武将幕末
井伊直弼
いいなおすけ
1815 〜 1860

別名・通称
直弼
幕末の彦根藩主で、江戸幕府の大老(たいろう)をつとめた人です(1815〜1860)。
安政5年(1858)に大老となり、日米修好通商条約の締結と、将軍のあとつぎ問題に決着をつけました。
茶の湯にも打ちこみ、「一期一会(いちごいちえ)」という言葉をつくった人ともいわれます。
生涯・逸話
【茶の湯と大老】
井伊直弼は、幕府の大老として大きな決断をした政治家であると同時に、茶の湯を深く学んだ人でもありました。
【埋木舎の日々】
文化(ぶんか)12年(1815)に生まれました。
若いころは、自ら「埋木舎(うもれぎのや)」と名づけた屋敷で、茶の湯をはじめ、さまざまな学問や武芸に打ちこみました。
【一期一会】
直弼は自分で書いた『茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)』の中で、「一期一会」という言葉をつくったといわれます。
何度同じ人と会うとしても、その時は一生に一度しかないものと考え、心をこめて相手をもてなす、という心がまえです。
大老になってからも、茶の湯を続けました。
【彦根藩主から大老へ】
嘉永(かえい)3年(1850)11月、13代の彦根藩主となりました。
安政(あんせい)5年(1858)4月には幕府の大老となり、日米修好通商条約の締結と、将軍のあとつぎ問題に決着をつけました。
条約は朝廷の許しを得ないまま結ばれ、あとつぎには紀州の徳川慶福(よしとみ、のちの14代将軍・家茂)が決まりました。
これに反対した大名や公家、志士たちは厳しく処罰されました。これを「安政の大獄(たいごく)」といいます。
【桜田門外の変】
安政7年(1860)3月3日、雪の降る朝、江戸城へ向かう直弼の行列が、桜田門の近くで水戸藩を抜けた浪士らに襲われました。
直弼はこのとき46歳で亡くなりました。
【豪徳寺の墓所】
東京都世田谷区の豪徳寺(ごうとくじ)にある井伊家の墓所は、国の史跡に指定されています。
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