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学者・文化人江戸時代

平賀源内

ひらがげんない

1728 〜 1780

学者・文化人「平賀源内」(江戸時代)

別名・通称

源内、平賀國倫、風来山人、鳩渓、福内鬼外

江戸時代の中ごろの本草学者・戯作者・発明家です(1728年〜1780年)。讃岐国の志度(今の香川県さぬき市)の生まれです。物産会を開き、エレキテルを修理して動かし、小説や浄瑠璃も書くなど、幅広い分野で活躍しました。
生涯・逸話
【生まれ】享保13年(1728年)、讃岐国志度浦(今の香川県さぬき市)で、高松藩の蔵番、白石茂左衛門良房(しらいし もざえもん よしふさ)の子として生まれました。名は国倫(くにとも)、号は鳩渓(きゅうけい)です。 【長崎と江戸】宝暦2年(1752年)ごろに長崎で学び、宝暦4年(1754年)に江戸へ出て、本草学者の田村藍水(たむら らんすい)に学びました。 【物産会と物類品隲】宝暦7年(1757年)、田村藍水とともに江戸の湯島で物産会を開きました。全国の薬草や鉱物などを集めて見せる会で、そのあと計5回開いています。宝暦13年(1763年)には、出品された物から360種を選んで解説した『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』を出しました。 【エレキテル】長崎で手に入れた、こわれたエレキテル(静電気を起こす道具)を研究し、安永5年(1776年)に修理に成功しました。同じものも作っています。 【戯作と浄瑠璃】「風来山人(ふうらいさんじん)」の名で、小説の『根南志具佐(ねなしぐさ)』『風流志道軒伝(ふうりゅうしどうけんでん)』や、『風来六部集』を書きました。「福内鬼外(ふくうちきがい)」の名では、浄瑠璃の『神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)』を書き、明和7年(1770年)に上演されました。 【鉱山】安永2年(1773年)には、秋田藩の阿仁銅山を調べ、指導にあたりました。 【土用の丑の日の言い伝え】夏の土用の丑の日に鰻を食べる習わしは、源内が考えたものといわれています。ただし、それを示す確かな史料は見つかっていません。 【最期】安永8年(1779年)11月、人を傷つけて牢に入れられました。誤って人を殺したとされますが、くわしいことははっきりしません。同じ年の12月18日、牢の中で病気のため亡くなりました。52歳でした。