学者・文化人幕末
ジョン万次郎
じょんまんじろう
1827 〜 1898

別名・通称
万次郎、中浜万次郎、ジョン・マン
幕末から明治の人で、土佐(今の高知県)の漁師の子です。
14歳で漁に出て遭難し、アメリカの捕鯨船に助けられてアメリカで学びました。
帰国後は幕府に召されて翻訳や通訳をつとめ、咸臨丸(かんりんまる)でアメリカへもわたりました。
生涯・逸話
【漂流から始まった人生】
14歳の漁師の少年が、嵐で流され、アメリカで学び、やがて日本の開国を支える人になりました。それがジョン万次郎です。
【中ノ浜に生まれる】
土佐国幡多郡中ノ浜(なかのはま、今の高知県土佐清水市)の漁師の家に、次男として生まれました。
生まれた年は、文政(ぶんせい)11年(1828)とも、文政10年(1827)ともいわれます。
【鳥島での143日】
天保(てんぽう)12年(1841)、14歳の万次郎は仲間4人と漁に出て、嵐で船をあやつれなくなりました。
黒潮に流された一行は、約750km離れた無人島の鳥島に流れつき、143日をそこで過ごしました。
そしてアメリカの捕鯨船に助けられました。船員たちは万次郎を「ジョン」と呼び、「ジョン・マン」とも呼ばれるようになりました。
【アメリカで学ぶ】
万次郎はハワイで仲間と別れ、船に乗ってアメリカ本土へわたりました。
東海岸のフェアヘイブンで学校に通い、そのあとは船乗りや金鉱で働いて、日本へ帰るためのお金をためました。
【日本へ帰る】
嘉永(かえい)4年(1851)、万次郎は琉球(今の沖縄県)に上陸しました。
鹿児島や長崎で取り調べを受けたあと土佐藩に引きわたされ、嘉永5年(1852)に故郷の中ノ浜へ帰りました。
【幕府に召される】
ペリーの艦隊が来た嘉永6年(1853)の11月、万次郎は幕府に召され、江川英竜(えがわひでたつ)のもとで働くことになりました。
外国の使者の手紙を翻訳するなど、英語の力を生かしました。
【咸臨丸でアメリカへ】
万延(まんえん)元年(1860)、幕府の使節がアメリカへ向かったとき、それにつきそった咸臨丸で、通訳の責任者である通弁主任をつとめました。
【明治の世で】
明治2年(1869)には、新しい政府の開成学校(かいせいがっこう)で教授になりました。
明治31年(1898)11月12日、東京の京橋で亡くなりました。墓は雑司ヶ谷墓地にあります。