TabiShiri
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武将幕末

入江九一

いりえくいち

1837 〜 1864

武将「入江九一」(幕末)

別名・通称

九一、杉蔵、松陰門下

幕末の長州藩士(1837-1864)。吉田松陰の松下村塾出身、松陰の最も信頼する弟子の一人。久坂玄瑞と共に長州藩の尊王攘夷運動を主導。元治元年(1864)、禁門の変で京都・天王山で自決した稀有な悲劇、享年28。
生涯・逸話
吉田松陰の最も信頼する弟子、禁門の変で殉死。天保8年(1837)、長州藩・足軽の家に生まれる。本名・入江杉蔵、後に九一。 吉田松陰の松下村塾に入門、松陰の最も信頼する弟子の一人として活動した稀有な経歴。松陰が安政の大獄で投獄された際、九一は松陰の救出計画(=「老中・間部詮勝暗殺計画」)に加わり、長州藩から処罰された稀有な決断。 その後、高杉晋作・久坂玄瑞らと共に長州藩の尊王攘夷運動を主導。 元治元年(1864)7月、長州藩の京都奪還を目指す「禁門の変」で出陣。久坂玄瑞らと共に京都・鷹司邸で敗北後、別働隊として山崎・天王山(=京都府大山崎町)に布陣した稀有な戦歴。 しかし会津・新選組の追撃を受け、7月21日、天王山で自決した稀有な悲劇、享年28。「松陰の遺志を継いだ若き志士の死」として後世に伝わる稀有な存在。