学者・文化人明治時代
樋口一葉
ひぐちいちよう
1872 〜 1896

別名・通称
一葉、樋口奈津、夏子、旧五千円札の肖像
明治時代の小説家(1872-1896)。
『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』などの代表作を、約14か月の間に集中して発表し、この期間は「奇跡の14ヶ月」と呼ばれる。
24歳で肺結核のため世を去った。
2004年発行の旧五千円札の肖像としても知られる。
生涯・逸話
樋口一葉を理解する鍵は、暮らしの苦しさと向き合いながら、その暮らしの中で出会った人々を作品に書いたことにある。
【生い立ち】
明治5年3月25日(1872年5月2日)、東京府庁構内の官舎(現在の東京都千代田区内幸町)で、東京府の下級役人・樋口則義(ひぐちのりよし)と母・多喜(たき)の次女として生まれた。
戸籍上の名は奈津(なつ)で、本人は「夏子」「なつ」とも名乗った。
樋口家は、甲斐国山梨郡中萩原村(なかはぎわらむら、現在の山梨県甲州市塩山)の長百姓(おさびゃくしょう、村の有力な農家)の家筋とされる。
【学びと和歌】
明治14年(1881)、私立の青海学校(せいかいがっこう)に転校し、明治16年(1883)に高等科第四級を首席で卒業した。
上の学校には進まなかった。母が「女性に学業は不要」と考えたためとされる。
明治19年(1886)、14歳で中島歌子(なかじまうたこ)の歌塾「萩の舎(はぎのや)」に入り、和歌や王朝文学を学んだ。
【家を背負う】
明治22年(1889)7月、父が借金を残して亡くなり、17歳の一葉が家を背負うことになった。
一葉は半井桃水(なからいとうすい)に師事し、明治25年(1892)3月、小説『闇桜(やみざくら)』を「一葉」の筆名で発表した。
筆名の由来は、当時の困窮(「お足が無い」)と、達磨(だるま)が一枚の葦(あし)の葉に乗って川を渡ったという話を掛けたものとされる。
明治26年(1893)7月、吉原遊郭に近い下谷龍泉寺町(したやりゅうせんじちょう、現在の台東区竜泉)で、荒物や駄菓子を売る店を開いた。
この経験が、『たけくらべ』の題材になったとされる。
翌年5月に店を引き払い、本郷の丸山福山町(まるやまふくやまちょう)に移った。
【奇跡の14ヶ月】
明治27年(1894)12月の『大つごもり』から、明治29年(1896)2月の『裏紫』までの約14か月に、一葉は作品を次々に発表した。
研究家の和田芳恵(わだよしえ)が、この期間を「奇跡の14ヶ月」と名づけた。
主な作品は、『たけくらべ』『ゆく雲』『にごりえ』『十三夜』『わかれ道』などである。
『たけくらべ』は、吉原近くの大音寺前を舞台に、思春期の少年少女の姿を、情緒のある文章で描いた作品である。
森鷗外(もりおうがい)と幸田露伴(こうだろはん)は、一葉を高く評価した。
【最期】
明治29年(1896)11月23日、丸山福山町の自宅で亡くなった。肺結核で、24歳だった。
墓は、杉並区永福の築地本願寺和田堀廟所にある。
没後に発表された『一葉日記』は、日記文学としても高く評価されている。
【五千円札の肖像】
2004年(平成16)11月1日に発行された五千円札の肖像に、一葉が採用された。
2024年(令和6)7月3日に津田梅子の新しい五千円札が発行され、肖像は替わった。
【ゆかりの地】
一葉記念館(台東区竜泉)は、一葉が荒物・駄菓子の店を開いた地にあり、昭和36年(1961)に開館した。
樋口一葉菊坂旧居跡(文京区本郷4丁目)は、明治23年9月から約3年暮らした借家の跡である。建物は残っていないが、一葉も使ったとされる井戸が「一葉の井戸」として残る。まわりは住宅地なので、静かに見学したい。
旧伊勢屋質店(文京区本郷5丁目)は、暮らしが苦しいときに一葉が通った質屋で、内部が一般公開されている。
終焉の地(文京区西片1丁目)には石碑が建ち、区指定の史跡になっている。
山梨県甲州市塩山中萩原の慈雲寺(じうんじ)には、一葉の文学碑(大正11年・1922年に除幕)と一葉の像がある。
山梨県立文学館は、国内有数の一葉のコレクションを所蔵している。
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