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学者・文化人江戸時代

葛飾北斎

かつしかほくさい

1760 〜 1849

学者・文化人「葛飾北斎」(江戸時代)

別名・通称

北斎、画狂老人、画狂老人卍、勝川春朗、宗理、戴斗、為一

江戸時代後期の浮世絵師(1760-1849)。勝川春章に学んだのち、名所絵・美人画・読本の挿絵・肉筆画と幅広く手がけ、生涯に多くの作品を残した。『冨嶽三十六景』や『北斎漫画』で知られ、その画業はジャポニスムを通じて欧米の美術にも影響を与えた。
生涯・逸話
葛飾北斎は、宝暦10年(1760)9月23日、武蔵国葛飾郡本所割下水(現在の東京都墨田区亀沢)に生まれたとする説が有力である。出自ははっきりせず、川村氏の子とする説、幕府御用の鏡師・中島伊勢の子とする説、川村氏に生まれて中島伊勢の養子になったとする説がある。幼名は時太郎、のちに鉄蔵と名乗ったとされる。 安永7年(1778)、19歳で浮世絵師の勝川春章に入門し、翌年から「勝川春朗」の名で役者絵などを描いた。その後、宗理、北斎、戴斗、為一(いいつ)、画狂老人卍など、生涯に30回以上も画号を改めた。住まいもたびたび移り、その回数は90回を超えたといわれる。 文化11年(1814)には、絵の手本として多くの図を集めた『北斎漫画』の初編を刊行し、のちに続編が重ねられた。70歳を過ぎてから手がけた『冨嶽三十六景』は、さまざまな場所から見た富士山を描いた連作で、「神奈川沖浪裏」や「凱風快晴(赤富士)」はとくによく知られている。 北斎の作品は幕末から明治にかけて海を渡り、19世紀後半のヨーロッパで起こったジャポニスムの流行の中で、多くの画家に影響を与えた。1998年には、アメリカの雑誌『ライフ』が選んだ「この1000年で最も偉大な業績をあげた100人」に、日本人としてただ一人選ばれている。 嘉永2年(1849)4月18日、北斎は江戸で90歳(数え年)で亡くなった。臨終の際、「天があと5年の命を与えてくれたなら、本当の絵描きになれただろうに」という意味の言葉を残したと伝わる。菩提寺は浅草の誓教寺(せいきょうじ)である。