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僧侶鎌倉時代

一遍上人

いっぺんしょうにん

1239 〜 1289

僧侶「一遍上人」(鎌倉時代)

別名・通称

一遍、智真、円照大師、証誠大師、遊行上人、捨聖、踊念仏の祖、時宗開祖

鎌倉時代の僧で、時宗の開祖(1239年〜1289年)。熊野本宮で神のお告げを受けたと伝わり、念仏の札を配りながら全国を旅した。念仏を唱えて踊る踊念仏をすすめ、「捨聖」「遊行上人」と呼ばれた。
生涯・逸話
一遍(いっぺん)は、鎌倉時代の僧で、時宗の開祖です。一遍上人のほか、遊行上人とも呼ばれます。念仏の札を配りながら全国を旅し、家や持ち物にとらわれないその生き方から、「捨聖(すてひじり)」とも呼ばれました。 【生い立ち】 延応元年(1239)、伊予国(愛媛県)の豪族・河野氏の出身として生まれました。10歳で出家し、のちに九州の大宰府で、浄土教を教える僧・聖達(しょうたつ)に学んだとされます。 【熊野での神託】 文永11年(1274)、36歳のとき、熊野本宮の証誠殿にこもって神のお告げを受けたと伝わります。そのとき示された言葉が「南無阿弥陀仏 決定往生 六十万人」です。これを書いた念仏の札を人々に配って回り、これを賦算(ふさん)といいます。 【踊念仏と遊行】 一遍は、札を配りながら全国を旅しました。弘安2年(1279)には、信濃国伴野(長野県佐久市)で踊念仏を始めたとされます。踊念仏は、念仏を唱えながら踊るもので、平安時代の空也の先例にならったといわれます。念仏を民衆にすすめる方法の一つとなりました。 【最期】 正応2年(1289)、摂津国の和田岬の観音堂(のちの真光寺、神戸市兵庫区)で亡くなりました。数え年で51歳でした。亡くなる前に、持っていた書物の一部を書写山に納め、残りは焼き捨てたと伝わります。そのときの言葉として「一代聖教皆尽きて南無阿弥陀仏に成り果てぬ」が伝えられています。 死後、円照大師の諡号が贈られ、のちに証誠大師の諡号も贈られました。