。野間大坊に義朝の墓・「血の池」が残る。
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