武将南北朝時代
楠木正行
くすのきまさつら
? 〜 1348

別名・通称
正行、楠木帯刀正行、小楠公
生涯・逸話
【父の志をついだ若武者】
楠木正行(くすのきまさつら)を知る鍵は、父・正成のあとをつぎ、若くして南朝のために戦いぬいたことです。
父の「大楠公(だいなんこう)」に対して、「小楠公」と呼ばれます。
生まれた年ははっきりしていません。
【桜井の別れ】
『太平記』では、延元(えんげん)元年(1336)、湊川の戦いへ向かう父・正成が、桜井の駅で幼い正行を故郷の河内へ帰したと語られます。これが「桜井の別れ」です。
ただし、史実かどうかははっきりしないとされています。
【河内守として】
正行は河内守(かわちのかみ)となり、南朝の側で河内を守りました。
【続けて幕府軍を破る】
正平(しょうへい)2年(1347)、河内の藤井寺で細川顕氏(ほそかわあきうじ)の軍を破り、続いて摂津の住吉・天王寺で山名時氏(やまなときうじ)らの軍にも勝ちました。
【如意輪寺の歌】
幕府が大軍を送ってくると、正行は出陣の前に吉野の如意輪寺(にょいりんじ)をおとずれ、「かへらじとかねて思へば梓弓(あずさゆみ)なき数にいる名をぞとどむる」と詠んで、一族の名を書き残したと伝えられます。
【四條畷の戦い】
正平3年(1348)1月5日、四條畷で高師直(こうのもろなお)・師泰(もろやす)の軍と戦いました。
敗れた正行は、弟の正時とたがいに刺しちがえて亡くなりました。23歳だったともいわれます。
【四條畷神社】
明治23年(1890)、正行の墓の東、飯盛山のふもとに四條畷神社が建てられました。
正行を主祭神とし、弟の正時ら一族24名をいっしょにまつっています。
ゆかりの神社・寺・城1 件