武将戦国時代
黒田官兵衛
くろだかんべえ
1546 〜 1604

別名・通称
官兵衛、黒田孝高、黒田如水、如水、黒田如水軒
生涯・逸話
戦国時代を代表する智将・軍師。天文15年(1546)、播磨国姫路(=兵庫県)の小寺氏家臣・黒田職隆の嫡男として生まれる。
初め播磨小寺氏に仕えるも、織田信長の中国攻めで羽柴秀吉(=後の豊臣秀吉)の参謀となる。秀吉の中国・備中高松城水攻めなどを補佐した稀有な軍師。
天正10年(1582)6月、本能寺の変直後、動揺する秀吉に「ご運が開ける」と進言、迅速な「中国大返し」を実現させ天下取りの決定打を作った稀有な才能。
天正15年(1587)、豊臣秀吉から豊前国中津(=大分県)6万石を与えられる。文禄2年(1593)、出家して「如水(じょすい)」と号した。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際、息子・黒田長政は徳川家康方として東軍で活躍。一方、如水は九州で挙兵、独自に九州統一を目指す稀有な戦略を取った。「天下を狙った最後の男」とも称される。
戦後、息子・長政が筑前福岡(=福岡県、福岡城V?既)52万石を与えられ、黒田家は筑前藩主に。慶長9年(1604)、如水は59歳で没。