神仏教
地蔵菩薩
じぞうぼさつ

別名・通称
地蔵、お地蔵さん、お地蔵様、地蔵尊、子安地蔵、延命地蔵、身代り地蔵
生涯・逸話
この仏さまを理解する鍵は、「仏のいない世を、ひとりで引き受ける」という誓いにあります。お地蔵さまが道ばたや寺に広く祀られてきた理由は、ここから見えてきます。
【名前の意味】
地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、サンスクリット語で「クシティガルバ」といいます。「大地を母胎(ぼたい)とするもの」という意味で、命を育てる大地のように、苦しむ人々を包み込む存在とされます。仏教の八大菩薩(はちだいぼさつ)のひとつに数えられます。
【誓いと経典】
釈迦が亡くなってから、未来の仏である弥勒菩薩があらわれるまでの間は、世に仏がいないと考えられてきました。弥勒菩薩の出現は、釈迦の入滅から56億7000万年後とする説明が多くみられます。地蔵菩薩は、この仏のいない世にとどまって、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道をめぐり、人々を導くと誓ったとされます。『地蔵菩薩本願経(じぞうぼさつほんがんきょう)』には、仏になることをあとに延ばして菩薩にとどまり、人々の罪や苦しみを除くことを願いとした、と説かれています。『十輪経(じゅうりんきょう)』では、民衆に寄り添う役目を釈迦から託された存在とされます。
【日本での広まり】
地蔵菩薩の経典は、奈良時代に日本へ伝わったとされます。ただ、奈良時代には、地蔵の像は阿弥陀(あみだ)や観音(かんのん)に比べて少なかったといわれます。注目が高まったのは、10世紀の終わりに源信(げんしん)が『往生要集(おうじょうようしゅう)』で地蔵の徳をたたえてからで、平安時代の後半には民間にも広がりました。地獄を強く恐れた人々が、地獄で人々の苦しみを代わりに受けてくれる地蔵に、救いを求めたのです。鎌倉時代には、信者の身代わりになってくれる「身代り地蔵」の信仰が発展し、武士の間には、甲冑(かっちゅう)姿の勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)も生まれました。室町時代にかけて、六道の入口にあたる辻や橋のたもとに立つ六地蔵や、子どもを鬼から守るとされる賽(さい)の河原の信仰も発達し、道祖神(どうそじん)など、もとからあった信仰とも結びついていきました。江戸時代には、延命地蔵(えんめいじぞう)や子育て地蔵など、願いごとに応じたさまざまな地蔵が各地に生まれました。
【姿と持ち物】
多くは剃髪した僧の姿で、おだやかで慈愛に満ちた表情をしています。持ち物は錫杖と宝珠が一般的で、平安時代の中ごろ以降、この組み合わせが定着したとされます。密教(みっきょう)では、宝冠(ほうかん)や瓔珞(ようらく)を身につけた菩薩の姿で表されることもあります。菩薩のなかでは、質素な僧の姿をしており、人々のそばにいる存在であることを表すともいわれます。
【子どもを守る仏】
地蔵菩薩は、子どもの成長を守り、幼くして亡くなった子の死後を救うと信じられてきました。賽の河原で石を積む子どもを鬼から守る、という話もよく知られています。安産を守る子安地蔵(こやすじぞう)も信仰されています。道ばたの地蔵に前掛けや頭巾をかけるのは、子どもの姿を重ねたことに由来するといわれます。
【縁日と行事】
地蔵菩薩の縁日は、平安時代から毎月24日とされ、今も各地で地蔵講(じぞうこう)が行われています。1月24日は「初地蔵(はつじぞう)」と呼ばれ、地蔵を祀る全国の寺で行事が営まれます。関西を中心に、夏に子どもたちが中心となって行う「地蔵盆(じぞうぼん)」もよく知られています。
【各地の地蔵】
東京都豊島区の高岩寺(こうがんじ、とげぬき地蔵)は、曹洞宗(そうとうしゅう)の寺で、本尊の延命地蔵菩薩は一般には公開されない秘仏です。1596年(慶長元年)に湯島で創建され、1891年(明治24年)に巣鴨へ移りました。縁日は毎月4日・14日・24日で、境内の「洗い観音」では、水をかけて自分の体の悪いところを洗うと、回復すると信じられています。東京都目黒区の大円寺(だいえんじ)は、天台宗(てんだいしゅう)の寺で、本堂の横に、顔や手がとけたように見える「とろけ地蔵」が立っています。江戸時代に漁師が海から引き上げたと伝えられ、悩みをとろかしてくれると信じられてきました。また、昔話の「笠地蔵(かさじぞう)」は、心の優しい老人が地蔵から幸運を授かる話で、沖縄を除く日本各地に伝わっています。