武将戦国時代
高坂昌信
こうさかまさのぶ
1527 〜 1578

別名・通称
昌信、香坂昌信、春日虎綱、武田四名臣、逃げ弾正
生涯・逸話
武田家「四名臣」の一人、撤退戦の名手。大永7年(1527)、甲斐国の農民・春日大隅の子として生まれる。本名・春日虎綱(かすがとらつな)、後に高坂氏(または香坂氏)を継いだ。
幼くして武田信玄に小姓として仕え、信玄の寵愛を受けた稀有な少年期。
成人後、海津城(=長野県長野市松代)の城代として、上杉謙信に対する武田家の最前線を守った稀有な大任。
第四次川中島の戦い(1561)で、信玄が考案した「啄木鳥戦法」(=山本勘助)を実行する別動隊の指揮官。
「逃げ弾正(にげだんじょう)」=撤退戦の名手として有名、武田家の主要な戦で本隊の安全を確保する稀有な戦術家。
天正3年(1575)の長篠の戦いには参加せず、海津城を守った。天正6年(1578)、海津城で52歳で病没。
『甲陽軍鑑(=こうようぐんかん)』=武田家の軍学・歴史を記録した書、高坂昌信の著作とされる稀有な大作。